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シャッフル 第3話


008

「ところで、じいさん。さっきから気になってたんだけど、彰夫って誰だ? 大天才様の息子か?」
「ああ、そうじゃ」
「やっぱり。さっき最初の頃のマダムタッソーに親子で参加してたって言ってたもんな? 科学者の親子か。しかし凄い偶然だな。あの石田彰夫と同じ、彰夫って名前だなんて。っで、今、どこにいるんだよ、息子さんは?」
「偶然も何もその石田彰夫がわしの息子じゃよ。おまえさんはもう会っているだろう、身体には? 人格のほうは今はクザンの傍におるがのぉ」
「はっ? えっ?」
 一瞬、混乱した。禁忌の研究で細胞のコピーに成功した唯一無二の肉体、それを持った男。まさかそれがシヒの息子だったとは。
「マジ、かよ?」
「マジ、じゃ」
「って、消滅させられたんじゃなかったのかよ、石田彰夫の人格っ!? まったく、やれやれだよ。しかも、向こう側についているって? 一体どうなってるんだよ? 敵じゃないか?」
「あやつは良いのじゃ、放っておけば。わしと同じで地位や名誉、所属を気にせんタイプの人間じゃからな。そして『唯一無二の目的』の共有は、あれとわしで完璧にできている。言葉を交わさずとも、のぉ」
「目的? それは一体――」
 警報。アラート。非常事態。不意に周囲が赤く明滅し、脳内に通知が響く。地下三十階に緊急の報せ、それも良くない信号が伝搬されてくる。機械の身で取り損ねかけるも俺はどうにか情報を掴む。
 襲撃。奇襲。敵。これから作戦を立て、どう攻め込もうか、そう思っていた矢先の出来事であった。攻守交代。完全に虚を衝かれ、俺はたちまち混乱する。分厚い壁がもたらす安心感にたゆたい、危機意識を欠いていたのかもしれない。そう、俺は、俺の人格は、今もまさしく狙われているのだ。
「やれやれ、嫌な予感が的中しよったわい」
「クソッ、もしかして大天才の息子様の差し金か?」
「さあて、どうかのぉ?」
 どうやらフクロウめいた老人は万が一くらいにはこの事態を想定していたらしい。対策が練られていることを願いつつ、俺が状況を聞こうとすれば、それより早く花が叫ぶ。通知されたデータによれば、相手は三人、既にエレベーターで間近まで迫っている。あと数秒でこのフロアへとやってくる。
「どうやってセキュリティを! どういうこと!?」
「おまえさんも察しはついてるじゃろ? そういうことじゃよ」
「……そ、そんな」
 俺には状況不明なれど、シヒや花には思い当たる節があるらしい。
「状況はよくわからんが……じいさん、作戦は? どうすりゃいい?」
「さあて、どうしたもんかのぉ……」
「考えがあるんじゃねえのかよ!?」
 音に出して叫ぶなり視線の五十メートル先、分厚い壁の向こう側でエレベーターの扉が開く。現れたのは三つの移動体だった。彼らのその姿に驚愕させられる。先頭をワハと同じ姿をした黒のロボット忍者が歩いていた。その後ろに盗難品、俺の、野依治良の、身体が続く。そして最後に紫色の忍者がなにやら大きな袋を担いで付き従っていた。先頭の黒のそれも、後方の紫色のそれも、どちらもスペックが尋常でないことは見た瞬時に伺えた。代体でありながら歩き方が滑らか。まるで人間だ。
「……おい、あれ、先頭の……お前たちのところのリーダーじゃないのか?」
「なかなか察しがよいのぉ」
 事態を把握しようと小声でシヒに問いかける俺を他所に、侵入者三人がゆるりと歩み寄ってくる。先頭を歩む漆黒の影が迷わぬ手順で二層の内側、分厚い壁を左右に開いた。まるでモーセの十戒、海が割れるがごとく。彼らの歩みは何人足りとも阻めない。そんな強烈な印象を与えられる。文字通り何食わぬ顔で、三人がそのまま侵入してくる。よくよく見れば漆黒の影は嵌め込まれた面のデザインがわずかにワハとは異なっていた。両目と口、三本の亀裂の走り方が若干違う。最後尾の忍者も基調とする色が違うだけでなく、微妙に面の表情が違っている。
「おい? どうなってんだよ?」
「リジは突き止めたマダムタッソーのアジトへ身体を取り返しに行ったの。でも、それから連絡が取れなくなっていて……四時間ほど前から……」
 花の表情に隠された焦りを、そこで俺ははじめて見て取った。一連のあれはノリが軽かったわけでなく、仲間の身を案じていたのか。一刻も早く救出に向かわねば、と。
「おいおい、偵察だけなく一人で突入したのか? おまえらのところのリーダー、どんだけ無茶するんだよ?」
「悲願だったのよ、何年も前からの。あんたの身体を餌にようやく突き止めたんだから。自分の身体を盗んだ、犯人を……そのアジトまで」
「餌に……って、んっ? おい、ちょっと待て! わざと盗ませたのかよ!?」
「そうよ。張り込んで、あんたの身体が盗まれるのを待って、それを盗んだ奴の後を追ってね。でも、クルティウスを陥れるための罠かもしれないでしょう? だから、あんたをおとりにしておびき出した奴から割り出したアジトの位置情報とも突き合わせを――」
「そうじゃねえよ! 盗まれるところを黙って見てたってのかよ!!」
「馬鹿ね。末端をどうこうしても所詮はトカゲの尻尾、潰すのは頭じゃないと意味がないのよ」
「だからって頭の場所を探すために俺の身体を盗ませるなよ!」
 まったく驚きを通り越し、怒りを超え、もはや呆れてしまう。俺に断りもなく、俺の身体は既におとりとして利用されていたらしい。それも俺がイギリス旅行をしている間に。
「……ああ、もういい。こんな状況であれこれ言い争ってる場合じゃねえ。ひとまず、それはそれ、横に置いておいてやる。っで、だ! 今、ここを、どうするかだよ!! とりあえずワハを呼べよ、早いところ。世界に二体しかないスペシャルな代体の一つなんだろう、あれは?」
「それくらいは既にしておるわ。とはいえ、その世界に二体のうちのもう片割れが目の前に迫っておるんだがのぉ」
「マジかよ」
 なんとなし、本能で察せられていた。歩みくる三人が敵である、と。俺に害を成す者である、と。
「……なあ、ジジイ。ダメ元で聞いていいか?」
「ダメ元ならダメじゃ」
「代体に入っている俺なら最悪なにかあった時にピュッと飛ばせないか? 人格情報だけ、緊急離脱みたいに?」
「無理じゃな。PMSを行なうには装置も必要なら時間もいる。イギリス旅行したときに一度は経験しておろう? なにより既に障壁を張っておるからのぉ。外からアクセスできん代わりに中からもそう簡単には出られんよ」
「なんだって!? まったくよけいなことしやがって、このクソジジイが……」
「誰がクソジジイじゃ!? しかもおまえさん、自分だけ逃げようなどと、どれだけ性根を腐らせとるんじゃ!!」
 フクロウめいた生身の老人と小声でやりあうも互いに視線は正面の三人から切ることができずにいる。花も黙したまま隣で鋭い眼光を放っている。彼女の気性では、下手をすれば生身で一番に飛び出し、回し蹴りをお見舞いしかねない。それはそれでひやひやする。
「おい、ジジイ……あの先頭……二体のうちの片割れの方……中身はリジってやつじゃなく、別人格ってことだよな?」
「さて、どうかのぉ? むしろそうじゃとええんじゃが……」
 いよいよ三人が目前五メートルまで迫り、そこで動きを止めた。凸、三角形、魚鱗。漆黒の影が先頭を担い、少し後ろに二人が並んで立った。近づくと紫色の忍者が担ぐ大きな袋がいやに気になる。爆弾や大量の火薬でも持ち込まれていたなら生身のシヒと花はアウトだ。
「残念だけど、助けはこないぞ」
 嫌な言い方だった。実に嫌な。俺の顔、俺の声で、眼前の俺が警告をくれる。同時に危ぶんでいた紫色の忍者の背に負う袋が放り投げられた。俺の目の前に音を立てて落下したそれは実に重量感があった。
「……まさか、嘘でしょ?」
