ひっくり返せ

 2020年度の大学入試改革のすったもんだを見ていて、ふと思い出した。

 私は日本生まれの日本育ちだけど、幼い頃からずっと違和感の中にいた。人が当たり前だと思っていることでも、いちいち「なんで?」と理由を知りたがった。黙って従うことが、気持ち悪いと感じていた。
でも、「黙って従う」のが当たり前の学校生活だったので、そのまま違和感まみれで十代を過ごした。

 大学を卒業する頃、私の違和感がムクムクと大きくなった。学生時代にバイトを何個も掛け持ちしてそれなりに稼いでいたので、闇雲に就職活動をしてそのまま社会に出ることにまた違和感。三ヶ月間フリーターをしてお金を貯め、海外に出た。

 バックパック一つで海外を旅して一番のインパクトは、リアルの多種多様。日本で嫌という程言われてきた一つだけの価値観、一つだけの物の見方なんてここには存在せず、その国その国の価値観はあっても、「こうでなければいけない」というものは無かった。

 あんなに「当たり前」だと思っていたこと、同じように思わないとこの国にいられない、というくらいの単一の価値観や見えないルール、暗黙の了解は一歩日本を出たらなんの価値もなくなってしまうということ。
そう気付いたら、心が軽くなって私は私の思ったことをどんどん口にしていた。私がずっと抱えていたものは、人が作ったものに心が征服されてしまうことへの違和感。意味もなくただ従うことへの恐怖。

 確かに「受験」はその子の人生の大きな転機になると思う。でも、それを決めるのはその子でしかない。親や先生はそれをコントロール出来ないし、してはいけないのだ。
 この度の大学入試改革のすったもんだは、誰かが決めたことにみんなが振り回されてしまうことの恐怖を私に思い出させた。
それはプロとして、しっかりして欲しいという気持ちはある。受験という大きな制度を作っておいて、それはないよ、と思う。
 
 でも、今あまりにも「受験」に振り回されて、子どもたちが「受験」のために毎日を過ごしている様に見えることに違和感を持っているので、受ける側も「受験」だけじゃない本人の経験や人間性の部分にもっと興味を持ってみてはどうか、と思う。
 そして、その「経験」や「人間性」が今後その子の将来を拓いていくということが実現される「入試制度」であって欲しい。

 ある人が言っていたことが心に刺さった。
「親や先生の言うことをただ聞くだけの子を育てたら、この国は終わる」

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