支配される人を育てていることについて

 娘の体育見学の理由をわざと書かずに出した。もし先生に理由を聞かれたら母に問うように伝えた。今まで「生理のため見学」など、我が子が知られたくない様なことでも、「当然のこと」と大公開していた自分の中に知らずにあったある「感覚」に気付いて悲しくなったから。

 ある国の話を聞いて目から鱗だった。日本からの留学生が先生に体育を見学する旨伝え、その理由を言おうとしたところ、「言わなくていい」と言われたことだった。その子が体を休ませなければいけない、と自分で判断したことをその子の判断として尊重していることがわかる。なぜ私たちは先生が納得する理由を述べ、更に保護者にまで確認されなければいけないのか。
 子どもたちが「サボる」ことを回避するためのものだろうが、そもそもサボることで困ることがあるなら、それはその子自身。むしろ休んだことでどういう結果があるか、またその対処法をあらかじめ理解をさせ、また受けなければ勿体無いと思わせるレッスン内容を工夫することまでがプロの指導者の役割であると思う。それ以上進むと子どもの自尊心を傷つけ、自分自身と子どもとの信頼関係も築けないままになるだろう。

 私は先生批判がしたいのではない。先生方も私と同じ。「生理のためプール見学」と男性教師に対して恥じらいながらも伝えなければいけない教育を受けてきた世代。気持ちはわかる。でもその結果何が育ってしまったかというと、有給休暇も当然の権利として取れない大人が育ってしまっているということ。今先生方があれこれ理由を並べて自分の欠席への人の理解を得ようと努力しなければいけない様に、あなたが指導している目の前の生徒が同じ苦労を背負った大人になっていくということだ。

 その人が自分のためにとる行動を一人の人として尊重することが当たり前の世の中であって欲しい。そしてそれ以前に学校が本当の意味で「自分を大切にすること」を学ぶ場であって欲しいと祈っている。

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