見出し画像

恥をかかなきゃ身につかない(前編)

 お子さんが生徒さんが、恥をかかないように、恥をかかないように、先回り先回りして道を整えている大人の皆さーん、ちょっとストップ。

 私、50歳になって気付いた。恥かかなきゃ身につかないわ。
英語講師として何度も口にしてきた言葉だけど、私が物事を習得した時には必ず恥をかいている。大きな失敗もしてしまっている。

 例えば私は傷つくのが何よりも怖い、超繊細な子どもだった。通っていたスイミングクラブでは、繊細とは程遠いコーチにひどい言葉を浴びせられ、ピアノ教室では練習不足を徹底的に指摘されて、二つとも大嫌いだった。今でも悪夢に出てくるくらい。泳げる様になったし、楽譜も読めるからそれは感謝。だけど、その習い事の曜日が丸ごと嫌いだった。今思えば、そこでは恥というよりも傷を受けた感じだった。

 一番長く続けた習い事は英語だったけれど、先生が優しくて楽しかった。指摘されたり恥ずかしい思いをするのは嫌だと思っていたけれど、否定をしない先生だったので好きに英語を話してみたりしていた。ペラペラではないけど、嫌いでもなかった。どちらかと言うと好きだった。そこで安心しきった私は、どんどん英語の道を進むことになる。大学も英語学科ばかりを受けて、大好きなアメリカのコラムニスト、ボブ・グリーン氏のエッセイに出てくる様な海外生活を送るのを夢見ていた。

 大学でも私は本気で恥をかく準備はできていなかった。アメリカ人の先生の授業では当たり障りなくコソコソと過ごし、自分が言いたいことよりも言えそうなことを言ってはその場を誤魔化していた。

 大学卒業後のことを考える中で、はたと思った。「私、英語話せないじゃん」英語学科を選んで4年間学び、中高の教員免許も取ったのに、私は実際英語が話せなかった。ずっと恥をかかない様にコソコソと過ごしてきたせいだ。いっそのこと誰もいないところで盛大に恥をかいてみよう。
 海外生活への憧れも手伝って、私は必死でアルバイトをして資金を貯め、知り合いの誰もいないニュージーランドに旅立った。

 そこでのことを語り出すと数千文字になりそうなのでここでは短くまとめると、大見得をきって1年計画で来たニュージーランドで、私は全く英語がわからなかった。ニュージーランド訛りは初めてだったし、家を出るのも初めてだったので、とにかく最初は鬱々と過ごしていた。
 でも資金も十分ではないため、ホテル暮らしも長くは続けられない。一人で不動産屋に行き、電気会社で電気を契約し、家電は新聞の「売ります買います」欄を見て見ず知らずの人に交渉をし…と止むを得ず生活を続けていく中で、次第に英語を理解する様になっていった。もちろんここでは語り尽くせない程の恥をかいた。毎日、毎秒、至る所で恥をかいた。もうヤケクソだった。でもその分通じたら飛び上がるほど嬉しかったし、通じないとだんだん悲しさよりも悔しさが勝ってきたので、午後は図書館に通って通じなかった言葉リストを作ったりした。そして通じなかった言葉は本で調べて、翌日同じ店に行ったり同じシチュエーションを作ってやり直しをした。それを繰り返した。そのせいでアイスクリームを毎日食べる羽目になった。最後は一発でオーダーが通る様になったけど、それまで一週間以上毎日アイスクリームを食べた。

 それが30年前。それから私は「ある程度英語が話せる人」になった。でも英語を教える仕事を始めて、0歳児から大人まで幅広く英語を教える様になってくると、自分の英語力が不安になってきた。もっと知るべきことがあるのではないか。そこで50代を目前に控えたある時、英会話教室に通い始めた。

後編に続く…「アラフィフになっても、まだまだ恥かくわよ〜」


読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