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分かっているようで分かっていない

私は寝起きをギリギリまで引っ張ってしまうタイプである。理想は朝ご飯を食べたり散歩したりしたいので覚醒した時点で起きてしまいたい。その方が気持ちに余裕も感じられて良さそうなので。だが現実はここを過ぎたら遅刻になるというギリッギリの時間まで布団の中で駄々をこね続け、覚醒から布団脱出まで大体いつも2時間位かかる。

このギリギリ起床、その後の支度が慌てるし朝ご飯どころじゃないし何も良いことがない。何なら布団の中で駄々をこねている時さえも良いことがないのだ。その時間は横になれてるから良いじゃん?…良くないのである!ちょっと聞いて欲しい。

駄々こね時間の私の思考はこう。「あと30分あるわ…はああ起きないとな…」「あと15分か…!起きなきゃ…」「あと5分だ…ああいよいよ起きなくては…」「ああああ時間来てる!うぁあああ行きたくねえええ」おわかり頂けただろうか。何も楽しくもないし気持ち良くもないことを。

頭では「起きなきゃ」 身体は「動きたくない」

このバトルを毎朝やっている。起きなきゃ起きなきゃ…動きたくない…起きろ起きろ…動きたくない…。お母さんと子どもの攻防みたいなものを脳内でずっとやっている。正直というか…かなり。スムーズに起きられない自分に苛々していた。

そこで今朝ふと「起きなきゃ」モードが始まる頃に、「起きる時間だけど本当は起きたくないよお…」と思ってみた。なんと脳内バトルは始まらなかった。

私は理想を叶えたいあまり理性で身体を動かそうとばかりしてきたのかもしれない。動きたくないから起きろ起きろと叱咤していた。そうじゃなかった。動きたくないから起きたくないねえ…でまずはいいのだ。そのあと何事もなく起きれたし。起きたくないねえ、うん、で終わった。私はもっと身体の感覚(声)を聞いて拾ってあげるといいのかもしれない、と思った。

* * *

何が言いたかったかというと、パニで不安暴走気味になると理性で叱咤し始めてはいないだろうか私よ。心配だねえ不安だねえ行きたくないよねえ…みたいな姿勢ならどうなんだ。朝みたいにキレイにいくとは思えないけど試してはみたい。

全力で起きたくないことなんて分かっていた。分かっていたから「起きろ」って言い続けていた。でも分かっていなかったらしい。身体が欲しかった言葉は「起きたくないよね」だった。不思議だなあ。北風と太陽みたい。

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