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教える人のハニラミメソッド

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私は英語教師です。自分の運営する教室、生涯学習センター、親子サークル、小学校などでほとんど全部の年齢の皆さんに英語をご指導しながら見つけたアイデアや考え方をシェアします。 もし… もっと読む
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#教育

外に出て 心を自由に

 最近自分の教室の子どもたちによく言うことがある。 「自分の中に興味が湧いて、チャンスがあったら絶対に海外に少し長く行って欲しい」ということ。少し長く、というのは観光というよりは少しじっくり人を観察できるくらいの余裕がある期間、という意味。  今までよく英語の先生の知り合いが「海外に言って英語を学んで欲しい」と言っているのを聞いて、私は100%賛成ではないな、と薄く感じていた。英語を学ぶなら今だったら国内でも十分だし、それのためにわざわざ海外に行っておいで、とは言えない。少

先生

 ある本に「先生が何を教えなくても、モゴモゴ言ってるだけでも、響く生徒には響く。その子は先生の表情や言葉から何かを感じ取って「ということは、〜ですよね」と教えてもないことまで学び取る、というのがあってとても好きだと思った。内田樹さんの本だったと思う。  そしてこの記事も大好きだった。やっぱり指導者大事。  え?前のと後の、内容逆やんって思うでしょう? 私も自分の中のこの2つの考えが対立してる気がしてずっと気分悪かったけど、まさにさっきこの記事読んでて気付きました。  大

"どーでもいいこと"を敢えてシェア

 フリーランスの英語講師。基本的に私の授業プランは自由。以前は人に見てもらって意見されることが必要なんじゃないか、と思ったこともあるけど。ある時に学校の研究授業に参加してみて、ある若い先生の授業にいろいろな立場の方々が意見しているのを見ながら思った。 「どのアドバイスも、私にとっては的外れ」  多分それは「学校の先生として」必要な指導法だったからだろう。テーマが「いかに管理するか」「いかにゴールに導くか」で、それは私のゴールと全然違った。  というかそもそも私にゴールはない。

手を伸ばしたらいつでも

 私は小さな英語教室を運営していて、週に一度小学校に英語指導のお手伝いに出かけ、一ヶ月に数回大人の方の英会話、また毎週オンラインで遠くに住む人たちの英会話や日本語の伴走をする。そこで心がけていることは、 「その人をその学びから遠ざけないこと」 その人が嫌になる程に私が頑張らないことだ。先生というのは、どれだけ熱意を持って生徒に教え込むかが大切、みたいな感覚があるけれど。実際は生徒を手取り足取り学ばせるという行為こそが、間違いであると今は断言出来る。教育者としてすべきことは、ズ

小学校英語で国境を超えてけ!

 小学校での一コマ。 今日はいろいろな国の動画を見る授業だったのだが、ロシアの女の子が出た時にどのクラスもざわめいた。ロシアに対する悪口がポツリポツリ。  「今日は英語の授業なんてどうでもいいや!」って思った。  「英語を学ぶ前に大切なこと」というお話を入れた。もちろんプランには無い。でも今日一番大事なこと。こうして子どもたちがちゃんと本音を話してくれるから、その時に一緒に学べる。英語の先生の役割を超えている様にも思うけれど、英語を学ぶための大事なマインドのウォーミングア

みんなで幸せになろう

 私は自分のコラムで、よく「大人はこどもの邪魔をしないでおこう」と書く。それは何より自分へのメッセージ。私たちは長く生きている分賢くなっていると言えるかも知れないけれど、その経験やそこから得た影響によっては退化していると言わざるを得ないケースも多い。そして最近残念な方の大人をよく見るからこそ、これはやはり声を大にして「こどもの邪魔をしないでおこう」と言わなければいけないと思う。 教育ビジネス=shit  私は教育を主な生業としている。いわゆる教育ビジネス界の端っこにいる人

子どものことは子どもに聞け

 英語教室で、私は下は0歳から上は一応中学生で送り出す様にしている。(その後ご要望があったら、その先もう少し続く…) だから、同じお子さんの成長の根っこの時期を十数年、かなり長い間一緒に見守らせていただくことになるのだ。 カオスの中の英語はリアル  幼児でやってきて、教室の中を歩き回ったり突如ゴミ箱の上に立っていたり。トイレに行ったかと思ったら全然出てこない…水道がいつの間にか出しっぱなし…英語どころではないと思いつつも、子どもたちは私の真似をして "Oh, no!" あ

