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アルパカなわたしのこと。

noteの皆さん、はじめまして。
生まれ育ったまち、日本のだいたい真ん中らへん岐阜県大垣市でデザインの仕事とアルパカのモチーフ雑貨をつくって暮らしている「なめみそ」と申します。自己紹介をしていきたいと思います。
簡単にさらっと書こうとしたら自分を深掘りしてしまい思いもよらず長文ですが、お付き合いいただければ幸いです。

日本にアルパカがいない頃からアルパカ好きな私がアルパカと出会った経緯

見出しだけで3回アルパカ入れました。

思い起こせば2004年。それは小・中学校が一緒だった幼馴染が日本語教師になるべくホームステイのためニュージーランドに行った年。
彼女Sさんは農業フェス的なイベントに出かけて、馬や羊などの写真を撮っていると謎の動物に出会い、「足みじか…!」とシャッターを押しました。
それがこちらの写真です。

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この写真が彼女の幼馴染の人生を変えるものとなる…誰が予想できたでしょう。
Sさんがホームステイから帰ってきた2005年の正月、土産話を聞きにきた私に、この写真を見せました。
この写真を見た私に、衝撃が走りました。

首長い…足短い…めっちゃもこもこしてる!

一目でわたしはアルパカのトリコになりました。
当時漫画やゲームのファンサイトを運営していて、そこで日記を書いていたのですがその日記にわたしはアルパカの可愛さを存分に語った上で
「庭で、でっかいマルチーズって嘘ついて飼えないかな」
と書いていました。今振り返ってみても無茶言ってます。
それからわたしとアルパカの物語は始まったのです。

アルパカの雑貨を探す日々

アルパカのような謎の可愛い生き物と出会えて幸せだと思えた日々ですが、それと同時に悲しみも押し寄せました。

アルパカのグッズがない

手元にあるのは友達が撮った写真と、インターネットの検索で出てくるペルーあたりの渋めのアルパカの写真2、3点。
2005年は家にデスクトップPCがあるのは当たり前にはなっていましたが、インスタグラムやツイッターなど、世界の情報と一瞬で繋がるようなものはなく、「アルパカ」で検索したところで「いや、またその画像かよ」とおなじみのアルパカの顔が出てくるだけでした。
唯一、岐阜県お隣の愛知県にある野外民族博物館リトルワールドにあるペルーの屋敷のお土産コーナーにある鋭い眼光のアルパカの毛で作られた小さな人形が手に入り、会社のデスクに置いてはウフフと眺める日々を送りました。
2005年3月、名古屋の制作会社でOLをしていたわたしに朗報が飛び込んできました。そう、ご存知 日本国際博覧会「愛・地球博」の開催。
そこでわたしはペルーの隣国「ボリビア」のボリビア館ができることを知り、突撃しました。館内は特産品のパネルや展示が数点あり、アルパカの写真も確認できました。普段なら外国の人に積極的に話しかけることはないのですが、それはもう意気揚々と単純な英語で聞きました。

わたし「A〜…meny alpaca?」
ボリビア人「Oh! meny meny alpaca!」
め、メニーメニーアルパカですと…!?

ボリビアにはたくさんのアルパカがいる…それを聞いてテンションMAXになっているとボリビア人は「You are beautiful.」と右手の甲にキスしてきました。ボリビア人にモテ顔なのかもしれない…わたしボリビア行ってボリビア人と結婚するわ〜と思った25才の春。でも結局グッズが一つもなかったのでキッコロ人形を買って帰ったのを覚えています。

アルパカグッズは自分で作るしかないと決めた
sunokko design設立まで

2008年、3年の月日が流れました。その間に栃木県は那須でアルパカ牧場なるユートピアが誕生していたのをHPで知りました。日本についにアルパカが。いつか行ってみたいなあと思いつつ制作会社のディレクターとして忙しくしていた頃、母が突然難病になりました。

母とTwitterと雑貨製作

突然重めな話に突入してすいません。でも私が雑貨制作を始めたきっかけは母なのです。母の病気が無ければわたしはアルパカの雑貨を作っていませんでした。

肺にガン細胞があるせいで、体の免疫機能がおかしくなり運動を司る神経に作用し、全身が動かなくなってしまう10万人に1人の病気でした。
兎にも角にも寝たきりになり、次第に首すらうごかせなくなっていくので必ず誰かが1日中つきっきりでなくてはいけません。
わたしは一つのことしか出来ない性格なため、会社を辞めることにしました。
仕事を辞めて、社会と断絶し、病院での寝泊まりと自宅への往復。そんな日々が3年続きます。
何もないわたしが唯一社会と繋がれるのが…Twitterでした。
Twitterにはすごく助けられました。日常が変わらずそこにあって自分を保てる気がしたのです。
母の看病をしながら、その時付き合っていた男性と結婚。母が生きているうちにと怒涛のように結婚式も済ませ、その頃には病院ではもう何もできないということで、酸素発生器と人工呼吸器を自宅に置いて、呼吸器が外れたらすぐに死が訪れる…そんな綱渡りな自宅介護に切り替わっていました。


