聖クロス

聖クロス女学院物語4巻 お姉さまのなぞとジュリエットの指輪 〈プロローグ〉


プロローグ


 息を切らせて久しぶりにのった登校のバスは、冷房でひんやり冷えていて、夏のなごりのプールの匂いがした。バスは同じ制服の女の子たちをぎゅうぎゅうのせて、駅からうねうねとした坂道をのぼって校門にたどりつく。バスからどっとおし出されたら、またむわっとする熱気。気持ちのいい風が吹き抜ける芝生の前庭はひざしのせいで白っぽくみえて、なぜか水の出ていない噴水池もこまかな光をはじいてきらきらしてる。

 まだぜんぜん夏みたいだけど、中学生になってはじめての秋がはじまるんだ。一年生らしく遠慮して正面玄関のこんざつがひいていくのを待ちながら、わたしはそわそわと空をみあげた。ほら、綿菓子みたいにもくもくとしてたお空の雲も、おさかなのむれみたいないちめんのいわし雲になってる。

 さあ、だれもいなくなったぞ。ドキドキしながら靴箱の前に立ち、お祈りの時間のように胸の前で十字をきった。

「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」

 そして扉の鍵を開けると、いつものようにお姉さまからのお手紙が届いて……

「るわけないよねー、あはっ!」

 今日は、まだ新学期の初日だもん。夏休みはおわってしまったけど、わたしはちっとも残念じゃなかった。だってまた、お姉さまのお手紙を待つ毎日がはじまるのだから!

 おうちできれいに洗ってきた内ばきを靴袋からとりだしてキュッとはき、われながらごきげんな足どりで教室にむかう。そして机にポンとかばんをおいて、中からつかいふるした聖書をとりだすと、わたしはそれだけを持ってふたたび正面玄関にかけもどった。

 おっと、かかとをふまないように、きちんと靴べらをつかってローファーをはかなくちゃ。いつもシスターがおっしゃるとおりに。

「おはよう、陽奈。やっぱり今日は、いつもよりはやいバスに乗ってたのね!」

 次のバスで登校してきた奈々が、はずむような声で笑いかけてくる。わたしも笑ってうなずいた。

「うん! だって、朝いちばんにお姉さまへのお手紙を “ひみつのポスト” に投函したいから!」

 いつからか、聖書にお手紙をはさんでもってくるのが、わたしのなかの決まりになった。折れないように持ってこられるし、主のご加護があるような気がするし、それに。

 クロスの丘のポストに向かう階段を登りながら、うっすら頬が熱くなる。フランス人形のような栗色の髪に純白のヴェールをかぶって祈りを捧げる、史織さまの清らかな姿を思い出して。

 幼稚園から大学までの一貫教育をうたうカソリック系女子校、聖クロス女学院。創立百周年の歴史をほこるわが校で、中等部にだけ脈々と続いてる伝統がある。それは、あなただけを一年間、見まもってくれる「お姉さま」がいること。あなたにとどくお姉さまからのお手紙に、あなたはなにを相談してもいい。なにを質問してもいい。でも、約束がひとつ。

 お姉さまのお名前だけは、聞いちゃだめ。いったいだれがあなたのお姉さまなのか、それだけは興味を持たないこと。

 入学式のときに、生徒会のお姉さまがたからも念をおされた〈デスティーノ〉の約束。だけど、わたしはきっと史織さまだと思っていた。史織さまだと思ってお手紙を読み、史織さまだと思ってお返事を書いていた。

 それって、いけないことだとわかってるのに。

 青々と樹々がしげる階段をのぼり、ふうふうと息を切らせて丘のてっぺんにたどり着く。するとそこにはもうひとりの親友がいて、長い黒髪をさらさらと風にそよがせながら、ひみつのポストが置かれている祠の中の白いマリア像に祈りを捧げていた。

「花音、おはよう!」
「あら、陽奈。沖縄での合宿いらいですわね!」

 振り返って、花音が笑う。黒いレースの眼帯でおおわれていないほうの左の目が、三日月のようにやさしく細められる。

「ずいぶんお久しぶりな気がしますわ。お元気でいらして?」
「もう、おおげさだなぁ〜。たった二週間じゃん!」

 そう言ったけど、わたしもなんだか懐かしい気もちがした。ふしぎだな。去年のいまごろは、花音がこの世に生きてることさえ知らなかったのに。
 なのに、入学してまだ半年もたたないのに、もうとくべつな友達になってるだなんて。

「さっそくデスティーノのお手紙を出しにきましたのね」
「うん。花音もでしょ?」
「それがわたくしは、こちらからお手紙を出したところで夏休みに入ってしまったのですわ。だから、はやくお姉さまからのお返事が届くようにお祈りをしにきましたの」
「そっか。はやく届くといいね」
「ええ。でもきっと、すこぶるお忙しいかただと思いますから」

 むむっ。わたしは返事に困った。
 花音も、花音のお姉さまは史織さまだとかたく信じてる。

 もしも、あなたのお姉さまが史織さまなら、わたしのお姉さまはちがってて。わたしのお姉さまが史織さまなら、あなたのお姉さまはちがうヒト。

 だからこの話題は、いつもすこし困るんだ。そういえば花音も、「ダウジングでつきとめましょう!」なんて、ぐいぐい迫ってこなくなったかも。
 奈々がいつだか言ってたように、自分のお姉さまがどなたかなんて、永遠にわからないほうがいいのかもしれない。わからないから夢をみて、ずっと憧れていられるのかもしれない。

 なーんて、あたまではわかってるんだけど!