 花が呟く。袋というよりそれは風呂敷のようなもので俺の足元ではらりと開ける。布に電波遮断塗料でも塗布されていたらしい。俺はそこではじめて中身を感覚できた。
「マジ、かよ……」
 千切られた右手右足とともに包まれたワハ、漆黒の代体がそこにあった。天才が手掛けたという至高の作品、その片割れが半壊されている。
「ジジイ。紫のやつを入れて二対一だったとしても、ワハがあそこまで一方的にやられるものなのか? 相手、無傷だぞ? 中身が人工人格だと極端に弱くなるとか、あるのか?」
「いんや、それはないな。しかし、ここまで圧倒されたとなれば、あの黒い方……あれの中身はリジ本人の可能性が高いのぉ。あいつなら、それくらいはやりよるからのぉ」
 裏切り、という言葉が脳裏をよぎった。しかし、いよいよわからない。己も肉体を盗まれ、二十年もそれを取り戻すべく励み、身体拾いらマダムタッソーを撲滅するために組織まで立ち上げた男。クルティウスのリーダー、そんな男がどうして敵方につくのか。
「リジ……どうしてなの?」
「待てよ、花……考えてみれば可能性はあれこれありそうだ」
「ジュニヤ?」
「一つ、なにかを人質に取られている。一つ、とんでもなく欲しい情報を餌に飼い慣らされている。あるいは、その両方だったりして? そんな感じなんじゃねぇのか?」
「どういうこと?」
「たとえば敵さんがリジってやつの生身のありかを知っている。もしくは既にそれが敵さんの手中にある。そんでそれをネタに強請られ、ワハを攻撃した。それならしっくりこねえか? ワハはワハで味方に手を出せずに無抵抗でやられた、とか? もしくはシンプルに……家族とかなんとか? そういうのを人質に取られてる、とかの可能性もあるだろう?」
「ジュニヤ、おまえ……小賢しいところだけ頭がよく回るのぉ?」
「うるせぇよ!? ともかく本人なんだとしたら、なんか理由があんだろ? それでも、今、敵だってことに変わりはないけどな」
 怒りなのか、困惑なのか。横目に感覚すれば花は今にも激情任せに飛び出さんばかり。あるいは恐怖からなのか、小さな身体を小刻みに震わせている。やれやれ、だ。俺は機械の首を一つ回す。さすがに放置はできない。傍らではフクロウめいた老人がその生の瞳でパチクリとまばたきをした。
「……おい、ジュニヤ? どうするつもりじゃ?」
「あの忍者をぶっ壊す。打って出るのさ。ジジイはその間に花を連れ、さっさと上へ行け」
「その代体では無理じゃぞ? スペックに差がありすぎる」
「『やればできるよ、のびる君』ってな。どうにかしてみるさ。いいから、じじいはさっさと行けよ」
「おいっ、ちょっと待て! わかっとるのか? あやつは――」
「うるせぇ! いいから行け!! リジってやつと俺は一度も話したことがない。思い出がない。だから躊躇しないで攻められる。ジジイや花と違ってな。なに一つ遠慮せず、全力で壊しにいけるんだ。ここは任せておけ。って言うか、俺にしか任せられない役割だろうがよ!」
「……まあ、たしかに、おまえさんだけは遠慮はいらないし、お前さんにしか任せられ……って、待て! それはそうじゃが……いや、しかし、意味が違う!? おまえさんはわかっておらん! ちょっと待て! ジュニヤ、一旦、話を聞け!! 物事には手順っちゅうもんが、おい――」
 シヒの話を置き去りにして花より先に飛び出した俺は、リジなのか、別人なのか、この際どちらでもよいのでリジと呼称することとし、その漆黒の忍者へ目掛けて無骨な拳をぶつけにいく。大きく振りかぶって。無論、初弾が当たるとは思っていない。リジが左へ飛び退いた。紫忍者も巻き添えを避けるべく、俺の生身を抱えてリジと逆側へ退いた。狙い以上の展開である。敵が割れ、道ができ、好機が訪れる。
 俺は間に転がるワハの背から日本刀を引き抜いた。柄を握るなり電撃が走ったような感覚を覚える。静電気がバチッと弾けるような。その後、いやにしっくりきた。これは『俺のための俺の刀』、そう言わんばかりに。おかしな違和感に襲われるその背では、シヒに手を引かれた花が駆けていくのが感覚される。生身の二人など後からどうとでもなる、と高を括っているのだろうか。敵方の代体らは彼ら二人を追わず、黙認の構えをみせる。
「さあて、これで思いっきりやれるな」
 まるで漫画の主人公だ、と俺は機械の身の内に乾いた笑いを漏らした。人生でこんな場面に出会すことがあろうとは。スペックで遥かに劣る身だ。まともに戦っては太刀打ちできまい。そもそも俺は刀など扱ったことがないのだし。相手方と互角であるのは手に入れたワハの武器くらいである。大業物、メイド・バイ・ジジイ。俺は唯一の勝機を手に握り、正眼に構える。リジも同様に背から自前の日本刀を抜き放つ。
〈―—おい、ジュニや! ちょっと待てと言っておるじゃろう!!〉
 頭の中で叫ぶシヒの声。混乱した。天才科学者と彼が手を引く花の生体信号は間違いなく分厚い壁の向こうへ消え、エレベーターで上昇しているから。
〈ジジイか? どういうことだ? どこにいるんだよ?〉
〈ジジイとはなんじゃ、ジジイとは!?〉
 コミカルなアニメーション体で癇癪を起こすのは俺の視界の端の情報支援ガイド知能である。俺の代体に相乗りしていながら俺の人格の外に、つまりは人格保護障壁の外にある、人工知能。それに外部からアクセスしているのだ、あの天才科学者は。
〈……おいおい、ただでさえ小うるさかった知恵の象徴がもっとうるさくなってるじゃねえか?〉
〈減らず口を叩くでないわい!〉
〈しかし、どうなってる? こいつへ乗っかれる余地があったとして、そもそもこの部屋は電波不干渉……って、そういうことかよ!?〉
 至ってシンプルだった。出入口部分の分厚い壁が開け放たれたままなのだ。シヒが逃げる直前にあちこち触り、逆に解放状態でロックをかけたのだろう。これであれば電波が通るのも頷ける。そもそも何も遮断できていない。
〈まったく、なんてアナログな……恐れ入るぜ〉
 俺は脳内でシヒとやりとりしつつ、手にした日本刀の切っ先を眼前の黒忍者へ向ける。しかし心はなにより背の側にある己が肉体へ向けていた。三日ぶりに拝んだ我が肉体は健やかで変わりなさそうである。ひと安心したからか改めて自己認識する。実は、俺は、先ほどから花を彷彿とさせんばかりの激情に駆られているのだ。それもそのはず。誰であろうと己が身を好き勝手されて怒りを覚えぬ者はいまい。
〈……シヒ、とりあえず黙っていてくれよ。誰だか知らないが、あいつは許せねえんだ。あの、俺の身体に勝手に入ってるやつは。絶対ぶっとばす。それを邪魔する奴も、全員ぶっとばす〉
〈ジュニヤ! おい、ジュニヤ!! おい! 聞いているのか!? まずは距離を取れ! 少し話を聞くんじゃ!! 暴走するな! ひとまず待て!! 物事には、手順、段取りっちゅうもんがあるんじゃ!〉
〈待つのはあんただよ、ジジイ! 気が散るから頭の中で叫ぶなって言ってるだろう!!」
 情報支援ガイド知能からの通知を再びミュートにするも、感覚した瞬間にはリジが既に日本刀を振りかぶっていた。俺の鼻先で。すさまじいスピードの斬撃をどうにか刀で受ける。二、三、四……続く連撃に身体のあちこちが削られる。それらをなんとか凌ぐものの、一瞬も気を抜けない。
 しかし俺は『やればできるよ、のびる君』だ。このまま一方的にやられるわけにはいかない。防戦一方ながらも、腕の一本でも犠牲にすることで、一矢報いることができないかと作戦を練る。反撃の機を伺う。けれどもけれど、それこそが仇となってしまう。戦闘の最中にあれこれ考えている暇などないのだ。特に相手が自分より格上の場合は。代体であるから『心が入っていない』という表現は適切でないのかもしれない。ともあれ生身で言うなればの、それ。惑い。集中を欠いた刃がたちまち打ち返され、俺は手にしたばかりの武器を失ってしまう。
 しまった!?
