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「人に優しくしなさい」は正しい教えなのか

 4歳ぐらいまでの幼少早期は一言で言うと「自分には価値がある」という感じ方をひたすら育む時期と言えます。

人は年齢に応じた課題を乗り越えることで心理的に成長します。

幼少早期の課題を乗り越えることは、生きる上での土台を作ることです。

その時期、親(主たる養育者)から存在や感情を肯定的に受け入れられた子供は、自分には価値が有るという感じ方を心の根っこに築きます。

自分は存在するだけで無条件に価値が有ると感じる事が出来る子供は、あらゆることに臆する事無く積極的に取り組む事が出来ます。

失敗しても自分には変わらず価値が有ると感じているから、失敗が怖くありません。

幼稚園や小学校に入っても、積極的な姿勢が出来ているので、挑戦しては成功体験や失敗からの学びを積み重ねます。

勿論、成功や失敗に左右されること無く、自分は有価値であると感じているのです。

自分に有価値を感じる事は、心の成長の基礎が出来ていると言うことなのです。


翻って、親から存在や感情を常に否定的に扱われて育つ子供も居ます。

その子は心の根っこに、自分には価値が無いという思い込みを作ることとなります。

その思い込みは信念にも似た強固なものです。

そのやけに頑丈な思い込みが邪魔して、その子は、心の中に確かな「自分」という意識を育む事にも失敗します。

すると、幼稚園や小学校で積極的に物事に挑戦する事が恐ろしくなります。

ありのままでは無価値な自分なのですから、成功することで初めて価値を手にすることが出来ると感じます。

有価値を感じる子供の原動力は、湧き上がる純粋な興味、関心、好奇心ですが、無価値感に苛まれる子供は、無価値感からの逃避が原動力です。

例え表面的には、余裕を見せていても、笑っていても、楽しげでも、心の中ではいつも追い詰められているのです。

無価値感に追い詰められて、ギリギリで頑張ってしまいます。

感情を感じる主体の「自分」を育てる事に失敗しているので、物事に純粋な興味、関心、好奇心を感じる事が難しくなってしまっています。

しかし、無価値感に苛まれる子供の中には、自分の感情を無視して、楽しげに振る舞ったり、物事に積極的に取り組んでいるかの様に振る舞う事が、とても上手くなる子もいます。

幼い頃から、自分の感情を捨てて、親の望む子供を演じ続けて来たからです。


この演じる事に長けた子供は、半ば自分が演じている事に気がつきません。

いわば、偽りの感情が、自分の本当の感情だと思い込んでいます。

表に出ているのが、偽りの感情ならば、本当の感情はどこにあるのでしょうか。

幼い時から湧き上がる感情を親から否定され続けるうちに、本当の感情にはオートマチックにフタをするクセがついてしまっているのです。


こうなってしまったのは、幼少早期の基礎工事に失敗し、基礎が歪んでいるのに、柱や壁を作ってしまったからです。

生きづらさを抱えた人が、手放す事を望む時、「自分を育て直す」ということを聞いた事があるでしょうか。

この 育て直し は、幼少期に失敗して歪んでしまった基礎工事をイチからやり直す、ということです。

日本では、道徳が重んじられ、「みんな仲良く」とか「人に優しく」といったことが、万人に等しく正しい在り方とされます。

基本的には間違い無いと思います。

日本では、と言いましたが、基本的には万国共通でそれが理想だと思います。

しかし、心の事を考える時、万人に通じる考えを、画一的に正しい「教え」とするのは無理があると思っています。

無価値感に苛まれていなければ、全体に正しい教えに沿うことも間違いではないのかも知れません。
(個人的には色々と思う所はありますが)

しかし、心は千差万別、個々に違うものです。

心の事こそ、先ず個があって、健やかになった個が、全体を構成しなければ、基礎工事に失敗してしまった個は、歪んだ基礎の上に柱や壁や屋根を作らなければならなくなります。

「人に優しく」だけをとっても、本当の意味で人に優しく出来るのは、自分に価値が有ると思えている人だけだと考えます。

無価値感に苛まれる人は、先にも述べた様に、追い詰められてギリギリの状態です。

その状態の人が、人に優しく出来るのは、どこか無理をしているのです。

幼少期に親から小さい弟には優しくしなさいと言われ、そうした様に、

幼稚園や小学校で教わった優しさを無意識にオートマチックに履行しているのではないでしょうか。

前述しました様に、生きづらさを手放す時にする「自分の育て直し」は、自分の感情を抑圧するクセを根本から直すこととも言えます。

無意識に教わった事を履行する優しさよりも、少し困った人間、幼稚な自分を解放することが、大切だと考えます。

勿論、幼少期の伸びやかな子供の様に、本当に我が儘になることは、難しいですが、我慢の上に我慢を重ねる事は、少し子供地味た正直な自分を閉じ込め続けることだと、先ず知って欲しいのです。

私はよく言うんです。
困った人だと思われてもいいじゃないですか。

我慢することを少し緩めたところで、困ったことには、得てしてならないものだと思ってます。

無理に無理を、我慢に我慢を重ねた環境は、偽りの自分の為の環境ですから、フタをした本当の自分を出すことに少しづつ慣れることも大事です。

本当に「人に優しく」なれるのは、自分に優しく出来る様になってから、ではないでしょうか。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム

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