「桜の会」の有効利用

 菅さんの目がどんどん光を失い、安倍さんの言葉もフォローしようのない程に崩れていく。

 自分の信念に従って「伝えたい」と思って話す言葉は、原稿なんてなくても芯が通って聞こえるかも知れないが、何かを隠したりごまかしたりする時の言葉は頼りない。
子どもの頃、忘れ物を必死でごまかした時、先生に変な言い訳をしたことを思い出した。「結局忘れたんだろう」ゴツンとげんこつをもらったのだけど。この方もゲンコツ食らうのかな。

 確定申告。子どもの進学。普通に暮らしている私たちが日々働いて納める税金や、高額な学費、身に降りかかってきて改めて見ると、なんとも情けないような切なくなるような、国会。
 
 twitterでは先生方が労働条件の改善を待っている。かなり具体的な話が出ているけれど、そのかけらでも国会に届いているのかな。学校に行けない子どもたちが「学ぶ場所を増やして欲しい」と言っている。届いていますか。

 失言の多いあの方や、あの方。他者へのリスペクトが感じられない言動にガッカリさせれられっぱなしだが、ふと想像してみる。
食べることに困ったことのない人が、お金がなくなることのない人が、なんとかして食べ物を得ることやお金に困って涙がこぼれてしまうような状況を想像出来るんだろうか。彼らの人間性云々(「うんぬん」です)の前に、物理的に想像が難しいだろうと思う。
 だから、彼らの失言を責めるのも大事なことだとは思うけれど、まずそういう人を選ばないことも大事なのかも。お金持ちで自分たちによくしてくれるから、という理由で選んだらダメ。目先のことではなく先々のこと。自分の体が動かなくなることを想像して選ばなきゃ。自分がいつか弱者と呼ばれる側になる未来は遠くない。弱者のことを想像出来る人を選ぶ、というのが今後の一つの目安になるのではないだろうか。

 「桜の会はもういいぜ」と言いたくなるけれど、多くの政治問題が難解なことで忘れ去られがちなのに比べて、これは唯一子どもでもわかる程シンプルで尚且つそれからさらに墓穴を掘り続けていく、という点では一つの「窮地に立った時の本音」を見て取りやすい例だ。
 これは徹底的に見守りつつ自分の生活を託す人を「選ぶ」ことの重さを国民が改めて知るべきだと思う。子どもたちも若者も、この悲しい姿を観ながら「選挙に行こう」と思うだろうし、エリート教育を受けてレールに乗せられている子どもたちは「本当にこのまま進んで大丈夫なのだろうか」と不安を覚える。それくらいパンチの効いた出来事なので、せめてこれをみんなで有効利用しよう。

珍問答(朝日新聞記事)

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