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いとおしさと心強さ

 大人になった子どもたち3人とパートナーと私。5人が久しぶりに揃った。
親しい方々との語らいの場で、私たちは家族の話をしていた。こんなことがあった、あんなことがあったと話している中で、家族それぞれの不器用さを娘が「いとおしい」と表現した。

 私が子どもたちに向ける一番の感情は「いとおしさ」。うまくいかないことがあっても、感情がこんがらがってしまっても、じっくりと温かい目で見つめている。だいじょうぶ、だいじょうぶ。
 だからこそ、私はそれが親が子に向ける自然な感情なのだと思い込んでいた。でも、いつしか家族の中でその「いとおしさ」の矢印が親から子へ、だけでなくそれぞれから全員に向けられているものだと知った。
 子どもたちもまた、不器用な親の私たちにその気持ちを向け続けていることに気付いた。私が向ける4つの矢印と同じ様に、私にも4つのいとおしさの矢印が向いているのだ。

 いつか娘たちと関係性の話をしている時に「かわいい」は最強の愛情だ、という結論に達した。「カッコいい」や「キレイ」が短期的で瞬間的な感情だとしたら、「かわいい」はもっと長期的で内面も含んだイメージがある。  
 例えば、カッコよくキメたかったところを思わず失敗してしまってかなりカッコ悪くなってしまった…そういうところで幻滅するのは、きっと短期的な感情。それを「かわいい」と思えたら、きっとそれは親が子を想う時によく使われてきた「無償の愛」的なものに繋がりそうな気がする。
 ちょっと飛躍しすぎているかも知れないけど、その人のダメな部分、うまくいかなかったね、っていう部分を直視して「かわいい」って思えるってすごい愛情だと思う。

 その「かわいい」は「いとおしさ」そのもので、それがもたらす心強さにグッときた。私がどんな風になっても、いとおしいと見つめてくれる誰かがいることの安心感は半端ない。
 
 そしてその「いとおしさ」による安心感は、限られた範囲に留まらず海の様に広がり続ける。家庭が安心感の基地で、そこから子どもたちは遠くに跳ぶ。
 必要になったらいつでも戻っておいでよ。私たちが願っているのは、あなたがうまくやることじゃなくて、あなたが幸せと安心を感じられること。 
 
 だからうまくいかなくなっても、こんがらがっても、いつでも帰ってこられるでしょう。思いっきりカッコ悪い姿を見せてくれたら、特大の「いとおしさ」であなたを包んであげるから。

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