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聖クロス女学院物語4巻 お姉さまのなぞとジュリエットの指輪 〈第3章 わたり廊下の告白〉

プロローグ

第1章 ぎわくのお姉さま

第2章 花音がジュリエット

第3章 わたり廊下の告白


 教室がある本館と生徒会室や図書室がある別館をつなぐ、わたり廊下の段差のところ。いつものようにそこでわたしは、さっと右手を差し出した。

「おそれいりますわ」

 花音はまるでお姫さまのようにわたしの手をとり、そおっとつま先をのばして段差を降りる。わたしは片方の手で花音の手をとりながら、もう片方の手をさりげなくこしにまわして、花音がうっかり転んでしまわないように支えた。

「ありがとう」

 花音は毎回、りちぎにそう言って微笑み、いつもならすぐに手を離してすたすたと歩きだす。でも、今日の花音は段を降りてから“やっぱり気がすすまない”というように立ち止まって、ますますぎゅっとわたしの手をにぎりしめた。

「どしたの、花音? はやく行かなきゃ」

 わたしは、すこしあせっていた。もうすぐ校庭のスピーカーから、放課後のはじまりを告げる聖歌が流れてきてしまう。

「演劇部の練習、行くんだよね? 史織さまと約束してたじゃん」
「……ええ、そうですわね」

 まったく花音らしくない、歯切れのわるいお返事。

 そのとき、うしろからきゃあきゃあと笑いながら、わたしたちと同じ一年生のリボンをした生徒たちがパタパタと駆けてきた。みんな、部活に遅れないように急いでるのだ。

 わたしはあわてて、花音を抱きよせるようにして廊下の端っこによけた。彼女たちはわたり廊下の段差なんてものともせずにぴょーんと飛びこし、さわがしくおしゃべりをしながら、わたしたちを追い越していく。

「こらーっ。廊下を走ると、シスターに怒られちゃうよっ!」

 わざとおどけて小声でそう言うと、花音がやっと、ふふっと笑った。
 腕のなかの花音は、夏休みにまたすこし背が伸びたみたい。
 もともとおなじくらいの身長だけど、このままじゃ追いていかれそう。
 そんなことを思いながら、花音の顔をのぞきこんだ。

「やっぱり、お断りする? むりすることないと思うよ」
「ええ……」
「お断りしても、史織さまはお気になさらないと思うな、きっと」

 マリアさまのようなやさしい微笑みを思い出す。
 沖縄の美ら海水族館では、うわぁ怒ったりもされるんだ!って、びっくりしたけどさ。でも、あのときだって、すぐに笑ってゆるしてくださったじゃん。

「だいじょうぶだよ。ねっ、花音。とりあえず行こっ? わたしも一緒に謝るから」

 だけど、花音はますますうかない顔になった。

 
『ごきげんよう、わたしのジュリエット』


 憧れの史織さまからいきなりそんなふうに言われて、花音はたちまちりんごみたいに真っ赤になって絶句した。「放課後、演劇部でお会いしましょう」なんて、あの甘いお声でおっしゃっていただいたときには、もう首がもげそうなほどうなずいていた。
 これで決まりっ! わたしもみんなも、そう思ったんだけど。

 でも、やっぱりいやなんだよね。
 ずっとそう言ってたもんね。

 たぶん花音は、憧れの史織さまに誘われて、反射的にうなずいちゃっただけなんだと思う。わかる。わたしだって、もしあんなふうにおっしゃっていただけたら……その場で心臓がはれつしちゃうかもしれない!

