心のケアを複雑にしてしまうこと

 ある経験から、誰かが心を傷めた時はその原因探しを優先しない方が良い時もある、ということを知った。少なくともその原因探し自体が目的化しないことが大切。それはケースバイケースで、明らかに外的な原因がハッキリしている場合はそこを周りの力や本人たちの力でなんとかクリア出来ればスッキリ解決、ということもあろう。実際そういうケースも多い。
 しかしこれは、そうでないケースの話。
何かが起きた時、いつもの方法で「さ、原因探しだ」と闇雲に理由を決めつけてみたり、誰かのせいにしたりしてみて、当事者がじっくり考える時間を与えないことが、その問題を更に深みに落とし込むことがある。その人は一緒に寄り添って漂ってくれる人が必要で、もちろん時間も必要で。一人になりたい時に一人になることも必要。

 目的はその人の心が軽くなること。その手段としてその原因を探るというのが有効な時もあるが、それに没頭し過ぎるあまりに周りの人の気持ちも不安定になったり、心を傷めている人自身が更に不安になるような状況に追い込まれたりするのは本末転倒以外の何物でもない。

 時間がない、心の余裕がない、常に競争の中に入れられている私たち。でもそれ以上にその中にいるのは子どもたちで、立ち止まることも許されない。子どもたちは大人よりももっと感性が豊かだから、立ち止まるタイミングを本当は本能で知っているはず。しかしその子自身ではなく誰か他の人やもののタイミングが重視され、その子は結果的に無理を強いられる。ますますスピードが上がっていく社会の中で、子どもたちはただ毎日走らされ、本能的に息をつくことすら忘れさせられようとしている。やがて本能は退化して、麻痺して、自分が疲れているか休みが必要であるかどうか、そして休み方さえわからなくなるのだ。そんな子どもたちがそのまま大人になって、やっと立ち止まろうとした時、その人は気づく。自分は今度こそ更に大きな流れの中にいて、立ち止まりたくても立ち止まれないことに。

 心を休ませることは、勉強するより、学校に行くより、仕事に行くよりもっともっと大事なことなんだ、ともっとみんなが知ったらいいのに。子どもたちが、自分の時間の使い方をもっと自分が選べるような環境の中で過ごせたらいいのに。

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