 俺の日本刀がちょうど真ん中あたりで二つに折られた。いや、両断された。一刀のもとに。半分より先が回転しながら宙を舞う。直後、視界に映るすべてがスローモーションと化した。情報処理の遅延ではなかった。もしかしたらその逆なのかもしれない。生身でなくてもこのような事態は起こるのかと不思議な気分になり、俺はなんとなし片手を伸ばした。飛んでいる切っ先を角張った手で掴む。左手に柄を、右手に切っ先を。真ん中は分かたれ、日本刀が二本に両断されていた。リジの次の斬撃が俺の首を寸分違わず狙ってくる。黒忍者も、さらにはそれ以上に俺も、ゆっくりと動いて見える。だからこそ、わかる。この一撃は回避できないと。
 クソッ……こりゃあ、ダメか……。
 代体の首を飛ばされたら死ぬのだろうか、俺は。人工でなく生身として誕生した、俺という人格は。考えたことがなかった。意外や意外、コアは実は心臓部にあり、代体は首なしでも活動ができて――といった淡い期待を抱かずにはいられない。その可能性が限りなく低いことがわかっていても。
 ……まあ、でも、POTO六六六よりは可能性が高そうかな。
 万事休す。諦めから乾いた笑みが浮いてしまう。せめて生身の身体で死にたかった、と視界の端に己の肉体を感覚する。そして思考が止まる。
〈―—ジュニヤっ!?〉
 脳内へ直接叩きこまれる、目覚ましのアラート。閉ざしたはずの目が無理矢理こじ開けられる。どこぞのジジイが外部から干渉してミュートを解除したらしい。まったくもって騒々しい。最後くらい静かにしてくれよ、と悪態をつこうとするも、俺はしかし己の口をすぐさまつぐんだ。なにより先にやるべきことがイメージとして脳裏に浮かんだ。
〈……お、おお。おおおおっ! ジュニヤっ!?」
 落下音。代体や身体にしては幾分か軽い。しかし刀にしては重い。感覚すればリジの両腕が肘から切り離されていた。腕の先が刀から生えているかのように柄を握ったまま足元に転がっている。
〈生きている……のか、俺?〉
〈……のようじゃな、このくたばり損ないめ〉
 一体どうしてか。絶体絶命、首を刎ねられるその瞬間、リジの刀が躊躇したのだ。ぴたりと止まった。だから俺が勝てたのだ。反射か、自動防衛か。ほぼ無意識に折られた二本の日本刀を振り回し、小太刀二刀流よろしく、黒装束の腕をそれぞれに切断していた。
〈って、そういやシヒ? 代体のコアってどこにあるんだ?〉
 暢気とも言える質問が独りでに滑り出ていた。同時に再び即席の二刀を振るい、リジの両脚を腿のあたりから切断する。黒装束のロボット忍者が四肢を失って仰向けに落ちた。今度こそ重たい代体の落下音がした。
〈待てとさっきから言っておるじゃろうが!〉
〈待っていられる状況じゃねえんだよ、クソジジイ!〉
 理由はわからない。しかし眼前のリジはなにかしら調子がおかしかった。今しかない。スペック差を考えれば、この期を失すればおしまいである。けれどもそんな好機にあって尚、シヒがなぜか制止してくる。フクロウの頭を振り回し、俺の視界の端で、強烈に。
〈それでも待て、と言うとるんじゃ! おまえさん同士で争うなど、ピエロもいいところじゃろう!! そもそも手順っちゅうもんがある、と言うておろうが!」
 静寂、間。取りこぼし。シヒの言葉を計りかね、俺は俄に混乱した。だだっ広い開けた空間、実験場に無音が走った。ここへ来て天下の天才老人もいよいよ朦朧したのだろうか。
〈ジジイ、なにを言ってんだ? 文章的におかしいだろう? 意味が――〉
〈わからんのなら余計に聞けい! 話の腰を折るでない!! いいか、そいつはな……リジは、十年後の未来から来たおまえさん、野依治良じゃ!〉
〈頭がおかしくなったのか? 大丈夫かよ?〉
 野依治良、のよ”り じ”ろう=リジ。
 小林弘親、こば”や し”ひろちか=シヒ。
 諏訪花、す”わ は”な=ワハ。
〈……マジ、かよ?〉
〈マジ、じゃ。未来の大天才、つまりは十年後のわしじゃ。このわしが禁忌の掟を破り、人格情報の過去への飛ばし方を発見してしまったらしくてのぉ。っで、十年後のおまえさんが今より十年前にやってきて、十年かけてあれこれと組織し、おまえさん自身の身体を盗んだ奴を待ち構えておった、と。そういうことじゃよ〉
〈……リジが、未来の……俺?〉
 十年未来の俺が時空を飛び越えて十年過去へ。そこから今へと十年が経っている。人生経験すなわち人格年齢的には二〇年ほど先輩にあたる俺ということになるのか。
〈こいつが……俺? こいつが?〉
 目前に転がる、漆黒の影。両腕両足を欠く、黒きロボット忍者。刹那、閃きのごとく脳裏をよぎったのは宝くじである。予測したわけでなく、端から当選番号を知っていた。それならば合点がいく。
〈また、めちゃくちゃ安易な……まったく、俺ってやつは……〉
 競馬の万馬券にPOTO六六六、誰もが一度は夢見るタイムスリップの活用方法。もしも過去へ戻れたのなら。まさか未来の己がその夢を叶えていようなど、誰が思おう。
〈んっ? 待てよ? 念願叶って、いよいよ身体拾いのアジトを突き止めた。それこそ何十年もかけて。タイムスリップして過去に戻ってまで。それで、なんでだ? なんで敵側についてるんだよ、未来の俺は?」
〈じゃからこそ、待てと言うておるのじゃ。よほどの理由がなければ、あやつ……というか、おまえさん、なのか? ええい、ややこしいな! おまえはジュニヤ、未来のあれはリジと呼ぶぞ! ともかくじゃ、理由もなくリジは裏切りはせん。それも、よほどの理由でなければのぉ?〉
 脳内でシヒと会話しつつ、俺は分厚い壁の内側で動く移動体に集中する。生身のシヒと花の退避は無事に完了している。水槽のような透明な箱の中には、現在、ジュニヤすなわち今の俺、そして四肢を欠いたリジすなわち十年後の未来からやってきた俺、さらには右手右足を切断された初代漆黒の影ことワハ、加えて生身の俺と紫忍者だ。
〈……おい、ワハ? だいじょうぶか?〉
〈ようやく檻から出られたときの、動物園の動物の気持ちを知れたよ。ついさっきね〉
〈それだけ言えれば大丈夫そうだな〉
〈隙を伺って大人しくしてたんだけど、ここからどうする?〉
 電波遮断の風呂敷から解放されたワハは、片腕片足こそ切断されているものの、その他は無事らしい。人格も某かの制限下にあるわけではなさそうだ。
〈どうするって言っても、その身体じゃあもう戦えないだろ? その忍者代体のスペックを今こそ発揮して、左手と左足だけでどうにか脱出できないか? 這っていったりして?」
〈まあ、出来ないこともないよ? でも、きみはどうするつもり?〉
〈俺はここで退くのは無理だ、気持ち的にな。なんせ目の前に俺の身体があるんだから〉
〈でも、きみの代体のスペックじゃあ……〉
〈心配するな。俺には『なんとかなる』って確信がある。考えてもみろよ? リジは既に戦闘不能だろう? さらに、いくら俺のこの身体が骨董品とはいえ、生身では到底対抗できない。となれば、この空間に残る厄介者はあと一人。あそこに突っ立ってる、紫のやつだ。あれさえどうにか出来ればオールクリア。そうだろう?〉
 俺とワハ、さらには俺の頭の中で話を聞いているであろうシヒ。三人で交わす会話はマダムタッソーの三人には聞こえない。しかし俺の視線から狙いを察してか、紫色の忍者が手を振って生身の俺を下がらせ、すっと数歩前に踏み出してくる。
〈……無理よ、あれの無力化は〉
〈人工人格でも弱音を吐くんだな? 可能性を数値で示すわけでもなく? 無理だと勝手に断定するあたり、お前、本物の人間みたいだぞ、ワハ? そういう感情的なものって、花から学んでるのか?」
〈……花本人だよ。僕は〉
〈はっ? なんだ? こんな時に冗談……って、おまえ、どうして? あの時に入れ替わってなかったのかよ!?」
 思えば俺が防護障壁を張るまでの間は実に短かった。確かにあの間にPMSで人格を入れ換えるだけの時間はなかったのかもしれない。
〈どういうことだ? じゃあ俺が花だと思ってた生身の方が人工人格で、おまえはずっとそっちの忍者の中にいたのかよ? ずっと? なんで?〉
〈……ドッキリ? 人格の見分けをつけられるか、『本物の僕はどっちでしょうゲーム』を……あとで、する、つもりで……〉
〈ったく、間の悪いやつだな。よりもよって、こんな時に事態をややこしくしてくれやがって!〉
〈しょうがないでしょ! こんなことになるなんて思ってなかったし!?」
〈……まあいい。それでおまえがじゃじゃ馬の花だってんなら余計に解せねえぞ? 随分と弱気じゃねえか? 生身でこの身体の俺に蹴りをくれた時の、あの気概は……って、待てよ? 逆にあれが人工人格だったってこと……か? ああもう、ややこしい!?」
〈どうじゃ、わしの傑作は? 花に四六時中、それこそ何年も貼りつけてディープラーニングさせたからのぉ。そこいらの人工人格とは理由が違うわい。ほとんど人間、ほぼ花、といっても過言ではないぞ、あれは?〉
