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死の先に救いはなかった。

なんとも暗く狭い箱の中に住んでいた。

追い詰められたいきものは生と死について考え始めるのが本能なのか、自分もそのうちのひとつの命で箱の中での完結が選択肢にあった。

だけど本当に馬鹿真面目に生と死のメリットデメリットについて、フィクションノンフィクション問わず様々な知見を得て考えすぎた結果、死の先に私の救いがないことに気が付いてしまったのである。


宗派的にも死んだ先にキラキラとした優しい世界があることはピンとこず…

なんとなく地獄についてはあるような気がしているが、

ただ電源を落としたように意識が途切れて、肉が腐る前に灰にされる……

現実的にはこんなもんだろうと。(まぁそれがいいという人もいるとは思う。)


『痛い思いをするのは嫌だな、痛みで痛みは緩和できない

 自分が死んで誰かが悲しんだとしても波打ち際の砂の山程度だろうな

 それに…死んだあとの世話は、いままで支配してきた人間が行って

 いかに悲しいかそれはそれは悲劇的に、自分がしてきたことなんて

 なかったように被害者のような顔をして振舞うんだろうなぁ……』

小さな頭でいっぱいいっぱい考えた結果これが結論で、一番気に食わないことだった。

なんせ血縁者は話が通じなさすぎる相手だったので、遺書を書いたとしても本意が伝わる気がしなかった。いつも通り。

つまり死んだことによる報復は成り立たずに一生を終えてなお暗い箱の中でアクセサリーになり続けるだけなのである。

ちなみにこれは後々に正解の解釈だったと判明する。

強めの意志で書いた血縁者宛の絶縁状は母に握りつぶされほかに誰も読んでいない。遺書を書いたとしてもきっと同じことになっていたんだろう。

そして絶縁状が来たことは言わずに「子に避けられているかわいそうなママ……でもママは許してるからね……」をずっと続けているそうな。


あぁおぞましい、おぞましい。(笑)


死の先に良いことを求める人だけじゃないだろうけど、少なくとも私は損得で考えがちなのでこんな風に今も生きている。

とにかく箱を抜け出せ、抜け出せ、他のことを考えるのはそれからだ。

抜け出した後にとてつもない感情の反動もきた。

それでも生きるほうに救いを求めるほうがわかりやすくてよかった。

10年抱えた重さは10年……いやもう少し?はかけないと救われない。

でも今はもう箱の中じゃないから何が起きるかわからない。

箱の外でのんびりと道を歩きながら自分で救いを見つけていこう。


焦るな、焦るな、うまくいくから。

……これはここ数年おみくじを引くと書いてあること。文は違うけど。

焦らず拾います。


いつもおいて行かれるのが当たり前だった旅先へ行くのが、次の救いです。

おいて行かれた記憶がよみがえるのが怖くて行こうとも思わなかったけど、

前に同じように連れて行ってもらえなかった別の場所へ行ったところ、なんだこんなもんか……と吹っ切れたのです。



あなたの救いはなんですか?


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