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あの変な人がヒーローになる瞬間

 人をコントロールするのって簡単なんだな、って思う今日この頃。戦争前に子どもたちに戦うことが美しい、戦うことこそ国のため、と教えてきた先生たちが戦争が終わると「あれは間違いだった」という現実を突きつけられて気が狂ったという話が私の中に深く刻み込まれている。
だから、私は教育者として自分が納得しないことは子どもたちに教えない。例えそれが誰からの命令だったとしても、みんなが口を揃えて「良い」というものであっても、だ。

 それは心に誓っている。私自身が流行に疎い原因の一つになっている。私の心がなびかないと、どんなにみんなが良いと言ってもそこに乗っかることはない。「流行り」は私の判断基準の中にない。だからジブリ映画も鬼滅の刃も知らない。タイタニックはだいぶ経ってから観て一人感激したが、その時同じ温度で共感してくれる人は少なかった。いつか私が鬼滅の刃を観て泣く頃には、周りの人はもう違うものを追ってるかも知れない。それでいい。私にとって大事なのは、その時の私の心。自分の心と向き合うことを何よりも大切にしている。その分、私は自分の軸を常に確認しておく必要がある。時には反対意見を持つ方々との対話の中で、時には共感し合える仲間との語らいの中で。

 権力に魅了されてしまった人たちは、視野がどんどん狭くなる。自分にとって得かどうか、それが価値基準の真ん中になってくる。私はそれを小さな塾の塾長の中にも、とある学校の校長先生の中にも、とある国の政治家の中にもしっかり見ている。そして彼らの言葉の中に「欲」が散らばっているのを見ている。その中で本質を見ることの大切さも身に刻んできた。
 権力やマジョリティに身を委ね、自分の中にある良心や魂をいとも簡単に捨て去り、結果その事実が自分を苦しめる。私はそんな大人になっても尚自分の軸を忘れて漂い苦しむ人たちを産み出さない様に、英語指導という入口から子どもたちに「自分を確認する」作業を教えているのかも知れない。

 小学校や中学校では「ちょっと変な子」としてみんなが避けていた様な子が、大人になって生き生きと人生を謳歌しているのを見ると、この人は子どもの頃から「自分に正直に」生きたんだな、と思う。学校という箱の中に整然と並んで、力を持つ人の言う通りにしていれば幸せになれると信じてしまった人たちは、学校を離れても自分を幸せにしてくれる何か、誰かを探す。そして自分の感情や価値観を、自分を幸せにしてくれるであろう存在にそれを預ける。ふと自分自身に立ち返ろうとした時に、気付く。「私はどこにいるんだろう」と。そうやって病んでいく大人をたくさん見てきた。
 自分を自分が幸せにする力を持つ人はどこに行っても強い。

 今政治を見ていても、「権力」は自分を幸せにしてくれる、と力に溺れてしまう政治家の「良心はどこにあるのか」と疑う様な行動は、尽く信頼を損なっている。
 反面、「あの変な人」にものすごい軸があることに気付いて愕然とすることもある。「日本を守るとは、あなたを守ること」「生きててくれよ」と国民の権利や幸せを何年もブレずに叫ぶ人の姿。それが見えないくらい力になびいてきた人たちが多数を占める限りこの国は変わらないだろうが、今、この非常事態の中、信じてきた権力に見捨てられたことを実感して自分自身を取り戻す人が少しずつ増えていること、そして若い人たちがたくさんの情報を得て「自分を幸せにするのは自分」を理解していることが、これからの日本のベースを作っている気がする。Keep on going!

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