 ひさびさに口を開いたかと思えばこのマッドサイエンティストは、まったくやれやれである。おおかた花の言っていたゲームも、このシヒのためにテストだったのだろう。俺がどちらが人工の人格かを見極められるかどうか。否、人工人格が俺に見抜かれてしまうかどうか。どこまで人間に近づけたか。それを知りたくて。
〈……っとに、ろくなことしねぇなジジイ? おかげで大混乱だ。っで、なんだ? 花が直に体感してみて、あの紫のは相当にやべえと思った。そういうことか?〉
〈そう。あれには勝てない。僕でも。もちろん、きみも〉
〈そうなのか? でも、花だって相当なものなんだろう、操縦の腕は? 機体のスペック差は別としても? それでも絶対に勝てないのか?〉
〈行動パターンや手の内を知られすぎてるし、単純に僕よりも技術が上なんだよ。訓練してきた時間が、経験値が、絶対的に違うからね〉
〈行動パターン? なんでそんなものを把握してるんだよ? リジがお前のデータをマダムタッソーに流したって警戒してるのか?〉
〈必要ないんだよ、そういうのは。だって、あれ……未来の僕みたいだから……だから僕のことも、きみのことも、よく知ってるはずだよ」
 シャッフル――あれこれ入れ替わり、順番が、時空がバラバラに混ざり合う。身体までも。一体どれが誰で、誰が俺なのか。この機械の身体の俺は、本当に俺なのか。いよいよ脳の処理機能が追いつかず、花の言葉を取り落としそうになる。人格に目眩を覚え、内心でふらつく。今日一日で叩き込まれた情報、状況、その量と質。それがあまりに異質すぎて、まるで悪い夢でも見ているよう。もしやあのイギリス旅行時のPMSで事故でも起こり、本当の俺は今や電子の彼方へ溶けてしまっているのではないか。
〈……っとに、次から次へと。なんで未来の花が敵側に回ってるんだよ?〉
〈それはきみも同じでしょ?」
〈となると……未来のわしも、なのかのぉ?〉
 視界の端のフクロウが尚さら滑稽に見えてくる。まるでコントだ。花やシヒがいるから、まだ独り相撲ではないけれど、それにちかい感覚である。未来の俺と今の俺でてんやわんや。まったく俺はなにをやっているのか。それも盗まれた己の身体を前にして。
〈それに加えて、今、きみの身体の中にいるのはクザンだ。間違いなく〉
〈身体拾いを生業に変えた新生マダムタッソーのリーダーとかって言う、あの? シヒも顔を見たことがないとか言ってた奴か?〉
〈そう。そのクザン。つまりはリジよりさらに先の未来からきた、もう独りのきみよ……〉
「はぁっ!?」
 いよいよ絶句するのに飽きてか、本能が思わず声をあげる。目の前に転がる忍者が十年先の未来から来た俺で、目の前の生身の俺はそのさらに先から来た俺。クザンも俺で、リジも俺。俺も俺。
〈……待てよ? もしそれが本当なら……マダムタッソーを作ったのも、俺? 対抗組織のクルティウスを作ったのも、俺? なにやってんだよ、俺?〉
 クザンのことは傍らの天才科学者にも伏せられていたようで、同じようにシヒまで驚いている。それほど花から伝えられた事実は衝撃的だったようだ。フクロウのアニメーションが視界の端でおかしな行動を取りはじめ、首をくるくるくるくる回している。
「そろそろ、いいかな? 俺のターン?」
 そこで、だ。それまで腕を組み、静かにこちらの状況を見つめていた生身の俺がゆっくりと両手を広げた。紫の忍者の向こうで。敢えて俺たちに現状を理解させるだけの時間を与えていた、と言わんばかりに優雅に。


009

「自分の身体はさすがにしっくりくるよ。でも、まあ、なんだ……代体での生活が長かったからか、今では多少の不便さを感じるよ」
 俺の声。俺の顔。俺の仕草。分厚い壁の内側に満ちる、俺。言われて見れば、そういう目で見てみれば、あれはまさしく俺であった。俺、そのものだった。未来の俺が、今の俺の肉体に宿っている。
「誰しも一度は思うことがあるだろう? 年を重ねた後に。ああ、このまま、今のこの知識のまま、この考えを持って、若い頃に戻れないものか? 過去のあの時に今のような判断ができていれば、と。もちろん宝くじだって当てられるしね」
 自分以外の自分が発する、自分の肉声。それも録音でなく、リアルタイムの。なんとも違和感しかない。俺が俺に俺の声で話しかけてくる。
「その夢を叶えたんだよ、俺は。すなわち未来のおまえは、ね。ああ、そうそう。俺は今より二〇年先の、二〇九三年からきた転移人格だ」
「九三……クザン、ね。そういうことかよ?」
「さすがに俺だ、よく気づく。ええっと、ややこしいな。呼び方としては……ジュニヤ、だったか? それから、そっちはリジ。っで、俺はクザン。ジュニヤ、リジ、クザン。すべて俺、野依治良だけど、まあ、この場はアダ名で使い分けていこう」
「……ややこしくしたのはおまえらだろう?」
「そう。そしておまえでもある。未来の、な?」
「俺はもうアダ名なら、いっそベッドで構わないけどな……」
「そいつは無理だ。おまえも、俺も。そして、その他のおまえも。おそらく同じ性質を持っているからな。ベッドじゃあ差別化にはならない」
「なんてこった。未来の俺も今とそう変わってないってことか? やれやれだぜ……」
 十年先の未来からきた俺は四肢を失って仰向けたまま、未だぴくりとも動かない。まさか『我こそがベッドのアダ名を!』と主張しているわけでもあるまい。虎視眈々と某かを狙っているのだろうか。ともあれ地下三十階の二層の部屋の内側に、今、三人の俺がいる。それから二人の花が。
「見るにそっちの花はクザンと同じ時代から来た転移人格ってわけだ? っで、だ。なんでもいいけどな、クザン……おまえ、勝手に俺の身体を盗むんじゃねえよ?」
「盗む? 俺のものを? どうなんだ、それ? ジュニヤ、それって盗むって言うのか?」
「……まったく面倒なことしやがって。ややこしいな」
「そう。俺は、今も、昔も、未来も、面倒臭がりなクセに面倒なやつなんだよ。っで、今日、ここには話をするために来た。俺にはジュニヤ、おまえは殺せない。安全性の面でな。さすがに未来のシヒにもまだ予想できないらしいからな。未来の俺が過去の俺を殺したら、どうなるのか? 未来の俺は存在しなかったことになるのか?」
「なるほど。それでリジのやつも躊躇して……俺の首を刎ねられなかったわけか? なんというか十年先と二十年先の自分がこんなヘタレだとは、なかなかに失望させてくれるよ。もう少し覚悟を決めて、思い切ってトライしたらどうなんだ? やればできるよ、じゃないのか? 未来の俺たちよ?」
「おまえが言うなよ。おまえが努力してこなかったから、こっちはあれをしとけばよかった、これを頑張っておけばよかった、って山のように思わされるハメに陥っているんだからな、過去の俺よ? 医学の勉強とか、諸々な」
 リジは尚も動かない。己よりさらなる未来の己には勝ち目はないと半ば諦めているのだろうか。それともやはり逆襲の機を窺っているのだろうか。ともあれ、目下、動きを見せてくるのは二十年先の俺である。この男の目的がなんなのか。相手は生身、いっそ腕力に物を言わせてしまえば、と思わなくもない。けれどもクザンの前には、立ち塞がる未来の花がいる。
「……なあ、花? ああ、そっちの、二十年後の未来からきた紫の方の……って、こっちはこっちでややこしいな? 紫の花、紫の花……紫陽花! よし、アジサイと呼ぶことにする。っで、アジサイ、おまえはなんのために過去に? クザンの手伝いか? それとも、おまえも若い頃の自分の身体が目当てなのか?」
 沈黙。間。無言。アジサイもクザンも聞こえていないはずはない。俺は誤りなくきちんと音に発している。しかしだからこそ、かえって触れてはいけないものに触れたような、重苦しい空気が室内に満ちるのがわかる。
「……ジュニヤ、おまえはまだ知らないだろう? だから教えてやる。まずもって諏訪花は天才科学者シヒ、小林弘親の孫だ。そして同じく天才である石田彰夫の娘でもある。さらにはリジの恋人であり、果ては俺の妻でもあった女性だ」
 まさかの展開に俺はありもしない脊髄で思わず反射してしまう。
「ジジイの孫? マジか!? 全っ然似てねぇ!」
〈それは僕だって思ってるよ……似たくもないしね〉
〈やれやれ、今の話を聞いて最初に反応するところが、そことはのぉ? 実におまえさんらしいわい……〉
 花とシヒ。俺の視界の端で情報支援ガイド知能がコミカルに肩を竦めてみせる。老いたフクロウのそのアニメーションにそっくりであったシヒの顔が思い起こされる。やはり花とは似ても似つかない。もちろん、あののっぺり顔の看護士とも。
「……んで、なんだ? あった……って、なんで過去形なんだよ?」
「難しいところだな。半分が過去形で、半分は現在進行形だから。いや、ジュニヤの時の俺からしたら、どちらも未来形になるのか?」
「いちいち、ややこしいな……」
「まあいい。ともかくだ。花は若くして病気で動けなくなる。そして肉体的には死ぬ。人格は代体に退避させることで、どうにか難を逃れるがな。そういう意味で、半分ってわけだ。もちろん禁忌中の禁忌だってことは承知の上だ」
