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これはむちゃくちゃ難しい話なので興味のある方だけどーぞ

ある人物が何かを言葉で表現したとする。

そこには、多かれ少なかれ、その人物の見方、考え方がこびりついている。

個人的には、

1+1=2
のような、定理になっているものすら、言語と捉えるならば、自分はそこには、ある人物の見方や考え方が含まれると考えている。

では、
どういう見方や考え方がこびりついているのか。

この問題が実に難解である。

実は本人すら自覚できていないことが多い。

たまたまその表現の仕方しか知らなかったから用いた。

それを受け取った側の受け取り方によっても変わる。

受け取った側からすればその表現の仕方から真摯に捉えられた意味が、書き手のそれとは全然違うこともある。

どんな見方や考え方がこびりついているのかは、書き手に聞くしかないじゃんとよく口にする現場を見てきた。

よく、国語のテストの問題についてツッコミを入れる、あれである。

作者の考えとして、ふさわしいものを選べ。

そんなの作者に聞いてみないとわからないじゃん!

これである。

しかし、先に書いたことと照らし合わせると、このツッコミも間違っていることがある。

作者に聞いてみてもわからない可能性がある。

のである。

では、正解はどこにもないのか?
#認識論
#コペルニクス的転回
#テクスト論

受け取り手の受け取り方次第なのだろうか。
#読者論

それとも、書き手の見方、考え方を書き手の責任によって、明確にしてもらったものが正解なのだろうか?
#作者論


はたまた、受け取り手、書き手の二項対立ではなく、神や、人間の機能がそうさせた、という宗教的な視点や、科学的な視点から考えるとよいのだろうか。
#認知科学
#宗教学
#神学
#心理学

最近こんなことばかり一日中考えており、結構ノイローゼになりつつあります笑。

人の営みってすごいなぁって感じます。

あ、自分の中では

伝えたいものは、表現者の中にあり、受け取り手も文脈まで捉えて解釈したものと同一のもの

というふうに今のところ仮説を立てております。

同一のものは、存在するという立場を取りたいと思います。

なんか、こういうようなことを考えている人と話したいなぁ。2024年の目標にしたいとぼんやり画策することにします。

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