『お金が欲しい人』は不幸になり『稼ぎたい人』は幸福になる理由
こんにちは、易者の高橋南北です。
今日は、お金と人生に関するテーマで話していきたいと思います。
皆さんは、お金が欲しいですか?
それとも、お金を稼ぎたいですか?
この二つの言葉はよく似ていますが、実は大きな違いがあります。
その理由をこの記事ではお伝えしていきます。
お金への勘違い
私ももともとは「お金が欲しい人」でした。
しかしその頃の私は、確かにたくさんお金を得ることができたことはありましたが、幸せではありませんでした。
口先三寸で人をだましてでもお金を得てもよいと考えていた当時の私は、お金という数字を幸せという抽象的なものと交換することはできなかったのです。
端的に言えば、幸せはお金で買うことはできないということを身をもって体感しました。この「幸せとは何か」ということも記事後半でお伝えしていきたいと思います。
そもそもお金が欲しいというのは、本来的には「幸せになりたい」という願望の表れです。しかし、幸せはお金で買えるものではないということは、遅かれ早かれ誰しも気づくことになるでしょう。
お金がたくさんあれば幸せになれると思っている人は、実際にまだお金がたくさんあるという経験をしたことがないことが多いです。多くの人が抱える悩みは、お金さえあればすべて解決すると信じられていると思います。
もちろん、それは間違っているとは言いませんが、お金が欲しいという純粋ではない動機ではないと言えます。純粋ではない動機でお金を稼ごうとしても、それが幸せにつながるとは限りません。
医者を例に話をしましょう。
お金目当ての医者は、自分が儲かるために不必要な治療や薬を勧めたりします。そして流れ作業のように患者を診察し、患者の家族や近況については興味を持ちません。次々とまるで工場の商品のように患者をさばいて、その結果、国から多額のお金をもらったりして儲かります。
しかし、患者さんからすると、診療費はいちいち高いし無駄な診療のせいで時間もかかるし待たされるし、頻繁に通うように言われ、不満が残ります。
一方、患者さんのことを考える医者の方は無駄な治療や薬は提供しないし、できるだけ病院の世話にならないように促してくれるし、診療費も安く済ませてくれます。その上近況や家族についても知ってくれている優しい先生です。
どちらの医者に診てもらいたいかは明白ですよね。
後者の医者の方が患者さんから信頼され、評判も良くなり、多くの患者さんがつきます。長い目で見れば、どちらの医者が豊かになるかはわかりますよね。
私も似たような体験があります。
お金が欲しかったころの失敗
私は以前、訪問販売をしていましたが訪問販売で成功するにはセールストークが大事でした。当時の私はお金が欲しいだけの人間だったので私のモチベーションは会社からもらえるインセンティブでした。
なので口先三寸でお客さんを丸め込み契約を取り、お金を稼ぐということをやっていました。当然私のことを信頼して長い付き合いをしてくれるお客さんはつきませんでしたし、そんなことを許容していた会社自体も良い顧客を生み出すことはできず消滅してしまいました。
しかし、その後私は50以上の事業を経験し、オフィスコムというオフィス向け家具の通販会社を立ち上げて事業を展開する中で、今度はクライアントの利益やニーズを最優先する方針で頑張ってみました。
当時、オフィス家具は椅子だけで10万円くらいするのが普通だったのですが、私はそれを4380円で送料無料で翌日配送という画期的なサービスを提供しました。
もちろんそれは顧客のニーズに対して大ヒットして、オフィス家具業界の常識を変えるほどの影響力を持ちました。
そうなるとクライアントさんが購入するものは椅子だけでなく、デスクや書棚、パーテーションなど多岐に渡り、結果として他社が10万円の椅子を一つ売っている間に、私の会社は一社あたりの見積額も数十万円から数百万円になっていきました。
こういったことを表す言葉として『先義後利』というものがあります。
目先のことに、焦らない
先義後利とは、道義を優先して利益を後回しにすることです。
例えば、お客様のために良い商品やサービスを提供したり、社会のために貢献したりすることです。このようにすると、信頼や感謝を得て、最終的には自分も豊かになるという考え方です。
このようにして自分の『器』を大きくしていくのです。