 史織さま、史織さま、史織さまに届きますようにっ。
 密かにそう念じつつ、お手紙をはさんだ聖書のページを開く。そのとき、花音がするどくわたしを止めた。

「あっ、お待ちになって!」
「わっ、びっくりした。なに?」

 思わずパタンとページを閉じる。花音が、聖書からぴょこんと飛び出したお手紙を指さして、おもむろに言った。

「そのお手紙は、あえてそのページにはさみこんだのですの?」
「えっ? ううん、ちがうよ」

 折れちゃわないように、ただひょいとはさんできただけだもの。

「では、そのお手紙は偶然、そのページにすべりこんだというわけですわね」
「すべりこんだって。まあ、そうかもしれないけど」

 花音が、わたしにむかってずずいっと身を乗り出す。そして、まるで中世の海賊のお宝のありかでも見つけたように声を潜めて囁いた。

「陽奈、もしかすると、そのページにはなにか深い意味があるのかもしれませんわ」
「深い意味ぃ〜?」

 あーまた、花音がおかしなことを言いだした!

「ええ。今後のデスティーノの命運をしめすメッセージが書かれているかも」

 えええええ〜〜〜? 
 ドン引きのわたしに、花音がますますにじり寄る。

「あら、うたがってますわね? 陽奈、ビブリオマンシーってご存じないの?」
「ビブリオマンシー?」

なんだろ、聞いたことない。花音はいつものように自信満々、やけにとくいげに鼻をひくひくうごめかす。

「ビブリオマンシーとは、書物を使った占いのことですわ。質問をきめて、神さまどうかお導きくださいと念じながら本のページを開いて、そこに書かれた文章からメッセージをいただきますの。いまはどんな本でもよいとされてますけど、もともとは聖書を使った占いだったそうよ」

 ふうん、そうなんだ。聖書を使った占い……

「そんなことよく知ってるね、花音」
「陽奈が知らないほうがおどろきですわ。幼稚舎からずっとミッションスクールですのに」
「そんなことシスターも神父さまも教えてくれないもん。奈々は知ってるかもしれないけどね、受洗してるから」

 そうだ、史織さまもご存じかもしれない。
 今度、お手紙に書いてみようかな。
 またひそかにぽうっとなったわたしに、花音はぐいぐいたたみかけてきた。

「とにかく、おみくじだって、タロットだって、偶然ひいたカードのなかに天からのメッセージが書かれているものですわ! そうだ、ホラリー占星術ってご存じ? それも質問があらわれたその時刻のホロスコープをつくって運勢をよむものなんですのよ? 古代中国の易の思想だって、偶然のなかに必然を見つけるということですし、陽奈も神秘倶楽部の一員なのですからそのくらいは……」
「はいはい、わかったわかった!」

 もー、まったく花音は、言い出すと聞かないんだから。なんて苦笑しながら、お手紙をはさんだ聖書のページに指をかける。でもそこまで言われると、ほんとうになにか意味があるような気がしてくるからふしぎだ。わたしってほんと、のせられやすいのかも!

「じゃあ、開くよ。えーっと、どうしよっかな」
「なんですの?」
「神さまからメッセージをいただくのなら、なにか合図が必要な気がするの。ひらけゴマ! みたいな」
「なるほど、さすが陽奈ですわ。では、そうですわね……」

 花音がウーンと天を仰ぎ、そしてピンときたように格好つけて、パチンと指をならした。

「父と子と聖霊の御名によって、ですわ!」
「OK! じゃあ、父と子と聖霊の御名によって!」


「「アーメン!」」

 えいっ! と開いたページをふたりしてのぞきこむ。とたんにおでことおでこがガーンとぶつかり、「あいたーっ!><;」となった。

「いったぁ〜! わたくし、いま目から火花が飛び出ましたわ!」
「わ、わたしも……」
「くうぅ、まったく陽奈とはしょっちゅうげきとつするデスティーノですわね!」

 おでこをさすりながら、花音がいたずらっぽく笑う。なかよくなったきっかけの、“運命のげきとつ”のことを言ってるんだ。花音の大事なペンデュラムを割っちゃって、あのときはホント、ひやっとしたなぁ〜。

 その花音が、いまはわたしの前髪をかきわけて、たんこぶができてないかとおでこをなでなでしてるんだから、それこそ神秘。ふわぁ、ひんやりした指先がきもちいい。なんだろう、これってちょっと、うさぎのクロちゃんになったみたいな気分で……

