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ネバーエンディング・ストーリー 「自分」が無い! とは 

※画像はWarner Bros.さんからお借りしました。

あらすじ

古い映画のお話しです。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

映画
「ネバーエンディング・ストーリー」
は、
1984年のドイツ・アメリカ映画です。
主人公のいじめられっ子のバスチアンは、
不思議な本
「ネバーエンディング・ストーリー」
に魅入られ、その世界に没入します。

本の内容は、
「無」(The Nothing)によって崩壊の危機に瀕した不思議な異世界、「ファンタージェン」を救うため、草原の勇者アトレイユが旅立つ。
勇者アトレイユと「無」との
戦いを描いた物語。

引用  : ネバーエンディング・ストーリー ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典2023年2月9日 (木) 15:32時点における版https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E5%B1%A5%E6%AD%B4/%E3%83%8D%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC


映画は本の世界に没入したバスチアンが彼の心の中で、勇者と共に「無」と戦い、成長する様子を描いています。


「自分」が無い世界

「自分」が無い世界は、まさしくこの、
「無」に侵された世界です。

何を見ても、薄い膜を隔てています。
何に触れても、膜越しです。
何をやっても、現実感がありません。

虚無感です。
虚しい…。

周りに合わせて、笑ってはいます。
時として、
虚無を感じていることを
誤魔化そうと
ことさらに大声で笑ったりします。

自分はこんなに楽しんでいる、と
アピールすることに
躍起になったりするんです。

楽しいこと、嬉しいことの傍らには、
いつもこの虚しさが居ます。

いつもいつも、周りに合わせて、
いつもいつも、空気を読んで、
いつもいつも、周囲にアピール。

いつだって、周り、周囲、他人…。

周りなんて、どうだっていいさ。
自分の好きなようにやってごらん。

そう言われても、
わからないんです。

自分が何が好きで、どうしたいのか。

周囲の反応がなければ、
わからないんです。

自分が起こす行動は、
アクションではなく
周りからの刺激による
リアクションなのです。

自分が主役であることを放棄して、
他人を主役に据えて生きる人生です。

どうして
こうなって、しまったのでしょう。

その原因は私、ノゾムが育った
機能不全家庭にあります。

本来、家庭は
子供が社会へと巣立つまでを
支援する役割を持っています。

子供が
健康的な
自尊心や好奇心を
育てることを、支援します。
その過程を成長と捉えます。

一方、機能不全家庭は
子供が巣立ちを目指すことを
決して、許しません。

子供の
健康的な
自尊心や好奇心は悪、
ひたすら、親への忠誠と愛情を求め、
子供の成長を、親への反発と捉えます。

正反対なのです。

一般的な家庭の子供は
人生の主役は勿論、子供自身です。

機能不全家庭の子供は
人生の主役は、その子の親なのです。

機能不全家庭の子供は
生まれた時から、
そのような親によって
そのような環境の中で
自分が主役ではない
親の人生のエキストラとして
歩むのです。

機能不全家庭の子にとって
「自分」が無いことは、必然であり、

機能不全家庭の親にとって
その子に「自分」が無いことは、
皮肉を込めて言えば、成功の証です。

健康的な一般家庭に育った方々は、
そんなことがあるとは、
信じ難いかも知れません。

しかし、
一般家庭と機能不全家庭は
少し違う、ものではなく、
真逆の世界なのです。

子供を見て、
その成長に目を細める親もあれば、
それを反発と捉え、激高する親もいる、
ということです。

この機能不全家庭で育った
エキストラの子役達が、
この人生の主役は自分だと
気づくことは、
並大抵ではありません。

なぜか?

この人生の主役は「自分」だ、
の「自分」が無いのです。

前にも述べましたが、
「自分」が無いことの
虚無感といったら、
筆舌し難いものがあります。

ノゾムは思います。

生きられないことも、
辛いと分かります。
しかし
生きながらにして、
「自分」が無いことも
とてつもない辛さなのです。


「自分」が無いと表現してますが、
「自分」は消えてしまうことは、
ありません。

ただ、存在感が皆無なほどにまで、
小さく縮こまっているのです。

機能不全家庭に
生まれ落ちた我々は

なにをおいても、
この縮こまった「自分」の
こわばりを和らげ、
通常の大きさに戻すことに
全力で取り組むべきだと思います。

なぜなら、
「自分」を無くしている最中には、
どれほどの虚無感の中にいるか、
どれほどの不全感を抱いて歩んでいるか、
自覚が無いと思います。

しかし
「自分」を取り戻すと、
逆説的に、
なんて酷いところに居たんだろう、と
愕然とすると思います。
それほど、「自分」が無い、
ということは、悲劇的なことだと
思うんです。

長いことかかりましたが、
私、ノゾムは、
テープ式心理学に出会って
今、「自分」を堪能しています。

あんなに縮こまっていた
「自分」ですが、
存在感を増すのは、一瞬です。

方法は
どんなに縮こまっていても、
消えることは、決してない
「自分」と向き合い
ネガティブな
意味づけや
決めつけを
書き変えること。

そして

用意するものは

あなたの「決断」だけです。


たったひとつの必要なもの

最後に
映画「ネバーエンディング・ストーリー」
に、戻ります。

いじめられっ子のバスチアンは、

いじめられる度に
「自分はいじめられる存在だ。」という

【思い込み】を強め、その度毎に、
無価値感を味わっていたのだと思います。

バスチアンの場合は本に没入し、

勇者と共に戦い、

【思い込み】の意味を書き変えていったのだと思います。

映画「ネバーエンディング・ストーリー」
の伝えたい事は、

心の成長、

心の成長とは自分の殻を打ち破ること、

自分の殻を打ち破るとは、

思い込みの意味づけを変えること、

そこには、


【決断】が必要であること、

言い換えると、



そこに必要なのは 【決断】 だけ

なのです。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム









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