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枇杷かな子さんの漫画を読んで、私も祖父母のことを思い出したこと

枇杷かなこさん、笑えたり、ほっこりしたり、しんみりしたりできる私の大好きな漫画です。

私は、おばあさまとのお話が一番好きで、
読んでいると、
自分の祖母と似ているところも似ていないところも、なぜかとても懐かしく感じられてきます。

それはきっと、枇杷さんのおばあさまへの思いが静かに伝わってくるからなのだと思います。

忘れていたけれど、
胸の中にちゃんとあった温かいものに出会えると思います。
すでにご存知の方も多いと思いますが、
まだの方もぜひ読んでみてほしいです^^

私の祖父母の思い出

私の母方の祖父母の思い出は、
とても鮮やかに残っている。
全く写真も何もないのだから、れっきとした自分の記憶なのだな〜と時々思い出すとほっこりする。
父の記憶は、自分の記憶なのか、もはや写真で見た刷り込みなのかよくわからないけれど、
祖父母との記憶は幼少期ですら、温度感とか光の感じとかもよく覚えている。

私は、2人を「いんきょじーちゃん」「いんきょばーちゃん」と呼んでいた。
〝いんきょ〟が〝隠居〟だと気づいたのは2人とも亡くなって大人になってからだ。

私がそこに行くのは、たいてい預けられるときで、母が仕事に行くのは寂しかったけれど、
そこの空間も2人のことも大好きだった。

小さい藁葺き屋根の家で、
ほぼ自給自足していた。
田んぼ、畑があって、豚、牛が1、2頭ずついて、鶏、お蚕様、あと猫がたくさんいた。
ヤギのいた記憶もちょっとある。
すぐ裏が山でキノコや山菜もとった。

豚と牛の前を通るのは、当時は怖かったけれど、今なら可愛く感じたろうなぁと思う。
だってすごく大きく見えてたから…

ガスもあったけど、かまどで薪も使って外でもよく何か作っていたなぁ。

ばーちゃんの思い出でよく覚えているのは、
食べ物にまつわることが多い。
魚肉ソーセージの入ったカレー、
いちごに砂糖をたっぷりかけてつぶして牛乳をかけたもの、
毎日猫に猫まんまをあげてるところ、
王将の歌を大音量で流して定期的にくる魚屋の車に買い物に行ったことなど。

ばーちゃんはとても痩せていて、おしゃべりではなくて、いつもよく動いていて、座っている姿をあまり覚えていないくらい。
少しハスキーな声で静かに笑っていて、とても穏やかだった。

じーちゃんの思い出は、
山によく一緒に行ったことと、
わかば🚬を吸っていたこと、
それからいつも謎に大量の薬を飲む姿だ。
正露丸、キャベジンをいつもなぜか10粒とか飲んでいた(笑)
寒がりで服を何枚も着ていた。

豚と牛は、育てて売ってお金に換えるためのようだったが、とても可愛がって育てていた。

あとから母に少し聞いたとき、じーちゃんは何かとお金にする方法もトライする性格だったようで、もっといろんな話ができたらおもしろかったろうなーとすごく思う。

じーちゃんは、私のことをとても可愛がってくれていたと思う。
亡くなるまで自宅で過ごしていたのだが、亡くなる少し前くらいに会いに行ったとき、もう言葉はほとんど話せなくなっていて、
それでも私だとわかるととても嬉しそうに笑顔になって手を握って離さなかった。

私も無口だったので、「じーちゃんこんにちは」くらいしか話さなかったけれど、
ただしばらく手を握りあっていた。

寝てる布団の隣には、水と吸飲み、
しびんが置いてあった。
私が大きくなったのと、じーちゃんが小さくなったので、か細い姿に本当に寂しくなった。
おんぶをしてもらった記憶もあるのに。


ばーちゃんがいつも看ていて大変だったから、母たち姉妹は、じーちゃんが亡くなったら、
ばーちゃんを旅行にたくさん連れてってあげようと思っていた。

じーちゃんは、家の外に出るのが頑として嫌いな人で、そのおかげでばーちゃんも出かけられなかったから、とのことだった。

でも、じーちゃんが亡くなると、ばーちゃんも一気に元気がなくなってしまった。
なんでもかんでも1人でやっていたのに、
どんどんできなくなってしまった。

じーちゃんと生きることがばーちゃんの生きる原動力だったのだろう。

旅行も1回は行けたのかな、
あれよあれよと、衰弱してしまい、
ばーちゃんも亡くなってしまった。

その頃は私も高校生にもなっていたし、少し頑張れば自分で行ける距離だったのに、1人で会いに行くという考えがなかった。
もしその考えがあったら、もっと会いに行ってただろうか…行ったら何をしたんだろう…



たぶんじーちゃんは〝生〟をしっかり全うした気がする。やりたいことをやっていた。
ばーちゃんはどうだったんだろう…

そんなじーちゃんといることで十分幸せだったろうか…
動物たちは癒しだったろうか…
毎朝4時5時に来ていたお茶飲み友達がいたから幸せだったろうか…
子供たちも優しかったし、孫にも囲まれたし
悔いはなかったかな…

いつか会ったら聞いてみよう。
ハスキーな声で静かに笑って、短い言葉で答えてくれるんだろうな。


祖父母の家で祖父母と過ごす時間は、
ただただ素直な子供でいられた気がする。
本当に大好きでした。



そんなことを思い出させてくれた枇杷さん。
noteのここの場所、読んでくださる方、
ありがとうございました(´∀`*)



いい意味で過去から解放されて、誰もがそれぞれの夢にむかえる世界になることができたらと思っています。 そのきっかけやお手伝いができたら嬉しいです。