「だいじょうぶ、陽奈?」
「うん、だいじょうぶ……。花音は?」
「わたくしは石頭ですからへいきですわ。それで、聖書にはなんて書いてありましたの?」
「あ、そうだった。待って、ええと」

 せっかちな花音にせかされ、気をとりなおして再びページを開く。そして今度は「エッ」となった。それは幼稚舎の頃から、あまりに聞き慣れた言葉だったから。

 求めなさい。そうすれば与えられます。
 捜しなさい。そうすれば、見つかります。
 門をたたきなさい。そうすれば開かれます。
 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、門をたたく者には開かれます。

 マタイによる福音書、7章7節。求めよ、さらば与えられん……

「すごい。まさにいまのわたくしたちに、ぴったりのお言葉じゃありませんこと?」

 花音がこうふんしたように胸の前で手を組む。

「求めなさい、そうすれば与えられます、ですって♪」

 そして歌うようにそう言うと、ふわりとスカートをひるがして、再び白亜のマリアさまに祈りを捧げた。

「ああ、マリアさま、どうか一日にもはやくお姉さまからのお手紙が届きますように!」

 うーん、そうね。たしかにわたしたちはお姉さまからのお手紙を求めてるけど。書いてきたお手紙をそっとひみつのポストに投函しながら、わたしはブツブツはんろんした。

「でも、お姉さまのことは捜しちゃだめなんだよ? 捜しなさい、そうすれば見つかりますってどういうこと? どうかいしゃくしたらいいの?」

 解釈、だって!
 むずかしい言葉をつかえたことに、内心すこしとくいになった。
 花音の前で、わたしはときどき背伸びをしてる。
 お姉さまにお手紙を書くときみたいに。

 だって、子どもっぽいと思われたくない!

「なるほど。いい質問ですわ、陽奈」

 人の気も知らず、花音がニヤリと笑った。

「さっそく今日の神秘倶楽部の議題にいたしましょう。やっぱり副部長はあなたしかいなくてよ? 陽奈」
「その話、まだつづいてたの!」

 そのとき、もうすぐ朝礼がはじまる合図の予鈴がなりひびき、わたしたちは森のリスのように追いかけっこをしながらクロスの丘の階段をかけおりた。

「あのページ、おミサのときによく開いて読まされたとこなの。だから開きやすくなってるんじゃないかなあ?」
「そうかもしれませんわね。でも、なにか意味があると考えたほうが、宇宙のしんりに近づけましてよ?」
「なに、宇宙のしんりって!」

 シスターに見つかって叱られないよう、息をととのえてから玄関にもぐりこむ。いそいで靴箱から内ばきをとりだしていると、自分の靴箱をあけた花音が「あっ!」とおどろきの声をあげた。

「たいへん! お手紙が届いていますわ! お姉さまから、ほら!」

 ええっ、さっそくマリアさまにお祈りが届いたの!?
 はげしく手招きされて、花音の靴箱をのぞきこむ。そこには上品なクリーム色の封筒がちょこんと置かれ、その中央に爽やかなブルーのインクでていねいにしたためられた万年筆の文字があった。


“青柳花音さま”


「あれっ?」

 とたんに鼓動が、ドクンと音をたてた。
 どうして? この文字、わたしのお姉さまの字に似てる……

「花音それ、見せて! なかは見ないから」
「え? ええ、いいですけれど」

 戸惑うように花音が封筒をわたしに差し出す。わたしはゴシゴシと目をこすり、もういちど、あながあくほどその封筒に書かれた文字を見た。


“青柳花音さま”


 やっぱり似てる。いつもブルーのインクでていねいに、そしてりちぎに封筒のまんなかにしたためてくださっている、 “松本陽奈さま” というあの文字に……

 そして、この封筒のはだざわり。初めてお手紙をいただいたとき、こんなにあたたかで品のいい風合いの紙があるんだって驚いた、あつみがあるのにやわらかくて上質な……

「どうしたんですの、陽奈?」

 花音が不安げに、わたしを見ている。
 もしかすると言わないほうがいいかもしれない、でも。

「花音、落ち着いて聞いてね。えっと、目をとじて、いっかい深呼吸してもらっていい?」
「え? ええ……」

 うすい桜色のちいさなくちびるがすうっと息を吸い、ふうっとはく。そしてながいまつげにふちどられた瞳がふたたびジッとわたしを見つめたところで、わたしは思い切って打ちあけた。

「花音のお姉さま、わたしのお姉さまとおなじ人かもしれない」


つづく…



☆次回予告☆
陽奈です。花音ったらジュリエット役に決まったのに、「お断りですわ!」だって! どうして~!? そうしたら、いじっぱりな花音のところに璃子ちゃんがやってきて……えっ、学長さままで!?

次回 第1章『ぎわくのお姉さま』!
次の更新まで、ごきげんようだよ!(*^▽^*)


→続きはこちら。「第1章 ぎわくのお姉さま」


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