「……花が?」
「未来の僕が……病気で、死ぬ?」
 思いがけぬクザンの言葉に俺も花も衝撃を隠しきれない。
「そういうことだ。俺は俺の若い頃の肉体を手に入れた。次に花だ。彼女の、この時代の肉体を手に入れる。そうして、ここから二〇年をともに生きる。このターンで病をどうにかできればよし。もし解決が難しければ……」
「また二人で過去へ戻る? それの繰り返し……ってことか?」
「さすがは俺だ。俺の考えを理解するのが早いな? とはいえ、まだこのターンの現在じゃあ人格情報を過去へ飛ばす技術が存在していない。もちろん未来からきた俺や花がなんとなしに理論をわかっているだけじゃあ絵に描いた餅で具現化には至れない。というわけで、その禁忌の外法はこの時代の天才たちにあれこれ頑張って開発してもらっている。今々では、あと十年くらいで、もしかしたら完成するかも、ってな状況だ。だから何回でも過去に戻ればよい、なんて甘い考えはもっちゃいないよ。俺は今回のターンで花の病気を治してみせる。必ずな」
「悪い、クザン。キメ顔かましてくれてるところ申し訳ないんだけど、ちょっと待て。ややこしすぎる。一旦、整理させてくれ。ええっと……」
 二人が最初に出会ったのは今の時代の諏訪花と十年後の未来から来た俺、リジ。つまりは野依治良は花と出会った時には既に身体を盗まれていた。俺は代体の身体で生身の花と恋人になった、ということになる。そのまま時を重ねて結婚をし、クザンとアジサイに至る。しかし生身であった未来の花は途中で病気になって肉体を失っている。やむなく揃って今の時代にやってきた二人は現在、未来の俺ことクザンは今の俺の肉体を手にし、アジサイは代体のまま彼のボディガードを努めている。今度は逆転して俺が生身で花が代体に……っと、そういう状況であるようだ。
「……って、おまえら……いや、俺らか? あれこれあって、今まで一度も……生身同士で過ごした時間がないんだな?」
「そうさ。だからこれからそういう時間を過ごすんだ、絶対に」
「やれやれ。だからって今の時代の花も、この俺みたいに生身から追い出そうって? イギリス旅行の当選でもでっちあげて? でも過去の自分を消滅させたら未来の自分に影響があるかもしれないから殺せない? なんとも面倒くせぇな、おまえたち?」
「そう。それが俺たちで、そして未来のおまえたちだ。これでわかってくれたか、俺たちがここへきた目的が? 二つだ。一つは花の身体を譲り受けるため。これから俺は上にあがり、人工人格の入っている花の身体を追う。そしてもう一つ。それはジュニヤ、それからリジ、おまえたち、過去の俺に説明をして、この身体を譲ってもらうためだ」
「……はい、そうですか、と言うとでも? おまえも俺なら、俺の性格はわかっているはずだろ?」
「わかっているから、こうして説明に来ているんだ。いいか、勘違いするなよ? 別に奪おうっていうわけじゃない。順番に使おう、って相談なんだ。時間を経れば、おまえたちは未来で俺になる。まずリジになりクザンになる。そして、こうして身体を手にいれる。わかるか?」
「逆にいえば……そこまでは身体を諦めろ、と?」
「人は幸せを感じるまさにその瞬間より、確実に訪れると約束されている幸せがある場合、それを待つ時間の中にこそ幸福感を感じられる、とも言われている。過去の俺たちよ、ここで俺に身体を譲ってくれ。そうすれば、おまえたちの未来での幸せが確定し、すなわちそこまで待つ時間を幸福として味わえることになる。悪くない話だろう? 俺がここまでどういう道筋を辿ってきたか、もちろんその経緯もデータで渡す。おまえたちはそれをなぞるだけでいい。それで、今日、この日、俺が肉体を取り戻す、この未来まで辿り着ける」
 顔や仕草にこそ余裕を浮かべているけれど、クザンの瞳の奥が笑っていない。俺だからこそ感じられる、俺の必死さ。どうかわかってほしい、その心根は嘘でなさそうだ。しかしそこで視界の端のフクロウが囁きかけてくる。
〈……のお、ジュニヤよ?〉
〈おう、なんか良い方法でも思いついたか、天才?〉
〈やれやれ。良い、とは一体なにをどうすることじゃ?〉
〈それを含めて、この状況をどうにか良い感じに切り抜けられねぇのかってことだよ。あっちを立てて、こっちも立てて、三方良しって感じによ?〉
〈……無茶苦茶じゃのぉ、相変わらず。どの時代のおまえさんも。まあよい。それよりも、じゃ〉
〈なんだよ?〉
〈あれは本当におまえさん、なのか?〉
〈……どうやら、そう……らしいぜ?〉
 なんとなし既に体感としての実感がある。あれは俺である、という。根拠はない。けれど眼前の二人の俺が俺だと俺の本能がそう感じている。だからこそ困惑している。
〈いや違う。少し意味がのぉ。あれはたしかにおまえさんじゃが、しかし本当におまえさんなのか? そう問うておるのじゃ?〉
〈……わけがわかんねぇよ。なに言ってんだ、ジジイ?〉
〈たとえばじゃ。おまえさんが未来のおまえさんを殺したとして、おまえさんは数年後に同じ死に方をすると思うか?〉
〈いや、しねぇだろう? 死ぬ可能性があるとわかってるなら、まずその場所に行かねぇからよ?〉
〈そういうことじゃ。いやいやどうして、案外、鋭いやつじゃのぉ?〉
〈案外、は余計だ!?〉
〈歴史の修正力? だの、なんだのと……わけのわからん説もSFやファンタジーではあるが、まあ、そんなもん眉唾じゃ。物語ゆえのご都合主義、フィクションでしかない。なにせ理屈がわからんからのぉ、この天才のわしをもってしても。となれば存在しないも同義じゃ。とすれば……〉
〈……とすれば?〉
〈未来のおまえさんからして過去のおまえさんはおまえさんかもしれん。だが過去のおまえさんからして未来のおまえさんは別人ということじゃ。未来のジュニヤがそっくりそのままリジやクザンをなぞるとは限らんからのぉ〉
 一理ある。クザンはこれまでの道程をデータで寄越すと言った。暗にそのとおりに行動すべし、ということだ。けれども、しかし、そのとおりにしなかったなら。あえて異なるアクションを選択したなら。
〈……花が病気ってのはどうする気だ?〉
〈どうするもこうするもおまえさん次第じゃろ? 別にクザンのやつだって今時点で明確な手があるわけではないようじゃしのぉ?〉
〈病気になるとわかっただけでよし、ってことか?〉
〈クザンとジュニヤ、どちらの方がそれを解決できる可能性が高いのか、わしには読めんからのぉ?〉
〈……よし、決めた。花の病気もとりあえず俺が引き受ける。『やればできるよ、のびる君』ってな? ここから勉強して名医にでもなってやるさ。そういうわけで、まずはあれこれ考えず、このターンを、今を、生きる。元より譲る気はなかったけどな、俺の人生は……たとえ俺に対してでも」
 言うなり俺は機械の身体を駆って飛び出した。同時に紫の忍者が眼前へ滑りくる。ジュニヤと呼ばれる俺をアジサイが阻みにくる。
「よせ! やめろ! おい、ジュニア! おまえ、話を聞いてたのか!?」
「聞いたうえでの、この選択だ! もう少し俺をわかれよ、クザン!!」
 とはいえ、スペック差は如何ともし難い。それもそのはず、未来の天才、未来のシヒが考案したのであろう最新代体の構成データ、それをもとに天才の息子あたりが作った逸品なのである。漆黒の影は十年先の、紫忍者は二十年先の、天才の技術から生み出されている。この身体の即席小太刀二刀流で捉えられるはずもない。くるくる、くるくる。繰り出す刃が無様に空を切る。かすめられる予兆すらなく、へっぽこダンスを踊らされる。
「……わかれ、だと? 俺にはむしろ断る理由がわからないが?」
「いやいや、おいおい、嘘だろ、クザン? 俺は、野依治良は、RPGでも一度クリアした後の、強くてニューゲームが楽しめないタイプだろうが?」
 二刀を振り回しながら俺はクザンに向かって答える。意識は、狙いは、常に己の肉体へ。アジサイには到底敵うまい。しかし紫の忍者に勝つ必要はない。俺が俺の肉体を拘束さえできれば、それで勝ちだ。くるくる、くるくる。踊りながら好機を窺う。未来の花が俺を殺せないこともわかっているから守りの意識は不要だ。
「そのあたりの趣向は未来では変わってるのか? あとな、自分が、決められたレールの上に沿って進める真面目なタイプだとでも本気で思ってるのか? そりゃあ傲慢ってもんだぜ、クザン。なあ、謙虚にいこうぜ? 俺はむしろ好奇心から敢えて道から外れたくなるタイプだろう? そうでなければESPerなんて仕事してねえだろう?」
 腕を振り回す。無作為に。無鉄砲に。この身体にスタミナ切れはない。動ける限り、刃を振れる。そして攻撃を続けられる限り、可能性はゼロではない。POTOに比べれば、まぐれ当たりが出る確率のほうが幾分か高そうなくらいである。