そんなある日、Twitterで「地元大垣市でクリエイターによる手作り市を開催するので作り手募集!」というツイートを発見。
そのイベントは売り上げの一部を難病患者に寄付するという趣旨だったのもあり、少しでも社会と繋がれる気がして応募してみることにしました。

作るものは紙雑貨、モチーフは…

作るなら紙雑貨だと決めていました。仕事でphotoshopやIllustratorには日常的に触れていて、仕事柄パンフレットの作成もしていたため印刷のことも良く知っていました。何より自分自身がとても紙雑貨が好きだったからです。
北欧デザインも好きだったので、可愛い模様のシャレた雑貨もいいな〜とも思いましたが世に打って出るにもパンチがない。さて、どんな商品にしようか。
そうなってくると心の奥から湧いて出てきたものはアルパカでした。
TVCMでアルパカが起用され多少の認知度はあっても、ほとんどの人が知らない生き物でしたが、わたしが幼少の頃から心動かされる感情「面白い」がアルパカにありました。アルパカは面白いいきもの。つくって、みんなに見て欲しい。このいきものを。

そして何より、自分の欲しいアルパカ雑貨がこの世にない。


じゃあ作ろうじゃないの。そうしてイラストを描き始め、最初のアルパカ雑貨はレターセットになりました。2009年のことです。

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初めてつくったアルパカレターセット

イベントに出るためには屋号が必要だということで、さてどんな名前にしようかしら…と考えます。
大学生の頃、「すの子」というサークル名で(ペンネームは変わらずずっとなめみそ)同人活動をしていましたので、そのまま使うか悩んだのですが今後フリーランスとして自宅でデザイン仕事もしていこうと思っていたので名前は変えることに。
当時北欧デザインに興味があってmarimekkoマリメッコが好きだったこと、音の響きが可愛いのでsunoko + ッコ=sunokko  、そしてデザイン仕事をするということで sunokko design というブランド名かつフリーランスの屋号が誕生しました。
「すの子」っていうのも、サークル名を考えているときに'すのこ・畳'の社用車が横を通って目に入ったからという意味もなく音だけで決めたんでした。(よく聞かれるのでここに書いてみました。)

売れなくても続けることができた理由

2009年の地元でのイベントに参加した時には、まあみなさんアルパカとはなんぞや?という事でしたから、そりゃまあ売れません。
アルパカってなに?というお客さんに「アルパカはこういう国にいて、首が長くて足が短くて…」と生体について説明することが増えました。
売れなくても結構平気だったのはアルパカを知ってもらえるのが楽しいからだったんだと思います。

2010年秋 母が亡くなり、仕事もし始めました。
この頃からハンドメイドのクラフトイベントが周囲で増え始めました。自分のペースで参加できるのが良くて、少しずつ商品を増やしては出店するようになりました。
相変わらずそんなに売れませんが、私の描くアルパカがシュールだったこともあり、販売していると通りすがりに商品を見てみなさんニコっとかニヤっとかププッっと吹き出してくれます。ああ、みんなが私のアルパカで顔が緩んでいる…私にはそれが最高でした。
私は昔から自分の考えや表現で人を笑わせるのが大好きだったので、表現方法と手段がアルパカの雑貨に変わっただけなんです。なのでわたしはとても楽しく活動を続けることが出来たというわけです。

そして何より、雑貨を買ってくださった方の反応です。

sunokkodesign身につけた人々

私の雑貨を身につけて会いにきてくださったり、お仕事で使ってくださったりしているのをみると、雑貨を作っていてよかったなあと本当に思います。


実店舗と広がっていくリアルアルパカの輪

月日は少し飛んで2017年、生まれ育ったまち大垣市の駅近くに実店舗のアトリエショップができました。
その頃の私はデザインの仕事とアルパカ雑貨業務を半々ぐらいの割合でやっていて、雑貨販売ではデザインフェスタなど東京のクリエイターイベントでの販売活動も始めていたので日に日に作る雑貨のアイテム数も増えてきました。
在庫を置く場所がアパートの寝室だったのですが、なんていうかダンボールと一緒に寝てる…みたいな様相を呈してきたある日、お知り合いから荷物を置くのにもお店をやるのにもいい物件があるよと紹介してもらいました。
家賃もとても安く、その値段だったら…と物件はそのまま何の手も加えず居抜きな感じで借りることにしました。この実店舗の辺りの話はまた詳しく話したいと思います。

