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英語のカン

 英語指導をしていると、教室の子たちが「先生、カンで答えていい?」って言います。大体その時の答えは正しいです。子どもたちは「カン」を自分の力ではなくまぐれ当たりみたいに思っている様ですが、その「カン」は個人差こそあれ、紛れもなくその子が毎週英語に触れる中で育んできた「力」です。

 「個人差」と書きましたが、英語のカンというよりはただただ「カン」が良い人が実際にいることを皆さんはご存知だと思います。その人から離れた場所でその人の話をしていても、自分の話をされていると悟る人。また、何か隠し事をしている人を当てる人。それはその人たちが口には出さなくても態度や目線で表している何かを、カンで解釈してしまうのです。もちろんそういうカンも良い人とそうでない人がいるので、元々語学に向いていないとか自分はカンが悪いから、と言う人もいるでしょうが「言葉のカン」はそれよりもう少し経験に影響されているかな、と思います。よく聞く言葉、語幹、語尾などで知らない言葉も想像し、このシチュエーションやこの話題でその言葉らしきものが使われているということは、こう言うことだろうと理解するのです。英語に触れれば触れる程、そのカンは研ぎ澄まされていくのですが、それは英語のパターンに触れる機会が増えるから当然のことなのです。

 よく9歳の壁とか言いますね。私もそれに近いものは実体験を通して感じています。ネガティブな意味でそれに囚われたり焦ったりするのは好ましくありませんが、幼い頃から「楽しく」触れたものに関しては良いイメージが残りやすくより自然にカンを養うことが出来ます。
 幼児のお子さんが体験に見える時に、試しに英語で話しかけてみたり途中に英語を挟んでみたりすると、意外と日本語と変わらず対応してくれるのに対し、高学年で英語の体験に見えるお子さんに同じことをしたら不思議そうな顔で全く見当違いのことを言うことがあります。例えば "Do you play sports?"(スポーツをするかどうか)尋ねても、平気で"My name is…"と答えたり「は?ちょっと全然わからん」って日本語で言われたりします。
よく聞いたら「スポーツの話をしているな」ということはわかりそうですが、それをキャッチしようともしていない感じは、英語に触れてこなかったから起こることなのだと思います。「英語=わからないもの」となっていることも多いですね。

 私はいつも学習者の皆さんに「英語は向いてるとか向いてないとかじゃなくて、頭が良いでも悪いでもなく、話すか話さないか、それだけですから」とお伝えしています。幼ければ幼いほど英語や他の言語、文化に柔軟に対応出来るけれど、大人に近づけば近づくほど自分がメインで使っている言語や文化との乖離で伸び悩みます。でも、そこに向き合いそれを飛び越える努力をすることは、自分の視野を自分で開くこと。語学のみならず心にもとっても良いこと。何かから解き放たれることは、とても気持ちが良いものです。英語を学ぶことの意味を、私は自分を開放することだと思っています。

 英語のカンは誰にでも作れる。だから、思い切って飛び越えてみてはいかがでしょうか。語学習得以上の冒険が待っています。

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