不登校の作り方

 学校の先生方が働き方や人間関係で悩んでおられるのをtwitterで見ながら心を傷めている。私がtwitterを始めたのは、息子が学校に行けなくなった時。
 
 中学校に入ったばかりの年、息子は新しい環境でたくさんチャレンジをしようとイキイキしていた。生徒会に立候補して副会長になり、初めてのテストも頑張ろう、と意気込んでいたそんなある日。
息子が朝食の時に「今日も怒られるとかいな」と呟いた。小さな声で呟いたけれど、いつになく元気がなかったのでよく覚えている。
最初は愚痴みたいに「今日も怒られた。」と言っていたけれど、見る見る元気がなくなり、心の大部分をその「怒られる恐怖」が占拠し始めていたことを感じた。
 それから文字通り坂道を転がり落ちる様に、学校に行こうとしたら嘔吐したり、顔色が真っ白になったり。ある日、布団から出てこなかった。
横になってマンガ本を開く息子を見て言葉を失った。目が全くマンガ本を見ていない。死んでしまった様な顔をしていた。

 慌てて以前一緒に働いていた不登校対応の先生に連絡して、「これは学校に行っても良いだろうか」と相談した。私も学校で仕事をしていたのでよくわかっている。自分の想いだけで学校に押しかけて言いたいことを言うだけでは、学校からはただの「クレイマー」にしかならないことを。
 だから、出来るだけ伝わる方法を取りたかった。

 ある日、私は勇気を出して息子を毎日叱り付けていた若い男性教師に電話をして話し合いの場を設定した。その際、学年主任も同席する様に求めた。家庭訪問に手ぶらで遅れてくる担任だったので、私の中でちゃんと私の言葉が伝わるかが不安だったので。

 当日、順を追って息子の経過を伝えた。「生徒会役員だから」ということで自分がしていないこと、学年でおこった小さな事件、全ての責任を日々呼び出されて追求されることが、息子に及ぼした影響。
つい数ヶ月前まで小学生だった子にはあまりも重い洗礼。もちろん何年生であっても許されてはならない程理不尽で雑な指導だったが、それ程息子にはダメージが大きかったのだ。

 そして私が何よりもショックだったのは、そのほんの数日前までは中学校でどんなことに挑戦しよう、とワクワクしていた息子の笑顔がほんの数日でこんな死んでしまった様な姿になるその過程を見てしまったこと。
今でも指導者として人として、心に刻むことになる。人は人よって救われることもあれば、小さな言葉や態度によって殺されることもある。

 先生に順を追って伝え、それまで小学校、中学校と封印してきた言葉を言った。「私も教育者なので、方法が一つじゃないっていうことは普段から肝に命じています。子どもの数だけ、指導法は存在するんです」
上から言うつもりもなかったし、同じ指導者として感じていただけたら良いかと思って伝えたが、幸いその話し合いは終始穏やかで、その先生もまっすぐ目を見て話を聴いてくださった。
 そこで思った。この方も迷っている。指導法は一つじゃない、って言葉を初めて聴いた様な顔をしておられた。その当時の学校は、指導法を統一していたのかも知れない。少しでもその先生の今後にこの経験が活かされれば良いと思う。

 息子はというと、先生に伝わったことを話すと喜び、翌日から学校に戻っていった。落ち込む速度にも驚いたが、幸い回復するのも早かった。
先生も先生なりに一生懸命接し方を考えている様だった。私もまた見守ることにした。息子が笑っていられるなら、それでいい。先生にはそれ以上の感情はなかった。

 そこで考えた。先生たちがもっと広く指導法を学ぶ時間はないのか、なぜあの先生はあんなに苦しそうに見えたんだろう、と。
そこから私は「学校の先生の本音」を探る旅に出るのだが、そのお話はまた次回。

 不登校と言われる状態の引き金の一つに、先生との人間関係がある。誰かの参考になれば、それと自分の整理の為にここに記した、ある春の出来事。

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