コチラの動画で触れた通りなんですが、実は私東日本大震災の被災者だったりします。
今はもう、元居た場所とは全然違う所に住んでいて…あんまりこう…『戻りたいなぁ…』と思うこともないんですが…
まぁ……今回の『令和6年能登半島地震』に関係無いので私の事情は省きます。クッソ面白くもない上暗くて重いらしいので(友人談)
その当時(東日本大震災)ですがね、まぁ小学生だったんですね。帰りの会をする為に担任の先生を待っている時でした。縦に思いっきり浮いたような錯覚を覚えて地面に吸い込まれるように倒れたんです。咄嗟に手をついて机に潜ろうとしました。その瞬間強い縦揺れに横揺れが加わったんですよね。まぁ小学生の体幹なんてお察しの通りなんで軽く吹っ飛ぶわけですよ。
そのまま校舎にヒビが入って上からパラパラと落ちて来る破片が窓ガラス叩き割ったもんだから男女問わず阿鼻叫喚でした。
そのまま何分位揺れてたんでしょうかね?少しずつ収まってきたかな?と思ったらまた大きく揺れて、また泣き叫ぶ声が耳をつんざくんです。
そうして体感20分も30分も必死に机の脚にしがみついていて…。漸く収まったかと思っても皆机から出てこないんですよ……。出てこれないんです………怖くて。
そのまま誰も机から出ることなく……数分だったのか数十分だったのか分かりませんが放送が流れ始めました。
内容は詳しく覚えていませんが
『担任の先生が行くまで教室から動かないこと。』
『担任の先生の指示に従って校庭に避難すること。』
『荷物(ランドセルとか)は全て置いていくこと。』を指示されました。
ところがいっくら待っても担任の先生来ないんですね。後から分かった話なんですが地震が収まった後パニックになって車で逃げたらしいです。まぁ当時の私たちはそんなこと知る由もないので先生を待ったんですよ。永遠に来ませんが…。
廊下では教頭先生が避難の音頭をとっていて、隣のクラスは担任が旗(クラスごとに集合する為の目印の旗。各教室毎に色が異なる)をもって避難開始してたんですよ。
屋上は今崩れて破片が降ってきている、ウチの担任は何故か来ない、クラスは阿鼻叫喚。私我慢できずに教頭先生に言いました。
『担任が来ない、ウチのクラスは全員無傷で揃っている(勝手に指示出して全員並ばせて名簿持って確認した)、自分が旗を持っていくから校庭に避難させてくれ。それか担任にそのトランシーバーで連絡を取ってすぐ来るよう伝えてくれ』
………的なことを言いました。我ながら意外と冷静に処理したなぁと思いますが、ヤケにテンションが高かったなと振り返って思います。不安を頭を回すことで直視したくなかったのと、クラスメイトが誰も動かないので何とかしようと思ったんでしょうね。
まぁ……私の生育環境というのか……そこら辺考えると妥当ですね、皮肉ですが。
結果教頭先生もパニックだったので
『担任がくるまで待機してなさい‼』
と強めに弾圧されました。
そして私は3分後に
『先生が来た!教頭先生に連絡頼まれた!行っていいですか!!』
といって勝手に旗を持ってクラスメイトを引き連れ足早に校庭に避難しました。大人を信用してなかったんですね。教頭先生も状況的に勝手に動かれると困るので正しい判断なのですが、まぁ避難訓練を真面目に取り組んでこなかった弊害ですね。先生たちの連携不足もそうですし、
そんなハッタリを見抜けない程焦ってたんでしょうから………。
その後上履きから履き替えることも許されず、着の身着のまま(ポケットのハンカチ・ティッシュくらい)で校庭に並ばされました。旗持ちの私は、ここらへんで一応担任の先生に代わって持って貰った方が良いと考え、探しましたが…やっぱりいませんでした。知ってた。
この後津波警報が鳴り
あの最悪の津波が来るんですが…。
まぁ一気に情報入れても疲弊するだけなので今回はこの辺りで……。
ごめんね。
善って何なんだろうね………。