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20,06,28。私の愛したアルバム②

「肖像」は特にベースプレイヤーが聞く場合、プレイヤーのレベルによって印象ががらりと変わるアルバムです。

自分が初めて聞いた時は前回書いた通り勘違いした初心者状態でした。
したがってその印象は「何をやっているのかよく判らない」と言う印象が強く、ジャコ先生がデビュー作であるにもかかわらずすべてのベーシストに向けた啓蒙など理解できるはずもありません。

プレイヤーのレベルが「ただ弾く」から「役割を理解して弾く」にUPすると印象は「ベースってここまで出来るんだ」に変化します。
更にベースに親しみ続けたプレイヤーが「曲を盛り立てるラインを考えて弾く」までレベルが上がった時、初めてジャコ先生の提示した「エレクトリックベースが出来る事の拡張」と「なおかつ親しみやすい音楽」という相反する二つの音楽性の融合に気が付くような気がします。

オープニングのDonna Leeでホーンライクなラインを取り入れる事を。

メドレーで続くCome On, Come Overではピチカートでスラップに負けないほどのソウルフルな躍動感を生む方法を。

Continuumではフレットレスによるメロディアスな奏法と4弦のベースでもメロディ楽器として曲を牽引する事が可能であることを。

Kuruではバンドを牽引する推進力としてのプレイの提示を。

Portrait of Tracyではアイディアとひらめきでベースと言う楽器の限界を突破する手法を。

Opus PocusとOkonkole Y Trompaではありがちなベースラインからの逸脱して新しいラインを組み立てるための手法を。

(Used to Be a) Cha-Chaではアルバム内で提示したアイディアすべてをバランスよく取り入れてプレイを組み立てる例を。

ラストナンバーのForgotten Loveではここまでエレクトリックベース奏法の革新を提示してきたジャコ先生の「それでも一番大事なのは美しいメロディだぜ」とでも釘をさすかのようなベースレスなナンバーになっています。

今の時代でも本気でコピーに取り組むと難易度の高い曲揃いなのですが練習するうちに「この曲をモノにするために必要な物」が具体的に見えてくることで奏者のレベルが自然とUPします。ゆえに「肖像」発表後ジャコクローンと称されるプレイヤーが続々生まれたのも納得です。

ちなみに自分はDonna Leeに取り組んだおかげでロックしか弾かなかった所為で深く考えずに動かしていたフィンガリングを立て直す事が出来ました。ラインの複雑さ故「フレットレスで1フレット1フィンガー」と言う奏法が必要になるこの曲は取り組むことで正しい運指が身に付くように導いてくれると言っても過言ではないでしょう。

栄光無き天才アーティストと形容されるジャコ先生の生前発表されたスタジオ録音のリーダーアルバムは2作しかありません。

さらなる音楽性の発展を感じさせる2作目の「ワードオブマウス」も名盤ですが、鮮明に印象が残る「肖像」ほど心に刻み込まれてはいません。

すっかりベースから遠のいている今でも時々聞く事がある「肖像」は正に「私が愛したアルバム」の一枚なのです。

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