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文化の盗用ってなんだ?

こんばんは。南部ゆずです。
先日Twitterで黒人女性が日本のアニメキャラクターのコスプレをした写真を「Kawaii」という文字とともにSNSに投稿したら「Kawaiiは日本の文化の盗用」「Kawaiiは差別用語だ」などと批判的なコメントが寄せられ、日本のクリエーターが反論したという記事が話題になりましたね。

「Kawaiiは差別用語」に原宿系クリエーターが世界へ反論「誰でも使っていい」

最近たまに耳にする「文化の盗用」という言葉。英語では「Cultural appropriation」というようです。
appropriationとは「割当」「経費計上」といった意味の他に「私有、横領」なんて意味もあるようです。

さて、なんとなく言いたいことはわかるけど、「文化の盗用」とはいつ頃から言われ始めたのか?具体的な定義はあるんだろうか?などいくつか疑問に思ったため、少し調べてみました。

文化の盗用っていつから言われ始めた?

日本語で「文化の盗用」と検索して出てきたページの中で一番古そうなのは、
日本人が気づかないうちにしている「盗み」のこと
という、2016年に書かれた記事のようです。
(もっと古いのがあったら教えていただけますと幸いです)

上の記事内で文化の盗用の例として上げられているのは
・パリス・ヒルトンが着ていたネイティヴ・アメリカンのハロウィンコスチューム(2010年)
http://hollywoodcelebnews.blog51.fc2.com/blog-entry-3977.html

・セレーナ・ゴメスがつけていたインドのビンディ(2013年)
https://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/11104.html

・ケイティ・ペリーの着物風ステージ衣装(2013年)
https://amass.jp/31815/

の3つです。

ちなみに、同様の話題はフィギュアスケートでもあったことを思い出しました。
2009-2010年シーズンにロシアのアイスダンスペアが、アボリジニの民族衣装を模した衣装で「民族」をテーマにした演技をしたことに対し、アボリジニの長老から非難を受けたのです。
五輪=ロシアのアイスダンス選手、アボリジニの非難に驚き

以上を鑑みると、だいたい2010年頃から問題提起されるようになったのかなと思われます。

具体的な定義は?

VOGUEの記事「「文化の盗用(Cultural Appropriation)」、その不完全な用語が担うものとは。【コトバから考える社会とこれから】」によると、
本来の定義は

ある文化の何かを、別の文化に属する人が自分のものにすること

ということらしいです。

また、別の記事「文化盗用とは・意味」では

「ある特定の文化圏の宗教や文化の要素を、他の文化圏の人が流用する行為のことだ。はっきりとした定義はないが、一般的には社会てに強い立場にある人々(マジョリティー)が、社会的に弱い立場にある人々(マイノリティー)の文化に対して行った場合に論争になりやすい。対象となる文化的要素は、ファッション、ヘアスタイル、シンボル、言語、音楽など、様々だ。(原文ママ)」

としています。

「自分のものにする」がどういった行為を指すかは解釈が分かれそうですが、わかってきた気がします。
かなりざっくりいうと、自分が属する文化圏以外の文化の要素、特に少数民族などのマイノリティーの文化を、自身の表現等に利用することは文化の盗用とみなされそうです。

何が問題なの?

ではこの文化の盗用の問題点は何でしょうか。
同じく「文化盗用とは・意味」の記事内ではこう述べています。

主にその社会のマイノリティ(少数派)の文化が、マジョリティ(多数派)に属する者によって文脈から大きく外れて使用されることだ。
なぜ、多数派の人が少数派の人の文化を流用してはいけないのだろうか。それは、文化盗用を行う人々は、多数派というだけでなく、歴史的にも強者であり、現在も社会的には支配的で、強固な立ち位置にいる人々だ。そして、そのような人たちが自分たちに都合の良いように、より「弱い」立場にある人の文化を踏み荒らすと言われるからだ。

「文脈から大きく外れて使用されること」については、日本でも問題になったことがありましたね。
直近で記憶に新しい例としては、「鬼滅の刃」DVDの特典CD内にて、「アザーン」と呼ばれる、イスラム教の礼拝を呼び掛ける「声」を、ランダムに切り取ったり、音楽とミックスして使用してしまったことです。
(詳細は「鬼滅の刃」イスラムへの不理解が招いた大失敗をご覧ください。)

確かに、他文化の人が自分たちの文化を理解しようともせず、上辺だけ都合のいいように利用したら「盗まれた」と言いたくなります。
また、その行為が数と力で優っている集団によって行われているなら、ますます「盗まれた」という気持ちは強くなるだろうと、思います。

一方、同記事内で紹介されているジャーナリスト、アッシュ・サーカー氏は

不完全な用語だから、よく考えて使う必要がある」と警告

した上で、

「誰が利益を得ているか」、そして「背後に存在する人々に敬意を払っているか」を考えることが必要だと説き、「少数民族の文化を引用した作品に、その民族の誰も関わっていないとしたら、それはやはり問題です」と語る。「支配的な文化は、周辺化されたマイノリティーの文化について無知のまま搾取している傾向にある、という事実は認めるべきだ。ただし、ハラスメントや人種差別と同様、された側が不快感を覚えたらすなわち文化の盗用なのかといえば、それは間違いだ」とも指摘する。「文化は目に見えない複雑な背景から生まれます。つい感情的になりがちですが、だからこそ冷静で建設的な対話が必要です」

と述べています。
どうやら、「問題点はあるものの、他文化を取り入れることすべてが文化の盗用というわけではない」という見解を持つ人もいるようです。

他の文化を取り入れることは避けるべきだろうか?

「文化の盗用」の定義と問題点を整理したところで、今後どうするべきなんだろうか?という話に移りたいと思います。

私個人の意見としては、文化を取り入れる側が、文化の背景を学び、その文化で暮らす人々にしっかりと敬意を払い、批判があった場合は真摯に受け止めるのであれば、必要以上にセンシティブになる必要はないのではと思います。

もちろん、私の意見は「日本という恵まれた国に生まれた者の傲慢さ」なんて批判もあるかもしれません。
しかし、これまで他の文化を取り入れること、あるいは日本の文化が他の文化に取り入れられることはすべて「文化の盗用」だったでしょうか。

私は、そうは思いません。
異文化が融合した新しい文化が生まれたことも、あったのではないでしょうか。

日本が他文化の芸術を取り入れ、世界的なアーティスト、クリエイターが生まれたこと。
日本のアニメ・マンガ文化が世界中に広がり、新たなクリエイターが生まれていること。
これらは、互いの文化に敬意を払った結果得られた、価値のある文化だと思っています。

これからもお互い敬意を払って文化の取り入れが行われること、そしてもし誰かが誤っていたら冷静に対話し理解を深め合うことを祈って、今回のnoteを締めさせていただきます。

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