 わたしがさいしょに史織さまに憧れたのは、入学式の御ミサのとき。雲のうえくらい遠くにいるのに、なぜだかふいに目があって、どきっとしてしまった。

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 そして、ほんとうにすてきと思ったのは、美術館でなくしてしまった“えいえんの友”のおメダイを、びっくりするほど熱心に、一緒になって探してくださったから。

 あのとき、夕暮れの葉桜のアーチをくぐって、ほんのすこしだけうしろを歩いた。この方が、わたしの運命のお姉さまだったら。自分でもおどろくほど、つよくつよく、そう願った。

 花音も史織さまに憧れてるって知ったのは、そのすぐあとのことだった。
わたしはまだ花音としゃべったことがなくって、どちらかというとすっごく怖そうと思ってた。

 なのに、よりによって教室でどーんと正面しょうとつしちゃって、花音のだいじな水晶のペンデュラムをぱかーんと割ってしまって。

 そのとき花音は、わたしが休日に史織さまにぐうぜん出会ったことを、いがいなほどうらやましがったのだ。

『……だって、とてもおきれいな方じゃありませんこと?』

 入学ミサのとき、白いヴェールをふわりとかぶった横顔が、とってもすてきだったんですもの。あの方がわたしくしの運命のお姉さまだったらなんて、つい想像をふくらませてしまいましたわ……

 あのとき花音は夢みるように、さくら色に染まったほおに手をそえた。
だけどいまは、どこか困ったようなせつない瞳で、うつむいたまま、つま先を見ている。

 どうしよう、もう放課後の聖歌が流れてきてしまう。
 集合のお時間に遅れてしまう。
 役をお断りするよりも、そのことのほうがいけないんじゃないかと思えた。だって、わたしたち一年生が、上級生のお姉さまたちをお待たせするなんて。

「あっ、そうだ、いいこと思いついた! ペンデュラムに聞いてみようよ!」

 おもいくうきをふりはらうように、わたしはわざと明るくそう言ってみた。

 ねっ、花音おとくいの神秘のペンデュラムでさ!
 ジュリエットをやったほうがいいか、やらないほうがいいか、神様に聞いてみよう〜!

 花音はまたかすかに笑ったけれど、いつものようにポケットからペンデュラムをとりだそうとはしなかった。その代わり、ふっとちいさなため息をついて、ずうんとわたしの肩にもたれかかった。
 
「……陽奈、わたくし、いま自分のことがとってもきらいですわ」
「えっ、どうして?」
「だって、陽奈をこんなに困らせてしまって」

 うーん、まあね。でも、きのどくなのは花音だから。
 よしよしと、肩からサラサラとこぼれおちるその髪を撫でる。
 学長さまに言われるまで気づかなかったけど、だれも花音に強制なんてできない。それなのに、みんなの憧れの役だということだけで、お断りしたら「えらそう」になっちゃうんだから。

 花音は髪をなでられるまま、わたしにもたれてしばらく目を閉じてたけれど、やっとぽつぽつ、ほんとの気持ちを話しはじめた。

「ジュリエットを演じるのはいやなんですの、ほんとうに」
「うん」
「人前に立つのもいやですし、演技をするなんて自信がありませんし」
「それは演劇部のお姉さまがご指導してくださると思うけど」
「でも、舞台に立つのは怖いのですわ。……だって、みなさんの前で、ちょっとした段差につまずいて転んでしまうかもしれないでしょう?」

 わたしはハッとして、黒いレースの眼帯を見つめた。
 そっか、そのことを心配してたんだ。 
 あまりにもいろんなことができるから忘れてしまう。
 花音が、片方の目しか見えてないこと。

 たしかに、舞台ってせまーいなかにいろんな装置があるし、急に照明が暗くなっちゃうシーンだってあるかもしれない。そう考えると、不安であたりまえだ。みんなは、“眼帯のお姫さま”だって、花音のこと、ただすてきだって言うけれど。

「そっかぁ……、そうだね。ごめんね、気がつかなくて……」
「陽奈があやまることではありませんわ。これはもう仕方のないことですもの。……でも、そのことよりも、わたくしがいま自分のことをいやになってしまうのは」

 花音はそこですこし言いよどみ、それからぼそっと、ほんとうにぼそっと恥ずかしそうにつぶやいた。

「……こんなに舞台に立つのはいやなのに、もしジュリエット役をお断りしたら、わたくしではないほかのだれかが、史織さまのお相手役をされると考えてしまうことですわ……」