 幾度かの回転を経るとクザンからの応答が止んでいた。感覚すれば生身の俺が、なんとも言えぬ表情を浮かべているのがわかる。互いに互いを理解していた。俺であるからこそ、俺は、未来の俺の、その重苦しい迷いまで察せられている。間違いない、あれは、クザンは、俺だ。
「……それとな、クザン? これだけは声を大にして言っておくぞ? いいか?」
 二刀を振り回しながらも改まった俺の言葉にクザンが神妙な面持ちで顔を上げる。
「まだ何もはじまってないのに、今日、会ったばっかりなのに……未来で恋人になります、結婚します、って言われて、どうすりゃいいんだよ! ここから先の対応……先を知っちゃったからこそ、困るだろうが!! 変に意識しちゃうし、おまえ、どうしてくれるんだよ? これじゃあ逆にうまくいくものだって、いかないだろうが!?」
〈ほっほっほ。そりゃあ一理あるわい〉
 耳元で思わずとばかりシヒが笑う。今の状況を忘れたように快活に。楽しげに。それどころかいっそ腹でも抱えんばかりに。花は困惑しているのか、感情を言葉にできないと黙したまま、漆黒の影そのものに沈んでいる。
〈いや、おまえらしい。実に、おまえらしいわい。これでようよう準備オーケーじゃ。手筈どおり、といったところかのぉ。ほっほっほ。〉
「変なとこでツボに入ってんじゃねぇよ、クソジジイ!」
 むかっ腹の立つほどの大笑を見せつけられ、俺は無意識に声に出して応じていた。そこで、ふと思い至る。肩の力でも抜け、思考に柔軟性がもたらされたのかもしれない。
「そういえば……ジジイは? 未来のジジイもこっちに来てるのか?」
「シヒは来ていないよ」
 答えたのはそこまで黙していた未来の花、アジサイである。ボディが違えばやはり声音も違う。まったく別人のようでもあれば、それでもなんとなし花のように感じられもする。アジサイは事も無げに刃をかわしながらお茶でもしているかのごとき調子で応じてくる。扇風機よろしく、くるくる回る俺とは雲泥の差、その流麗な体捌きはまるで舞いである。
「人格なんて送らなくても『未来の自分から過去の自分へ必要な情報さえ送れば、今、なにをするのが最も合理的で効率的かなんて瞬時にわかる。史上最高の天才じゃからのぉ』だって。『そもそも唯一無二、一つの時代に天才は一人であるべきじゃ。だからこそ、史上最高なのじゃから』とも」
「……どこまでいっても変わらねえな。あんたのところの傲岸不遜ジジイは?」
〈だれが傲岸不遜ジジイじゃ!?〉
「ってことは、あんたが持ってる未来のシヒからの情報が今のシヒへと渡れば、今のシヒはそっち側へつく。そういう目算までついてる、ってことか?」
〈……ほう? それはちと気になるのぉ? 未来のわしからのラブレターとは、なにやら感慨深い〉
「クソジジイ! ちょっと黙ってろ!」
 叫びながら後方に飛び退き、俺は二刀の刃を正面に交差させて構えた。少しアジサイとの距離を取る。どうにも埒があかない。未来の花も俺の狙いがわかっているからクザンへの隙を欠片も見せないし、向こうは向こうでスタミナ切れがない。
「それで? なんやかんやで交渉決裂してるぜ? どうするよ、未来の俺?」
「どうする、ではない。結論は既に出ているさ、過去の俺よ? 元よりそんなつもりは毛頭ないが、未来の側からすると過去の俺は殺せない。しかし、それだけだ。代体のスペック差はどうあっても覆らない。より遠くの未来からきた俺たちの武器の方が圧倒的に優れている。つまり『お知らせ』に変わっただけだ。『相談』で済ませたかったがな。無理なら仕方がない。腕力で押し通すまで。今の時代の俺と花の身体は俺たちが貰っていく。出来れば争いたくはないし、今からでも邪魔はしないでほしいがな……」
「はっ、たいした自信だな? ところで、いいのか? 二人とも生身になったら、その瞬間から逆に今の時代の代体にすら勝てなくなるんじゃないのか? 今でこそアジサイがいるから防げているが、そうじゃなきゃあ瞬殺だぞ?」
「心配いらない。俺たちの抜けたあともこの最高の代体には最高のボディガードを続けてもらう。専用の人工知能をインストールしてな。それで俺と花をそれぞれ守らせる、四六時中な」
「なるほどねぇ……っで、最後にもう一ついいか? おまえ、なんで身体拾いなんてしてたんだ? 未来からきたんだろう? 宝くじなりなんなりで金には困らないはずだが?」
「単純に同じ理由だ。それぞれの仲間が、それぞれの理由で、それぞれに過去の己の身体を。それを互いに協力しあっているだけだ。別に俺たちは無作為に身体を奪い、誰彼構わず売り捌いているわけじゃない」
「……なるほど。まったく、やれやれだ」
 即席の二刀を握りしめ、どうすべきか内心で惑う。勧善懲悪の筋立てならず。現実とはかくも複雑なものなのか。どちらが正義でどちらが悪で、という二元論では決して片付けられない。各々の正義と正義、主張と主張がぶつかるからこそ争いとなるのだ。同じ俺自身ですらこうなのだから他者ともなれば尚更であろう。簡単にクザンを悪とは断ぜない。あれの気持ちも多いにわかる。しかし俺は俺で譲ることもできない。
 大きく一つ、機械の身体のため実際にではないけれど、大きく一つ、息をついた。意識として。人格として。妙に落ち着いていた。いや、落ち着いてきていた。いつからだろう。老いたフクロウが変に大笑いして以来かもしれない。ともあれ妙な感覚だった。万能感とでも言おうか。話が進めば進むほど、まるで予定どおりと言わんばかり。己の筋書きどおりと言わんばかり。そんな気持ちにさせられていく。最悪の状況へ陥れども命の危険はない。事故にでも遭いそうものなら逆に未来の俺たちが必死に守ってくれよう。そんな保証、そこに安心感を覚えているのだろうか。はたまた己の命という切り札をまだ持っているからこその余裕だろうか。どちらにしろ俺は落ち着いていた。スペック差はあれど、負ける気がさらさらしない。
〈おい、ジジイ? ……なんなんだろうな、これ? 悪の親玉だと思っていた身体拾いのボスが実は未来の俺で……身体拾い自体も未来の自分が過去の自分の身体を奪っているだけのチームで、別に他人から身体を盗んでるわけじゃない、ときた」
〈悪いが如何に天才のわしでも倫理の面は答えられんぞい?〉
〈……だろうな。ところでジジイは直感って信じるか? 虫の報せとか、そういうの?〉
〈閃きというのなら、しょっちゅうじゃが? 天才じゃし?〉
〈はいはい、そうですか〉
〈っで、それがどうかしたのか?〉
〈なんでだろうな? 負ける気がしないんだ〉
〈死ぬ気がしない、じゃなしにか?〉
〈……ああ、そうだ。なんでかわからないけど違う。負ける気がしない〉
〈スペックの差は歴然じゃぞ?〉
〈それもわかってる。でも、なんだろうな? 見たことがある、っていうのか? 漠然と先が読める。細かい道筋はわからないけど、とりあえず突っ込めばなんとかなる気がする〉
〈なんじゃそれ? おまえさん、遂にいかれたか?〉
〈かもな!〉
 たしかにオーバーヒートかもしれない。想定外の事態の連続に情報処理能力のどこかが破損しているのかも。ともあれ言うなり再度飛び出した俺は今度はアジサイへと突撃する。僅かに虚をつくも未来の花は『だからどうした?』とばかり、万全の態勢で迎え撃ちにくる。いける。なぜだか湧いた確信めいたその気持ちだけが留まることを知らずに膨張し、俺と俺の機体を加速する。
 ギィン。ブチィ。鈍い音。その後の物体の落下音。
 突きつけられる厳しい現実、俺は勘違いよろしく、たちまち両手両足をもがれていた。身動きの取れない状態にまで破壊されていた。どこが負ける気がしないものか。完全なる敗北である。無機質な天を仰いで転がる俺の背が冷たさを感じることはなかった。代体であるから四肢を失った痛みすら伝達されてこない。だからなのか実感が薄い。悔しさや憤り、絶望がない。ただただ動けなかった。それだけだった。俺はいつからこれほど世捨て人となったのか。機械の身となる時に大切な何かを欠落してしまったのかもしれない。
「……悪いんだけど僕としてもさ。きみを死なせるわけにも身体を渡すわけにもいかないんだ」
 アジサイが俺の傍らに片膝をつき、小さく呟いた。視線を向ければ彼女の向こうにクザンが、生身の俺が、立っている。その少し手前でひたすら動きを見せないリジ。四肢を失った十年先の未来から来た俺は、今、なにを思っているのか。もはや静観を超えて傍観と言ってもいい。
 万事休すと観念しかけた、その時だった。前後、いつからなのか。まばたきなどしない身なれど、生身でいうところの、それ。その前後で視界が切り替わった。気づけば手足がある。そして生身の俺が、クザンが、すぐ近くにいる。逆に少し先に屈んでいるアジサイの姿まで見える。まるでカメラを切り替えたかのように。
〈……な、なんだ?〉
〈さて、スイッチは入ったようじゃのぉ? まあ、すぐに思い出すじゃろうて。ほいさっさっと〉
 遷移した視界の端で尚も変わらず主張をくれる老いたフクロウのアニメーション。その顔を認めるなり俺の脳裏にすべての情報がドバッと甦ってくる。まるで洪水のごとく。
