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世界はこうして動いている〜自分への一石〜

私は子供たち相手にとある講師をしている。その教室で、保護者面談を行うことにした。単純に誰かと対話したかったのと、保護者がどんな思いでいるのか知りたかったから。

それに当たり浮上した、一つの迷いがあった。
一人の生徒のズルい行いを、親御さんに報告するかどうかだ。その行いは、私が二度注意し、やらなくなった。一度目は軽めに(先生は知ってるよ、ぐらいな)、二度目はガッツリ…かなりグズグズ言ってたけどね。

今はやっていないのだから、余計なことを親に言わなくてもいいんじゃないか?
でも自分が親なら、子供の現実は悪いことでも知っておきたい。
それなら言った方がいい。
でもこの親御さんの場合、今までの感触からすると…もし言ったとしたら、必要以上にこっ酷く威圧的に叱りつけ、その子は必要以上に傷付いてしまうのではないか?
私が親に言ったということで、私への信頼が失われるのではないか?私への信頼は無くなっていいとしても、一人の大人への信頼を失うということが、子供という存在にとってダメージにならないだろうか?
今はやってないのだから、水に流せば良いのではないか?それが生徒を受け止め、成長を応援することではないか?

私はとにかく、生徒にとって一番良い選択をしたかった。

そして私はこの迷いを、対話の場で振り払うことができた。

私は、生徒の生きる力を信じる=親御さんに伝え、あとは本人達に委ねる という選択をした。

私が一番大切にしたかったのは、私が想像して決めつけた生徒にとっての一番ではなく、生徒自身の生きる力を信じることだった。

いよいよ、その面談の時が来た。

と言っても、意外に私は構えていなかった。構えていない自分に気付き、ちょっと構えてしまったが…私が、大したことじゃないと心底捉えサラッと伝えるのが良いだろうと、深追いするのはやめた。

ところが…

親御さんは来なかった。すっぽかし。

お電話すると、日時決定の手紙を生徒から貰ってない、とのこと。そして、体調が悪いから、ご提案した別日も難しく、面談はやめていつか授業を見学に行き、その時に少し話す形にする。ということになった。
ちなみに、教室はいつでも見学OK。

見学となると、生徒本人も目の前にいる。他の生徒達もいる。みんなの前で言うようなことじゃない。

となると、例の件は伝えない、という結論に辿り着いた。

そっか… 結局は伝えなくて良かったんだ。「伝えない」という選択を、世界がしてくれたんだ。一番いい所へ、世界が運んでくれたんだ。

もしかしたら、初めから私が「伝えない」選択をしていれば、それが正解だったのかもしれないけど、そういうこっちゃない。

私は迷っていた時に、対話の力を借りて自分自身に一石を投じたと思う。

それは、恐い選択だった。私の行動一つで生徒が不必要に傷付くかもしれないから。でも、それって、なんて傲慢なんだ。自分がどんだけ力持ってんだ?その傲慢さやエゴの片鱗を、当時、感覚の片隅に感じたことも私を誘導し、その恐れを振り払って、心を決めることができた。
「あんた(私)、それを大切にしたいんでしょ!」という鋭い一石だった。

その真っ直ぐな一石があったから、波紋が自然に広がって行った。それが少しづつ少しづつ世界を動かし私の周りの世界が少しづつ少しづつ誤差を埋めるかのように、調和に向けて動き出した。
何の根拠もない…ただ、私がそう感じるだけだ。

別の見方をすれば、
私と、生徒と、親御さんと三人が、見えない世界で相談して、こうしよう、こうなろう、と決めたんだ…そんなふうに見えた。

もっともっと前から辿れば、
私がその対話に辿り着いたのも、今の私が今の私の精一杯の真っ直ぐな本心で生きているから、だと思う。

こうして、本心で生きようとすると、周りの世界が信じられる。何が起こっても信じられる。

世界はこうして動いているんだ。

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