アウトプットの幸せ
※私はアウトプットの本当の意味を知らないかもしれません。ただここでは、「自分の中から出す」という意味合いで使います。
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好きな人に好きと言えること って、幸せです。
自分の思ってることをを言える って、幸せなんです。
なぜかな?
まずは、言うってことは、言葉になってるし、声になっている。その時点で、自分が自分の思いを認めてるんですよね。「私はこう思ってるんだ!」って。それって最高じゃないですか?
自分が自分の思いから目を逸らしたり、隠したり無いものとしたりしたら、こんなに自分がガッカリ、哀しいことはありません。
そして、それを独り言でなく、聞いてくれている人がいるから話すわけで、
自分の思いを聞いてくれる人がいるというのは、途中でバッサリ遮ったりその場を去ってしまったりせず、耳をこちらに向けてくれているというわけで、共感や反感など反応はそれぞれでも、その行為は、こちらの思いを受け止めようとしているわけです。聞くってことは、存在を認めてくれてるんです。
また、「好きな人」で言うと、
私は〇〇さんのことが好きです、と、第三者に言うよりも、
本人に「好き」と言えるなら、それが一番幸せです。
伝えたい人がいるなら、伝えたい人に伝えるのが断トツで幸せです。
私は、好きな人に好きと言える機会は少ないけれども、普段言えない状況だからこそ、言えることの貴重さと、そのものすごく深い幸せを知っています。
一昨日、インスタライブという初体験の場で
自分の思いを話す機会がありました。
対話形式だったのに、不具合で相手の顔が見えず、声は聞こえるけど、反応やタイミングが掴めないのもあって、私は一人でベラベラ喋っていたと思います。それがもしかしたら逆によかったのかもしれないけど、ベラベラ思いを喋りまくって、それでも全然足りないし「ああ言えば良かった」とか有りまくりだけど… 終わってみたら、幸せでした。
やっぱり、幸せを感じました。
自分の思いを話すって、こんなに幸せなんだな…と思いました。
話せたことが、本当に嬉しかった。
聞いてもらえたことが、嬉しかった。
内容はさておき、そこに満足感があった。
アウトプットは幸せ。
「出す」とは、認めていること。
話すことで外に出す。
書くことで外に出す。
話す相手がいなくても、
聞いてくれる相手がいなくても、
書くことはできる。
自分の中に「思い」が溢れている時
人はインプットができないのかもしれない。
私は、もう1ヶ月ほど、インプットができてない。
インプットをしたがらない。
もっとアウトプットを。
どんどんそれを出さないと。
自分を生きたいなら、
もっと、出してごらん?
出したら出しただけ、幸せになれる。
ああ、好きって言いたい。
気になるって言いたい。
なんで?って言いたい。
みんな、言いたいこと、たくさんあるんじゃないの?なぜ、言えないんだろうね?抑えるんだろうね?
私はあなたの思い、聴きたいよ。
素直な、ただの、そのまんまの言葉。
書いてる立場が、あっち行ったりこっち行ったり、まとまりの無い、方向性のない、変な文章になっちゃった。今日の出来はこれで。
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行き場に困っている思いはありませんか?
その思い、私が聴きます。
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