 えっ、だったら……
 わたしは答えにつまって、思わず黙り込んでしまった。
 
 だって、なんてうらやましいなやみ。
 そんな気持ちが胸をかすめて、ちくちくと痛みはじめる。
 まるで、草の葉でふいに指先を切ってしまったときのように。

「……あきれました?」

 花音が、心配そうにたずねてくる。
 わたしは、すこし考えてから、「ううん」と首をふった。

「あきれたりしてないよ。……どっちかっていうと、いま自分のほうにあきれたかな」
「自分にあきれた? どうしてですの?」
「どうしてって……、花音いいなぁ〜って思うから」

 正直にそう言って、それからわたしはまた「ごめん」と謝った。

 ごめんね、花音は舞台に立つのが不安なのに。いやなのに。
 だけどわたしは、すごく、いいなぁ〜って思っちゃうんだ。
 史織さまと一緒に舞台に立つことや、お相手役としてずうっと一緒に練習すること。悲劇の恋人役として、きっとなんども手をとって見つめあったり、やさしく微笑みかけられたり、耳元で愛を囁かれたりするのかな、ってことも。

 って、え? 耳元で愛を囁かれたり???

 うわあああああああ!
 とたんにジンジンうずきだした胸! それをごまかすように、くるりと花音に背を向けて、廊下の柱にゴツンとおでこを打ちつけた。

「ひ、陽奈、どうしたんですの!?」
「ごめん、なんだろ……。考えたら、ほんとにつらくなってきちゃった」
「陽奈……」

 花音が申し訳なさそうに、うしろから寄り添ってくる。

「ごめんなさい。わたくし、また無神経でしたわね……」
「ううん、いいの。ほんとのことだもん。でもさ」

 わたしはもう、やけになってわめいた。

「わたしなら、ジュリエットになれるのはうれしいと思う。ほかの人にとられちゃうのがいやなら、自分でやると思う。だって、そうできるんだし!」

 ああ、こんな自分はいやだ。鼻がツンとして、涙がでそうになる。
 わたしも璃子さんとおなじだ。花音のこと、うらやましくて、もどかしくて。

 とうとう校庭のスピーカーから放課後の聖歌が流れてきて、わたしはますます「ああ……」とぜつぼうした。さいあく。遅刻しちゃう。
 いっそ、このまま逃げてしまおうか。いつまでも迷ってる花音をつれて。

