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やっとみつけた!掃除の本質

今日は燃やせるゴミの日。
お風呂の排水口のゴミを集めたついでに、汚れを掃除していた。偉いでしょ?

古ハブラシでコシコシ、コシコシ、コシコシ…

ずっと、私は、あまり掃除ができない人だった。
子供の頃から。母もそうだったから、うちは汚かった。
なぜか、学校や仕事上の掃除は積極的にやってたけど。
本当に自分の家は、しなかった。別れた旦那さんも、それにはイライラしてたな。

私は、掃除がなんだか分からなかった。
掃除した方がいいのは分かる。綺麗なのがいいのは分かる。
でも、それだけじゃ、何だか分からずに来た。
なぜ、埃や落ちた髪の毛、油、飛び散った食材、うんち、なぜそれの立ち位置が変わっただけで「汚い」扱いされるのかも、疑問だった。自分も汚い扱いしてるんだけどね。埃は布団や衣類から出たものでしょ?髪の毛はただ体から抜けただけでしょ?油も食材も、口に入れるものでしょ?うんちは臭いけど、臭いだけで、別に大事な物じゃん。偉大じゃん。
炊事洗濯はしないと生活が回らないけど、掃除は
しなくても生活できるのも、やらない一因だった。

それが…今日コシコシしてたら、ふと分かった。
掃除とは、何か?

汚い物を取るというより、
付いてしまった余計な物を取って、本来の姿に戻すこと。

これ、今私が自分にしようとしてることと同じだと気付きました。
そして、あらゆる人にも必要なことだと思いました。

私は、本来の、シンプルな自分に戻ろうとしている。その一歩が、本心で生きること。
私も、全ての人達も、生まれてから育つ環境によってどうしても余計なものをたくさんくっつけて来る。そして、それぞれのタイミングでそれに気付き、落として行こうとする。
デトックス。
断捨離。

この2ヶ月、私はトイレ掃除だけは毎日続いている。この原動力となっているのは、トイレのリフォームで我が家から去って行った古い便器への罪悪感と感謝だ。ろくに掃除しなかった便器がとても哀しそうだったから。
掃除が何なのか分からなくても、私はこの原動力によって、プラス一回できたことの達成感の積み重ね、プラス一回の綺麗になった事実の積み重ねにより、続けて来れた。
そうしながら思うのは、(というか元々当たり前なんだけど、)汚れが少ないうちに掃除すれば大した汚れにならないのだ。それを便器を前にしみじみ思う。

私たち多くの人間も、余計なものがくっついたら、…くっつくのは仕方ない、当たり前、生きてるんだから… 溜まり過ぎる前に落として行けるといいよね。

私は、そんな意味を込めて、
人の話を聴きたいと思う。
話すと楽になるもん。発見もあるもん。
ちゃんと聴いてくれる人じゃないといけないけどね…
話を聴いてもらえると、余計なものが取れて、肩の力が抜けるんだもん。
だから、いつでも話を聴ける存在でありたいなって思う。

掃除と自分、掃除と人間が私の中で本質の部分で繋がったことで、私はこれからきっともっと掃除ができるようになると思う。
実際、排水口の後、他の所も気になって自然に掃除したんた。

家の掃除は、自分の掃除と同じだと思う。
家の汚れを見ると、私こんなに余計なもん付いてるんだな…と思う。近年いろんなことに気付いていっぱい落として来たけど、まだまだあるんだな…と見える。こういうことも巷でよく言われてるけど、私はやっと自分の感覚で、感じた。

掃除するのは、ずっと面倒臭かった。
誰かしてくれよ〜と思ってた。
いやまぁ、誰かしてくれたら嬉しいわ、それは変わらんわ😂
でも、本来の姿に戻るのを目の当たりにできるのは、結構爽快かもしれない。自分がそうなりたいんだもの。

やっと分かった💡 掃除が何なのか!

人は、物事の本質を自分で見付け、自身と繋がれば、動けるんだな…ということも、わかった。

同じ事柄でも、人によって本質の置き場は違うと思う。
人が、ある物事に対して、その人なりの本質を見つけるサポートがしたい。

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海の青です。海に本音をこぼそう。

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最後までお読みいただきありがとうございました🌷

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