〈……おい、ジジイ? さらなる大どんでん返しは来ねえよな? このパターンで?〉
〈案ずるのもわからんでもないが、こうしてわしがおまえさんについている。それが証明じゃよ? おまえさんがラストじゃて〉
〈今のところ、だろ?〉
〈まあ、そうじゃな〉
 情報支援ガイド知能が、それに潜ったシヒが、再び大笑をみせてくる。俺の視界の端で。それこそが合図であり、スイッチであり、改めてしっかり押しておこうとばかりに。
〈……過去に戻れるだけじゃなく、身体を変えられるだけじゃなく、記憶まで変えられる、とは。なんとも業深き存在だな、人間ってのは?」
〈ほっほっほっ。たしかにそうじゃが、それはおまえさんが言うもんじゃないのぉ? まさしく人間の最たるものじゃろうて、おまえさんは。およそ禁じられているすべてのことに手を出しておるのじゃから〉
〈そのすべてを技術的に可能としてるのはジジイじゃねえかよ!?〉
〈当たり前じゃろ? 天才とはいえ所詮は人間、わしはそれをわきまえておる。わしからすれば孫の命が最優先じゃて。それ以外のすべてが小事。そのためには天に唾を吐き、悪魔に魂だって売れるわい。事ここにおいてだけは彰夫とも同意見でのぉ〉
 やれやれである。気づけば俺はリジの身体と人格を入れ替えていた。十年先の未来からきた俺がこれまで静かであったのは動かなかったのでなく動けなかったから。まさか電撃よろしく、俺の振るう二刀の刃から放たれた信号に拘束されていようとは。リジよりもクザンよりもさらに先、俺の時代、二一二八年の未来だからこそ確立されている技術によって。もちろん、メイド・バイ・ジジイだ。蘇りつつあるうろ覚えの記憶を使って電子拘束を解除し、俺はリジの身体が再び動くことを確認する。先程までのオンボロ代体に『妙に大きな電流発生装置が積んである』と言っていた警官の言葉をそこで思い出した。すべてはこの時のための仕込みであったらしい。
〈っで、一二八年、十二と八……っで、ジュニヤね? やれやれ、雑なアダ名だな。しっかし、マジで未来での記憶をすっかり忘れてたよ。完全に今の時代の俺として過ごしてた。今の今まで。それで、ジジイ? そもそも俺は何年前から俺なんだ?〉
〈物心つく前から、じゃよ〉
〈……はっ? どういうことだ?〉
〈さすがにまだすべての記憶は戻らんか?〉
 シヒと会話する間にも猛烈なスピードで記憶が書き換えられていくのがわかる。とてつもない情報の渦に乗り物酔いにちかい目眩を覚える。軽い吐き気すらもよおす。
〈おまえさんの母親が赤子を身籠ったとき、自我の芽生える前に、おまえさんの人格を外部からインストールしたんじゃよ。未来の記憶を消してな。もちろん、とあるタイミング、つまりは今じゃ。そこで思い出せるよう仕掛けをしてのぉ。消したというより封印した、の方が正確かもしれんのぉ」
〈……なるほどな。っで、もう本当に、さらに先の未来から来てる俺はいない、ってことで良いのか?〉
〈今のところは、じゃがのぉ?〉
 四肢が復元していた。正確には少し前までリジが操作していた漆黒の影、その黒き忍者の失われし四肢に、先ほどまでジュニヤとしての俺が使っていた身体から切断された四肢がくっついている。その両の手には真ん中で分かたれ、二刀へと分断された例の日本刀が握られたままだ。磁力かなにかを用いたのだろう。アジサイのセンシングの網を掻い潜り、各部を引き寄せ、接合していただなんて大したものだ。さらにはいつから準備をしていたのか、俺の人格を無許可で入れ替えられるようにしてあった。
〈……用意周到とはこのことだな? さすがは大天才様だよ。呆れるぜ?〉
〈じゃろ? ああ、心配するな。人格は入れ替えた形じゃ。リジだった人格は拘束をかけた状態で、元のおまえさんの代体へと放り込んである〉
〈なにからなにまで……しっかし、そこまでやれるのかよ? すげえな?〉
〈禁忌中の禁忌じゃがな。どちらも発動条件や諸々の仕掛けに労力がかかる上、いつでもやれるわけではない。過去への転送も、強制的な人格の入れ替えも〉
〈記憶の封印含め、ジジイにしては今回のために張り切ったってとこか?〉
〈孫のため、じゃからのぉ……〉
 感慨深いフクロウの呟き。その一言にシヒの思いのすべてが集約されていた。だからこそ、より未来の技術を知る、可能性の高い俺へ、味方をするのだと。どうにか不治の病を治してくれ、と。
〈俺に頼るとは偉大なる天才様も畑違いとなるとお手上げなのか?〉
〈医療の分野はちっと、のぉ? 無理をして好きになろうとしても嫌いなものは嫌いなんじゃ。食べ物でも同じじゃろ? そして、それでは成果が挙げられんことを天才のわしは知っておる。世の中とはそういうものじゃ……〉
〈俺なら医療を好きになれるかも、っと?〉
〈わしからすれば可能性ゼロのわしよりは可能性はある。まっ、それよりもおまえさんについてはコミュニケーション能力を買っておるのじゃがな?〉
〈コミュ障だもんな、ジジイ?〉
〈うるさいわ! っとに、なんで花はこんな男に惚れたんじゃ、まったく……〉
〈そりゃあ、こっちのセリフだ。なんで愛すべき花のじいさんがあんたなんだよ、ったく……とにかくオーケーだ。ジジイは引き続き科学であれこれしてくれ。俺は俺自身でどうにかするか、それをどうにかできそうな名医を見つけてくるか、ともあれ禁忌を破った大罪人らしく、不治の病をきっちり解決してやるさ〉
 未来の俺、というとこの場合はもう違うのだろう。クザンも、またアジサイも、まるで気づいていない。それどころか未だ勝ちを確信している節すらある。あまりの不意打ちに少し心が痛むけれど、俺は何食わぬ顔でしれっと紫忍者の背から胸へ小太刀の片割れを突き通した。そのまま瞬く間に四肢を切断し、彼女を無力化する。アジサイが足を失い、ゆるりと頭から倒れこむ。俺の代わりに天を仰いで転がるリジ、その上に覆い被さるようにして。これで敵方の代体は二つとももう動けない。
「そういうこった。悪いな、クザン?」
「……なん、だと? どういうことだ?」
「まっ、そうなるわな? 生身じゃあ、あれこれの情報支援もかからないから、そりゃあ混乱もするよな? とりあえず端的に説明すれば、実は、俺の方がおまえよりさらに先の未来から来た俺だった、ってことみたいだぜ? っで、花の病は俺がなんとかする。今回はそういうターンみたいだ」
 さすがにクザンも絶句していた。これには誰であろうと混乱するだろう。リジもアジサイも。俺は俺でややこしくてかなわない。ともあれ、この場には三人の未来からきた俺がいて、本来この時代に誕生したはずの俺の自我は芽生える前に摘み取られてしまったらしい。
「言っただろう、俺は強くてニューゲームは嫌いだって? ストーリーがわかってるとつまらないからな。でも記憶を消してだったら、もう一度新鮮にプレイができる。そういうことみたいだぜ?」
「……ジュニヤ、おまえ、どうにも他人事みたいに言うが……おまえの考えなんだろう、それは?」
「そうだな。まだ記憶が戻りきらず、不確かだけど、どうやらそうらしい。つまりは未来のおまえの考えでもあるわけだ。なんとも複雑だよな? っで、形勢逆転だぜ?」
 生身と代体では時代はさておきスペックの差は比べるまでもない。チェックメイト。俺はゆっくりとクザンへ、生身の俺へ、近づいていく。
「なんともまあ輪廻転生って気分だよ、クザン? 死ねば天へと戻り、すべての記憶が甦る。っで、別の身体で新たな生をはじめる時、再び地上へ降りてくる。途中、レテの川ですべての記憶を失って、ってな?」
「死んでもいないのに天へ昇ったがごとく、か? まったく傲慢な表現だ。突然さとりを開いた高僧にでもなったかのように聞こえるぞ?」
「だよな? まったく馬鹿馬鹿しい。なんとなし不思議な全能感に包まれていたのは、なんてことはない、一度通った道で、既に知っていたからだったとはね。敷かれたレールの上を歩きたくないなんてどの口でほざいていたのか、と我ながら恥ずかしくなるよ」
「ああ、だな。それでジュニヤ……油断大敵、って言葉は知っているか?」
 生身の俺が乾いた笑いを浮かべるや俺の胸から刃の切っ先が顔を覗かせる。背中側から貫かれていた。忍び寄る気配はまるで察知できなかった。目の前にクザン、さらにはリジ、アジサイまで、しかと視界に捕らえている。一体、誰が。忍者の身体で首だけ振り返れば、風呂敷を被るようにして立つ、花。初代漆黒の影、ワハだ。己の右手右足をいつの間にか修復し、くっつけている。
「……なん、だって? 花?」
「赤ちゃんの時からの自我だし、それ以上前には遡れっこない。だから自分が一番遠くの未来を知っているはず? ……って、そんな錯覚しちゃった?」
 さらに先の未来から俺が来ている。そういうことなのだろう。まったくこれはなんなのだ。
「ああ、でもご心配なく。僕は間違いなく、この時代の僕だよ……たぶんね。きみみたいに記憶をいじられてない限りは、だけど。とりあえず二一四五年のリジから電話があってさ。電話っていうのかな、あれ? まあ、コンタクトがね。きみが防護障壁を張ってる間に」
