無境界の友

鬱期から始めたnote 想いを綴る

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復活

嫌なことばかり書いてるブログに嫌気がさして 辞めてしまっていた。 うまく行っていると、暗い時期があったな なんて余裕をかます。 でも嫌なことは割とすぐ起こる。 今心が身体が停滞している。 体重だって増えてますます停滞している。 私はある特定の人に、何か特別なことを要求しているわけじゃないのに、伝わらない。噛み合わない。ってことが物凄くある。 どうしてなの。 悔しい。 イライラする。 負の感情に飲み込まれる。  そしてこの気持ちは、誰にも助けてもらうことができな

    • 無条件で自分を愛して良いって授業で教えてくれよ

      無条件で自分を認め、愛する気持ち どうやったら身に着く? これをやれてれば立派 これをもってたら立派 刷り込みはテレビからか ネットからか こんなところで終われない 死んでも死にきれない

      • わからないことしかない

        生きてると方向性が欲しくなる 安心したい それは今だって変わらない でもそれが、恋愛して結婚する事だと思ってた 子供を育てるのが幸せの方向性だと思ってた 思ってたというより、今でも思ってる 憧れている それにプラスでなのか それ単体でも良いのか それも決まってないけど 自分の好きな事でお金をもらえるようになりたい 評価されたい そしたら恋愛の仕方も楽になりそうだし 結婚と子どもを持つことだけが幸せ っていう考えとは変わってくると思うから 結婚して子どもを育ててる人

        • 胸に内なる子どもがいる

          内なる子どもと共に生きていて 常に子どもが私に訴えている 悲しいよ 楽しいよ 安心するよ 寂しいよ 感動するよ 胸が痛くなっているとき 内なる子どもが痛いよと教えてくれている そんな時は抱きしめる 分かってあげる 外側に実態のある子どもではないので 内なる子ども声は、わたし本人に分からない 他人にはわからない だからわたしが気づいてあげる 内なる子どもと共にいるから わたしはいつでも1人じゃない 想像妊娠とかそういう話ではない 心を子どもと思う イン

          石ころの愛と、夕暮れの寂しさ

          私は恋愛的な惚れた感覚ももちろん好きなのですが オキシトシンが出る感覚の方が長期的に大切だと思っております オキシトシンってネットでググるといっぱい情報が出てきますので、私的、恋愛以外でオキシトシンが出ると感じる出来事は 好意的(嫌いじゃない人)な人と連絡をとっている メッセージだけでも 電話だけでも 植物を育てる 美しいと思ったり 癒されると思うとき 家族といる時 食事したり 会話できたら なおよし 広く浅い人 職場の人との会話 お年寄りに道を聞かれたり、話しかけ

          石ころの愛と、夕暮れの寂しさ

          慢性寂しい

          寂しいってどこから生まれて どうしてここまで留まるのだろう 寂しいと動けないんです 本も読みたい 映画も観たい 外出だってしたい でも寂しいが邪魔して 身体が鉛のように重たいのです それは鬱病の薬を飲んだとて、 治るようなものではなかった 今日実感した中で、寂しさを和らげる方法は 理解してくれる人間にアウトプットする レスポンスが来る (もちろん会って話せる友達は少ないので、SNSの音声で会話形式) 良くない方法例 精神安定剤を飲む 酒を飲む 恋愛依存 その他 私

          慢性寂しい