子どもってすごい

 私は授業中の立ち歩きはあまり気にしない。でも注意をする時は必ずきちんと理由を伝えて丁寧にお願いをする様にしている。命令ではない。  「クラスでは、見たい人が見られて聞きたい人が聞けるようにしてくださいね」  それがお願い。立ち歩きはOK。でももし誰かの前に立ちはだかってしまって見えなかったら、理由を言って気をつけてもらう。人の話にかぶってしまったら、ちょっと聞かせてほしいと頼む。大声でドッキリしたら、申し訳ないけど、先生は突然大きな音が出るのがとても苦手です、と伝える。

生きる意味はそこら中

 私は「問い」の多い人生を歩んできた。多分生まれた時から私は問い続けている。幼い頃から母や父に兄弟に、思いつくことは何でも尋ね続けていた。兄弟の会話の中では「もし〜だったらどうする?」という話が多かったし、食後にもずっと食卓に残って家族でそんな話をしていた。  あの時間が大好きだった。  学校や公の場では時間の流れや他の人の心ない言葉が怖くて、「問い」は心に押し込んだ。そして大人になって海外に行ったら、「問い」はそこら中だった。世界中から集まってきたバックパッカーたちと毎

インクルーシブって、なぁに? 

 SNS散歩を楽しんでいる時に出会ってハートがギュンと吸い込まれたこの本、書店には並んでいないということで紹介されているサイトから申し込んで読了。  「子どもを分けない場」って、魅力的なワード。人々はこれを見て古いって思うんだろうか、新しいって思うんだろうか。 今時代の最先端は「人を分けること」で、自分や我が子がいかに「勝ち組」の方にいるか、そればかりに心奪われている人も多いかも知れない。 私に寄せられる質問の中には「英語のクラスは出来る子と出来ない子を分けるのですか」とい

映画「夢みる小学校」感想

 ずっと気になっていたオオタヴィンさん監督の「夢みる小学校」を観てきた。映画の広告にあったのは、「宿題がない、通知表もない学校」「大人も子どももこんな学校に通いたかった」という言葉。  正直私はあまりにも教育や子育てに近いところにいるばかりに、こういった「特別な」ケースにあまり惹かれない。みんなが憧れること、みんなしたいこと、でも社会が変わらないから仕方ないじゃん、という子育て中の皆さんの声を日々聞いていて、手放しで理想を追い求めることの難しさを常に意識してしまうから。  で

これからの教育(私の仮説と確信)

 私の職業は英語講師だけれど、英語教育と同じくらい研究し続けているのは子どもを取り巻く環境。子育て。教育。 最近風呂場で娘に大発表した私の仮説は、「勉強が出来ない子どもはいない」というもの。誤解を恐れず言うならば、子どもには、否、人には"学びたい欲"がある。学ばなければいけない、のではなく「学びたい」欲。 どうやって食べ物を確保しようか、どうやって食べ物を腐らせずにずっと保存しようか…から始まって、より生き残りやすく知恵を絞り続けてきた歴史を振り返ってみても「考えること」「学

たとえ話

 私はたとえ話が好きだ。 自分自身が考える時に、もっと噛み砕いて考えたいとたとえ話をよく作るから。だからかな。私はいつも自分の中に3歳児を抱えていて。 「どうして?」「なんで?」がいつも心の中を占領してる。 だからだろうね。  それが自分が育児をする時、そして今の仕事に大いに役立つなんて、誰が想像したでしょう? 本当に役立ってる。そして相変わらず私の中にいる3歳児にも、もちろん。  めちゃくちゃ厳しくて、ヒステリックな程に何かに怯えている大人の人を見た時に、私の頭にネジ式

評価地獄の住人たち

やり方が強引な方、圧力に頼る方を見ていると、自信がない方が多い。だからこそ、余計に人を寄せ付けない厳しさや説得力のない圧力になって、人を遠ざける。 教育者を追い詰めると、危険。 子どもたちに寄り添うどころか、力任せに動かす方を選んでしまう。そこで育つ子どもたちは苦しそうだ。 まずは大人が周りからの評価から距離を置かないと、自分の評価で潰れてしまう。 特に先生、特に親。 自分がうまくやっているかどうか、よりも目の前の子ども。 私も苦い想いをたくさんしてきたし、反省する