「……やれやれ。まったく、俺ってやつは。それで未来の俺はなんて?」
「野依治良の身体は、ここでリジに渡してやった方がリジも僕も幸せになれる。だからジュニヤやクザンには渡さないでくれ、って。あと、シヒも僕が貰っていくね。似てないけど、これでも僕のおじいちゃんだから」
 鬱陶しかったシヒが、フクロウが、視界からふっと消える。そのまま行動不能となって崩れ落ちる俺を、もはや眼中にないといった素振りで置き去り、花はゆるりとクザンへ、生身の俺へ詰めていく。
「そういうわけ。まあ、僕としてはやっぱりこれまで一緒にやってきたリジがさ、気心が知れていて一番いいんだ。ってことで、クザン、きみ、ちょっとどいてくれる?」
 口を挟もうにも人格が麻痺して発信できなかった。俺は倒れたまま分厚い壁の内側を感覚する。生身の身体からクザンの人格が抽出され、代わりにその場に転がっていたリジのそれが野依治良の生身へとインストールされる。俺から盛られた痺れ薬のような電子拘束も同時に解毒したらしい。俺の肉体がリジとして、そこに立つ。手を握ったり開いたり調子を確認している。
「未来の技術って、すごいね? この時代の僕から見たら、もう魔法だよ。こんなに小さなキューブで人格を出し入れできるようになっちゃってるなんて。ちょっと夢があるなぁー。まあ、でも、身体がないのは可哀想だから、クザンはそっちに入れとくね」
 キューブへ吸い出されたクザンの人格が今度は先ほどまでリジだった代体へ放り込まれる。一時的な電子拘束をかけた状態で。またしてもの、シャッフルだ。もはや誰がなにで、どれがどの俺なのか。
「さて、いこうか? 大丈夫、リジ?」
「……ああ、なんとか。あまりに予想外の展開で、まだ混乱してるけどな……結果オーライ、なのか? あとは上に戻って、花、おまえが生身へと戻れば万事めでたし。って、ことで良いんだよな?」
「そういうこと、みたい? ……って、リジ? どうかしたの?」
「いや、ひさびさの生身だから。なんだか懐かしいよ。同時に慣れないな、俺の身体なのに。どうにもふらふらする」
「僕がおんぶしてあげよっか?」
「……いや、遠慮しとく。ひとまず息があがるまでは。そこからはよろしく頼むよ」
「そこは遠慮しとく、までで止めておいてよね? もうちょっと格好つけてくれないと?」
 リジと花、二人のやりとりが耳に入る。動けはしないけれど意識が薄れていくわけでもない。地下三十階の水槽には、俺と、クザンと、アジサイが倒れていた。リジと花がエレベーターで上がっていく。シヒまで引き連れて。 


010

 沈黙。静寂。暗闇。そのままどれくらい経ったろう。徐々に身体が自由を取り戻してくる。自動修復によって可能な限りの運動機能が復元され、そして思い至る。そういえば、と。まったく理不尽ではないか。どの時代の俺にも、その時代に応じた花が付き添っていた。俺以外は。リジに花、クザンにアジサイ。俺だけがパートナーがいない。俺だけが一人。いましばらく身動きの取れなさそうなクザンとアジサイを捨て置き、俺は一足先に地上を目指す。たった一人で。表へ出れば兎を模した建屋が変わらぬ笑みを寄越してくる。闇に桃色に浮かぶそれは少々異様であった。時刻は二三時五三分、既に夜だ。この忍者の身を潜ませるには丁度よかった。
「……って、まだ今日なのかよ? もう何年も経った気分だ……。さて、これからどうするか? また身体を取り返しに? でも、あれも……まあ、俺なんだよな? 二人が生身で仲良くやってるところを俺自身が邪魔するってのも、なんだかな……小うるさいジジイもいなくなっちまったし、けっきょく俺だけ一人っきりの……貧乏くじか?」
 愚痴まじりに呟きながら歩めば闇夜に輪郭を溶かしている前方の生体反応を感覚する。顔を上げてみて、俺は、絶句する。
「きみが一人? そんなわけないでしょ? って、その様子だと、まだ記憶に靄がかかってるみたいね? しゃんとしてよ、ともかく僕が迎えにきたんだから」
 眼前に生身の諏訪花が立っていた。大型でアナログなバイクにまたがって。中身はどうやらリジと先に登っていった、この時代の花でないらしい。さらには未だクザンと地下で倒れているアジサイでもない。
「しっかし、まあ、驚いたよ。僕もようやく思い出したところ。僕が、僕だって」
「……誰だ? 俺、どこかで会っているのか?」
「あら? 忘れちゃったの、ド変態さん? 今度は筋肉量のセンシングは勘弁してよね?」
「あの時……の? 嘘だろ?」
「僕もずっと自分を生身の身体を預かる人工人格だと思ってたんだけど、まさか自分自身だったとはね。いやにしっくりくるわけだよ、この身体が」
「……マジかよ?」
「マジよ。もちろんきみの時代で、きみのパートナーとして一緒にあれこれしてきた諏訪花です。ほらっ、これでたしかめてみて?」
 放物線を描いて放られたキューブを俺の身体が条件反射で受けとる。触れるなり電撃が走り、記憶が今度こそ完璧に甦る。目前の花と恋人として夫婦として過ごした日々が。
「……ははは。マジ、かよ? こりゃあ今だけは代体でよかったよ」
「んっ、どうして?」
「確実に泣いてるから。そんでしばらく動けなくなってるところだわ、生身だったら」
「そんな調子でどうすんのよ? ともかく、行くよ?」
「行く? どこへ?」
「第二ラウンド。取り返すに決まってるでしょう、きみの身体を?」
 やれやれ、どうして。またしてもあれやこれや身体を入れ替えることになりそうだ。シャッフル。この終わらないゲームはなんなのか。むしろこれはこれで終わらないからこそ楽しいのかもしれない、とさえ思えてくる。
「なあ? ゲーム再開は明日にして、今日はいっそ、このままデートってのはどうだ?」
「相変わらず暢気ね、きみは! 馬鹿なこと行ってないで行くよ! 早く乗って!」
 急かされるがまま俺はバイクの後ろに股がった。生身の花よりも俺がハンドルを握った方が運転が正確なのではないかと思わなくもないけれど、ともあれ彼女の迫力に気圧される。時おり感じることがある。生身には代体にはない、熱、覇気のようなものがある、と。まさしく生命の輝きといった。
「……なあ、あの、俺さ? いまいち肝心なとこだけ思い出せないんだけど?」
 花の細い腰に恐る恐る機械の手を回しながら俺は曖昧に言葉を続ける。なんとなし、それはそれ自体が俺の思いでないような、それはそれで地雷のような、そんな予感がある。
「……目的、っていうのかな? 今さらなんだけど……なんで俺たち、リジも、クザンも、誰も彼も生身を求めてるんだ? あんなに必死に? いや、まあ、自分の身体だからって理由はなんとなくわかるんだけどさ。でも使ってるのが他人でなく、自分だとわかったなら、もういいかな……って思わないのか? 未来のだろうが、過去のだろうが、自分にならそんなに雑に身体が扱われることもないだろうし。なにより花の病気の研究に当たるなら、俺は、不眠不休、四六時中活動できる代体の方が良いように思えるんだが?」
「ダメ。そんなのはきみが良くても僕が認めない。絶対に」
「なんでだ? いや、花自身は生身がいいんなら、それはそれで今のそのままでいいんだぞ? 無理して代体にならなくても。というか病気のあれこれを調べたいから、むしろ花には生身でいて欲しいし。でも、俺は……」
「ダメだってば!」
「いや、だからなんでよ?」
「……っとに、いつまでも馬鹿なこといってないでよ! なんのため? 今さら? 決まってるでしょ! セックスよ、セックス! セックスするために決まってるでしょ! 良いからさっさと身体を取り返すの!!」
冬の闇を大型バイクのけたたましいエンジン音が切り裂いていく。「えっ、それだけ?」と後部座席で危うく漏らしそうになる。けれども喉まで出かかったそれを俺は努めて飲み込んだ。眼前に見える花の生身の背から激しい気迫を感じとったから。
「んっ、なにか言った?」
「……いや、なにも」
 シャッフル。それこそボディシェアリングを他人とでなく己と己で。順番に、交代で、そうして生身を使ったらどうだろうか。ふと、そんな提案が脳裏に浮かんだ。そして全員で一丸となって花の病の研究にあたってはどうか。不意に脳内に電撃が走り、俺がこの時代で想定していたストーリーが明確に思い出される。そう、俺は過去の俺たちと手を組み、花の病気を克服すべく、この時代へ来たのだ。俺よりもさらに未来の俺は一体どういった了見でそれを阻んできたというのか。
「……ともかく、やるしかないか。やればできるよ、のびる君」
 冷たい空気が代体の脇を吹き抜けていく。本来ならばなにも感じないはずの機械の肌で、しかし俺はなんとなし冬の風を感じた気がした。大型バイクは花の気持ちを代弁するかのように吠え、俺はなぜだか違う時代の俺に思いを馳せる。

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