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緊張と緩和と羞恥心

 ええカッコしようとすると緊張し過ぎてダメだし、リラックスし過ぎるとそれはそれでダメ。練り過ぎるとつまらなくなるし、練らな過ぎるとやっぱりダメ。
 俺の場合、呼ばれて嬉しい仕事は緊張するしつまらなくなる危険性のある仕事ということになるわけで、呼ばれて嬉しい仕事で緊張し過ぎた上につまらなくなるのは、一番恥をかきたくない場所で恥を晒すという事になる。結果的にしばらく凹んで暮らす事になる。そんな事は充分に分かっているわけだから、もちろんそうならないように慎重に準備をするわけだけれども、20年近くやってきた今もそのバランスを間違う時がある。
 失敗はやっぱり恥ずかしい。昔の失敗というものはその時には気付いてない事も多いわけだけど、時間が経った今、ふと当時の自分の過ちを思い出して一人で赤面したり、なんとも言えない気分になってうなだれたりする事もままある。とはいえ、そんなものは誰しもあるわけで、広い心で考えてみればどうという事もないなあというところで結局気持ちは鎮まる。
 しかし、ある程度色々と分かるようになった今、失敗している最中に自分でその理由に気付いてしまっている時なんかは、全くどうしようもない。「気持ちで負ける」なんて事はもはやそんなに無いのだけども、「気持ちで負けない為にした対策が失敗している」というのは本当に情けないやら悲しいやらで、救いようがない。
 2年に1度くらいのペースでそういう日があるから、呼ばれて嬉しい仕事にはより慎重になったりする。失敗しないように慎重になると慎重になり過ぎて失敗する気がするし、無防備でいればやられっ放しなわけで…すごいジレンマ。

 なぜか最近しばらく会っていない旧友に会う機会が多いのだけれど、会うと必ず過去の失敗を掘り返される。「あの時(10年も前)ダブルブッキングしたけど、今回は大丈夫?」とか「なみへいにケツ蹴られた記憶があるんだけど…」とか「今日は客席に元カノ来てたりしないよね?」とか。もちろん冗談なのだけど、今になって聞くと、我ながら「なんなんだ俺は」と思う。どんな奴なんじゃ俺は。ずいぶんと大人になったと思う。とはいえ、そんな事を言ってくる自分の過去を知っているような相手に対しては、当時の自分がムクムクっと顔を出しそうになるわけで、チラッとでも覗かせようものなら「やっぱり変わってないな!」と思われてとてもシャクだ。

 こうして過去と未来に挟まれて、バランスを崩さないように必死に生きているわけなのだけれど、なんにせよ生きてくっていうのは恥ずかしいもんだなあと思う。昔の自分を思い出すのも恥ずかしいし、旧友に変わった自分を見られるのもなんだか恥ずかしいし、今後もどうせ恥をかくのだろうし、今の自分だって今は気付いてないだけで未来の自分にとっての恥ずかしい存在になっているんだろうし。どう頑張っても、どう工夫しても、やっぱりどこかで恥ずかしい思いをするんだろう。それでもまあ良いかと思えるのは、過去の自分を恥ずかしく感じると同時に、なんとなく滑稽で面白おかしく感じる事ができるからかなと思う。さすがに愛おしくは思わないんだけれども。さすがにそれは。

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