ジェンダーギャップ解消より合理的配慮社会のほうが良くない?
ジェンダーギャップ、という言葉をよく耳にする。
解消しようという意味で聞くのだけれど、聞けば聞くほど、意識していなかったジェンダーギャップを残したくなるのは、私が天邪鬼だからだろうか?
それで済ませて良いのだろうか?
田舎に住んでいる。
というのは、こちらの記事でも書いた。
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この記事にも「田舎」というタイトルをつけていたな。
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お察しの通り、ジェンダーギャップなんてそこらじゅうに蔓延している。
嫁にきた約20年前は今以上だった。この20年で経験した中で「これはジェンダーギャップなのか?」と思うものをあげてみようか。
会社では重いものを持ったり、高いところのものを取ったりしなくていい(男性がやってくれる)
掃除や朝の新聞取りは女性がやることが多い
役職が付いている(課長、部長、次長、など)のは男性が多い
給料は男性の方が高い傾向にある
勤務時間は女性の方が短い
町内会の「長」は男性
PTAの会長は男性が多い → 卒業式で祝辞を言ったり運動会で挨拶するのも男性が多い
子どもの送り迎えは女性が多い
自分の身の回りで書いてみるとこんな感じ。これを見て、人は「解消しなきゃ」と言うのだろうか?
正直、重いものは持ちたくないし、長時間働きたくもない。仕事の量と責任が違うのだから出世や給料に差が出るのは当たり前である。
同じ仕事をしているのであれば差が出るのはおかしいと思うのだろう。が、私の場合は同じだけの仕事をしていないのだ。納得感しかない。
掃除をする頻度が会社でも家でも多いのは、気になるからである。特にルールで決められているわけではなく、気になったら掃除をする。その「気になる」頻度が女性のほうが多いだけである。
きれいな空間で過ごしたい。掃除をするのは自分のためである。
私が感じているのは、良い思いをさせてもらっている、ということ。女性だから、で許されていることが多く、正直ありがたい。
責任を果たしていない、というのであれはそうなのだろう。
甘い汁を吸っていると言えるかもしれない。
思うに、ジェンダーギャップを解消したい人は2種類いるのだろう。
頑張りたい女性
頑張りたくない男性
頑張りたい女性にとっては、道が狭く見えるのだと思う。職場の掃除や、雑用、子どもの送り迎えに時間を取られることなく、もっと働きたいという女性がいるのだろう。
そして、頑張りたくない男性から見たら、女性は楽をしているように見えるだろう。同じように頑張ってくれ、と言われれば確かに「申し訳ない」と言うしかない。
ただし、すべてのひとが上記2種類に当てはまるわけではない。
感覚としてはやはり、田舎に残っている人ほど当てはまらない、ということだろう。
私は、頑張らず、争わず、家の中が快適であればしあわせなタイプである。会社という場所になかなか落ち着くことができず、できるだけ家にいたい。話す相手は究極旦那さんさえいてくれたらしあわせ。広い視野で物事を見たり、問題解決していくのはチョー苦手。要するに引きこもり気質なのである。
頑張りたくない女性にとって、一番苦手なのが頑張りたい女性である。
彼女たちは頑張っていると思う。すごいと思う。能力が高いと思う。生きづらいだろうなと思う。いろいろできてうらやましいな、とも思う。尊敬しかない。
そして、怖い。
同じことを「女性だから」というだけで求められても困る。私にはできないし、やりたくもないのだ。
ポンコツで、体力がなく、打たれ弱く、争いを好まず、伝わるように話せず、考えるのがゆっくりで、力が弱く、過敏(嗅覚過敏、聴覚過敏、視覚過敏)で、こだわりの是正に時間がかかり、トラウマが多数あり、頭痛もちで、疲れやすく、とにかく生きているだけで消耗する。これ以上、何かを頑張るのは遠慮したい。
私だけでなく、大人も子どもも発達障害が増えている今、同じように生きているだけで消耗している人も多いはず。むしろそういう人たちが生きやすい社会を目指したい。
なんて言うんだろう?
「合理的配慮社会」とか?
(それならジェンダーギャップ解消も含むんじゃないかな?)
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