「……陽奈、わたくし、いま決めましたわ」

 わたり廊下にながながと鳴り響く聖歌のなかで、花音が静かにそう言った。

「ジュリエット役をお引き受けします。……誰にも渡したくない」

 その言葉を聞いたとたん、自分でもいやになるほどまた胸が痛んで、わたしはますます廊下の柱にしがみついた。

「そーだよ。誰にも渡さないで!」

 花音がジュリエットだって、こんなに苦しい。
 だけど、花音だから。ほかの誰かじゃないから。

「ぜったいに、花音がジュリエットになって!」

 これって、強制かな? 
 はじめての気持ちで、よくわからない。
 わたしには望んでもできないことを、あなたにならやってみてほしいなんて。

 花音は、しばらく黙っていた。でも、そのうち決心したように。

「……ええ、わかりましたわ。まったく自信はありませんけど」

 そう言って花音は、いきなりわたしの背にぶつかるように抱きついてきた。そして、思いがけないことを言ったんだ。

「……陽奈、わたくしのこと、きらいにならないで」
「きらいに?」

 わたしは、びっくりした。
 苦しくても、きらいになんて、なったりしない。
 ふりむくと花音は、いまにも泣きそうな顔をしている。

 わたしはそっと、花音のほおに手を伸ばした。
 眼帯をしていない、いまにも泣きそうな瞳のほうに。

「なんでそんなこと心配するの?」

 花音が、かなしげにまつげを伏せた。

「……陽奈のこと、好きだからですわ」

 そっか。
 わたしも好きだよ、という代わりに、わたしはわざとおどけて言った。

「史織さまと、どっちが好き?」
「えっ、それはむずかしい問題ですわね」

 花音がとたんに気をとり直したように、うーんと首をかしげる。
 そしていつもの強気なかんじで、ニッと笑った。

「じゃあ、陽奈は、史織さまとわたくしと、どっちが好きなんですの?」
「えっ、そうだなぁ〜……」

 それはたしかにむずかしい問題だ!
 わたしは笑って花音の手をとり、「行こっ」と引っ張った。もうかんぜんに遅刻だけれど。

「ねぇ、怒られたら、なんて言い訳する?」
「わたり廊下で、悲劇の愛について語りあってたって言いますわ」

 えっ、なにそれ―!
 あははと笑うと、すっかりいつもの調子をとり戻した花音が、「だって、そうでしょう?」と肩をすくめた。

「わたくしたち、親友なのに同じ人が好きなんですもの」
「それはそうだけど」
「でも、いまわかりましたわ。陽奈、忘れないで」

 花音が立ち止まり、祈るように胸元でわたしの手を握りなおした。

「史織さまのお相手役を誰かに奪われるくらいなら、わたくしは死ぬ気で舞台に立ちます。でも……、陽奈を失うくらいなら、わたくしは史織さまをあきらめますわ」

 ちょっ、もー、いちいち大げさなんだから!
 わたしはてれて、ふくれて見せる。それはこっちのせりふ。

「わたしだって、花音だからゆるすんだからね? 史織さまと、こっ、こここここ……」

 恋人同士の役なんて!
 あーっ! と、また天を仰いだわたしに花音はふきだし、「観念なさって?」なんて、こんどは急に意地悪に言いだした。

「わたくし、やるとなったら本気ですわよ?  本気で史織さまの恋人になったつもりで……」
「あーっ、やめて〜〜〜!!!」
「あつく抱擁したりですとか、キッ、キスシーンですとか!」
「いやーーーーっ! って、できるの花音、そんなこと?」
「でっ、できますわよ! 女優ですもの!」
「ふうん、まずは史織さまの目を見てお話しするところからじゃないかなあ?」
「ぐぬぬっ……、よけいなお世話ですわ!」



つづく



☆次回予告☆

ごきげんよう、花音です。陽奈にはああ言いましたけど、まったく自信がありませんわ、史織さまの目を見てお話しするなんて! それどころか、あんなことやこんなこと、……つ、つまり世間一般に恋人というお立場のかたとなさるのであろうさまざまな行為を、よりによって衆目監視の舞台の上で史織さまと演じなければならないなんて! ああ、生きた心地がしませんわ。おお、ジーザス。わたくし、文化祭まで生きながらえることができるのでしょうか……

でも、不思議ですわね。陽奈の気持ちを知って、かえって「わたくしがやらなくちゃ」と腑に落ちたのです。わたくしはずっと、史織さまととくべつに仲のいい陽奈のことをうらやんでいましたけれど、陽奈は陽奈で、わたくしのことをうらやんでいたのですね。わたくしたちはデスティーノのお姉さまも同じかもしれないし、なぜだか同じお姉さまを好きになってしまって、もしや前世からの深い縁があるのではないかしら。そのうちペンデュラムに聞いてみますわ。だって好きすぎますもの、陽奈のこと!

えっ、葵ですか? もちろん葵のことは大好きですわ、もはや家族のように。でも今回、葵が伝統劇への出演を辞退してサッカー部の活動を選んだこと、わたくしはすこしホッとしているのです。だって小学校のときからずっと、いいえ、わたくしが事故にあったあの日から、葵は感じなくてもいい責任を感じ続けて、わたくしのそばを片時も離れることができなかったのですから。だけど、今回は陽奈がいるから。そう思ってくれたのではないかしら。さみしいですけど、わたくしはうれしかったのですわ。だって葵にも、葵の好きなことをしてほしいですもの。

あっ、次回予告をしなければなりませんわね。すこしおしゃべりが過ぎましたわ。ええと、次回はいよいよ、演劇部での練習がスタートします。そこでわたくしが、その、ちょっと……ぐぬぬ、あまり詮索なさらないでくださいませ。なんといってもわたくし、人前で演技をするなんて生まれて初めてのことなのですわ!(> <;)

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