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↑こちらは移転後の今のアトリエショップです

実店舗もできて、そこでデザインの仕事もしながらやっていたある日、Twittterで八ヶ岳アルパカ牧場さんからDMをもらいました。
「あなたのアルパカ雑貨を牧場の売店に置きませんか?」
そのメッセージをもらった時、二つ返事で「はい!!」と言っていました。
アルパカのいるところに置いてもらえるなんて最高です。最高の場所です。
メッセージをくれたアルパカ牧場のスタッフの伊藤さんは売店専門の方で、いろんなアルパカ雑貨をみて厳選して仕入れていらっしゃるプロ。
アイテムのカタログを作成して、何点かチョイスしてもらいアルパカ牧場さんへの卸が始まりました。

アルパカ牧場さん同士で繋がりがあるようで、八ヶ岳さんの売店で私の雑貨を見た各地のアルパカ牧場さんやアルパカのいる施設さんから雑貨のお取引のお問い合わせが増えました。
そうして全国各地のアルパカのいる場所で雑貨を販売してもらえるようになり、またそこにはアルパカ好きさんが集まってくるので少しニッチなアルパカの世界でsunokko designのアルパカ雑貨を少しづつ知ってもらえるようになってきました。

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八ヶ岳アルパカ牧場さんの雑貨売り場

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栃木県宇都宮にあるベルモールアルパカ広場さんの雑貨コーナー

アルパカのご飯代になる、還元できる嬉しさ

「アルパカのいるところに自分のアルパカ雑貨がある」ということがまず嬉しかったのですが、ふと「私のアルパカ雑貨で牧場さんの利益が出るということは、私の雑貨が売れればアルパカのご飯代になるということだ」というナイスな仕組みに気がつきました。
正直なところ雑貨の卸というのは数を多く作ってたくさん売る事が儲けの基本です。その点で言えば私は常に小ロット生産で品切れになれば発注というやり方なので儲けというものはほとんどありません。赤字にならないよう、流石にその辺りは気をつけていますが、でもやっぱりウハウハみたいに儲からないのです。私を突き動かすのは、最初に述べた「人に面白いものを届けたい、表現し続けたい」という気持ちと「日本のアルパカのためになれば」という気持ちです。
日本でアルパカが気軽に見れるようになってきたのも、アルパカを日本に連れてきて環境の違いに気を遣い大切に育ててきた飼育スタッフさんのおかげなので、私は出来たらそういう方々の力になっていけたらいいなと思っています。
ただ雑貨を作っていただけの私が、アルパカに還元できるようになれるなんて、作り始めた頃は思いもしませんでした。
これからも多分、おばあちゃんになるまでアルパカの雑貨を作って行くと思います。自分のため、アルパカのため、アルパカが大好きな人のため。

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次にやること、やりたいこと

まずやりたいこと。それはアルパカの絵本を描く事です。どんな風にアルパカを落とし込んでいくか、なかなか筆の神様が降りてきません。なのでまだプロットもできていないのですが、いつか必ず出したいと思います。
最近は陶器でアルパカを作ることもしています。作品を少しづつ増やしていきたいなと思っています。

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次にやること。というかやり始めたこと。
それはアルパカの雑貨を作り始めてから10年目、そして8月1日のアルパカの日に「アルパカのメディア」を立ち上げました。(まだ宣言だけですが)

次のフェーズに入ったな、と感じたんです。Twitterで「アルパカ」のワードだけでエゴサーチ出来ていたぐらい、世の中の人がアルパカを知らなかったあの頃から10年。今では誰もが知る動物となりました。「アルパカを知ってもらう楽しさ」から「アルパカが好きな人とアルパカを一緒に楽しむ」時代になったのです。

そう感じたのは今年2020年の春、あのコロナですべての牧場さんが臨時休業し、Instagramのライブ配信を牧場さんが始めたことがきっかけです。

ライブ配信をすごく楽しみにしていて、ワイワイとチャットをするアルパカファンのみなさんを見ているのがすごく楽しい自分に気がつきました。一体感、というのか新しい感情でした。

前々からやってみようと思っていたアルパカについての発信とともに、アルパカ好きがあつまる場所を作れたらいいなと思うようになりました。

こちらについてはnoteの別の記事に書きましたので、ぜひご覧ください。

時代に寄り添いながら、ずっとずっとアルパカを好きで居たいと思っています。こんな私ですが、応援していただけたら嬉しいです。

sunokko design スノッコデザイン
アルパカ好きな岐阜のデザイナーが作るアルパカ雑貨
WEB http://sunokko.namemiso.net/
Twitter @namemiso
instagram @namemiso
オンラインストア  http://store.namemiso.net
アトリエショップ
岐阜県大垣市本町2-26 STUDIO3 2F 
営業時間:不定休 ※SNSにてご確認ください

[アルパカメディア 「群れなす、アルパカ編集室」]
http://murenas.net/
instagram @murenas_alpaca


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読んでいただきありがとうございます。サポートをいただいた際には、より良いアルパカ雑貨を作るためアルパカに会いにいく旅費に充てさせていただきます。