「私をジャッジしないで」
これは、中学生の時国語の教科書にあった詩だ。
当時は特に心に引っ掛からなかった。詩に興味もない。ただやらされた勉強の一つ。
それが大人になって、この題名が頭の中に浮かんで来た。どういう内容だったんだろう?と調べると、ちょうど私が感じていたことと同じだったんだと思う…コレだ!という感覚が来た。
そこからまた、10年経った今、
人の話をジャッジしたくない…私もジャッジされるのいや、大嫌い…と思ったら、「私をジャッジしないでください」のフレーズに変換され、またこの詩を思い出した。
改めて読むと、やはりとても素晴らしいと思う。
その気持ちと、表現が好きだ。
さて、やっと本題に入る。
私、ジャッジ、評価されるのが異常に嫌い。苦手。恐い。恐ろしく恐い(←オモロ)。
これは、裏から見ると、私はジャッジの無い世界を望んでいる、ということだ。
ジャッジ…うーん、やっぱり日本語にしよう…
評価の無い世界… 考えただけで肩の力が抜ける、安心する…🤤… あぁ、評価の無い世界にぷかぷか浮かんで流されたいわ… そんで気付いたら死んでる、死の境界線を越えてる… みたいなのがいいな〜 幸わしぇ〜🤤…
私は聞き上手だと思って来て、人の話を聴くことを仕事にしたいと思っているけど、そして、❛何事も良いも悪いもない、ただ、そうである❜ と思っているから、相手の話をジャッジしないで聴こう…と思っている (「思っている」連発、良い文章じゃない‼😑)
のに!
結構、いつも「すごーい」って言ってるな〜と気付いて💧「すごーい」も「良いですね」もジャッジしてんだよね。良い方に。
私ね、確かに、こう言う時、ちょっと違和感あったんだわ、気付いてなかったけど。ちょっと白々しいっていうか、そういう良い方の反応すれば相手が喜ぶし傷つけないし、自分はうまく話を聴いてあげてるんだよ…っていう、こうしときゃいいでしょ、みたいな、安易で姑息な反応の仕方のような気がしてたんです。バカじゃない?サイテー。キモ。笑
あー、これに気付けてよかった〜
♪あ〜よかったなぁ、あなーたがーいて〜♬by花❁花(好きでも何でもないのになぜか耳に残っている)
でもさ、実際、私も「すごい」って言われるの好きなんだよね😅「すごい」って言われたい。「すごい」って言われると嬉しい。
困ったなぁ…
「すごい」って何?
…ぞっとするほど優れている。程度が甚だしい。だと
うん。
私は、「すごい」の評価が欲しいわけじゃなくて、そうして誰かの心に響くこと、心を打つことをできると嬉しいんだ。
やっぱり、自分の存在や挙動が誰かに小さな感動を与えられ、その人の肥やしとか彩りになったら嬉しいんだ。そうすると、自分の存在を嬉しく見えるから。生まれてきたから、自分が活きて欲しいから。
もしまた「すごい」と言われたら、そこは素直に感動として受取り、
誰かに言うのは、しばらく意識して安易に使うのは止めてみようかな。言いたくなったら、「おぉ〜」ていう感嘆の声に変えてみよう。
そしたらそのうち、「すごい」の本当の意味も見えて来るかもしれない。そしたら白々しく使わず、きっと大事に使える。
昨日、「傾聴」というものを少し聞きかじったんですね。そこから得た気付きでした。
ありがとうございました。
そして、詩というものを自分は好きで。
大学生の頃よく書いてて。
友人にも贈ったりしてたことを改めて思い出し、
私が実際に対話のサービスを始めたら、
そこで感じたことから詩を作って、その方に贈ろうかな…と考えました。その方の芯を捉え、その方の芯が安心してそこに居られるような、そしてその方の人生の彩りになるような、道端に健気に咲いてる小さなお花のような、そんな詩を。
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自分の発見にもつながりますので、お楽しみに。
最後まで読んでいただきありがとうございました🌼
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