この「器」というものが大きくなるほど、自分に転がり込んでくるお金も幸せも総量が大きくなってくるのです。
多くの人が言うような「お金が欲しい」というのは、器を大きくしないまま、今の状態でお金を手に入れたいという願望であることが多いです。
そうすると仮にお金を手に入れても自分の器から溢れ出してしまうだけで、むしろお金や幸せを失う恐怖を感じながら生きる危険性もあります。
お金が欲しいという方々が本当に言いたいことは、お金を得る器、そして幸せを得る器を大きくしたいということではないでしょうか。
それを生きがいや仕事に繋げて、自分の価値を高めたいと考える人が、私が言っている「お金を稼ぎたい」と思う人であり、そういう考え方を持つ人が成功しやすいし幸せになれる可能性が高いと言えます。
お金に困っている人に共通するのはお金が減ることを怖がっていることです。私も昔はそうでしたが今はお金を支払うことに喜びを感じるようにしています。それは仏教の言葉にもあるように、『喜捨』という考え方があるからです。
請求書や税金なども喜んで払うことで、お金が入る器がどんどん大きくなっていきます。そうすれば自然にお金が入ってきやすくなります。
つまりお金に相応しい自分になることが、本当の意味での解決策であり、幸せに相応しい自分になることを目標とするべきであると言えます。
【お金が欲しい人、お金を稼ぎたい人の違い】
『お金が欲しい』人
お金が欲しい人とは、お金を得ることだけに執着している人です。
お金が入ればなんでもいいので、ギャンブルや詐欺、犯罪や、社会的な貢献度の少ないFX投資や誰でもできるような再現性の高いトレンドを追ったビジネスなど、自分に軸のない方法でお金を得ようとします。
このような人は、得たお金も特に目的もなく使うことが多いので散財したり他人に見せびらかしたりします。
自己承認欲求が本当の意味では常に満たされない人生を送ることになります。
しかし彼らにとっては自己承認欲求を一番簡単に満たす方法がお金で見栄を張ることなので、近年若年層でもパパ活をしたり詐欺や強盗をする、軸のない動物的な程度の低い人間が多くなっています。
それはただお金に人生の解決方法を求めているからです。
では、このような人はどうしてお金が欲しいのでしょうか?
それは、お金が幸せや豊かさや自由や安心や尊敬や愛や信頼など、人生に必要なものをすべて与えてくれると思っているからです。
しかし、これは大きな間違いです。お金はあくまで紙切れや数字に過ぎません。お金そのものには何も価値がありません。
価値があるのは、お金と交換できるものだけです。
では、本当に大切なものとは何でしょうか?
それは、自分自身や家族や友人や恋人や仲間や社会との関係性です。
これらはお金では買えないものです。
むしろ、お金があるからこそ失ってしまうこともあります。
例えば、親から大きな遺産を受け継いだ子供が親から愛情を受けられなかったり、友人から裏切られたりすることもあります。
また、自分が稼いだお金でも同じことが言えます。例えば、仕事に没頭して家族との時間を削ったり、恋人と別れたりすることもあります。
つまり、お金が欲しいだけの人は、本当に大切なものを見失ってしまっています。そして、その結果として不幸になってしまいます。
『お金を稼ぎたい』人
では、お金を稼ぎたい人とはどういう人でしょうか?
お金を稼ぎたい人とは、お金を稼ぐ目的があり、そのために自分の能力を高める必要もあると理解している人です。
自分の得意な分野や情熱を追求して、価値あるサービスや商品を提供して、社会に貢献しながら収入を得ます。
このような人は、得たお金も自分や家族や社会のために有意義に使います。自己実現欲求が高く、常に成長を求めています。
このような人は、お金そのものに囚われていません。
お金はあくまで自分の人生を豊かにするためのツールです。お金を稼ぐことは、自分の能力や価値を高めることでもあります。
自分にとって本当にやりがいのあることを見つけて、それに全力で取り組むことが、幸せで豊かな人生の秘訣です。
では、このような人はどうしてお金を稼ぎたいのでしょうか?
それは、お金が自分の夢や目標や理想や使命やビジョンなど、人生に意味や方向性を与えるものを実現するための手段だと思っているからです。
しかし、これは単なる思い込みではありません。
実際に、お金を稼ぐことで自分の人生にポジティブな影響を与えることができます。
例えば、自分の学びやスキルや知識や経験を深めたり、家族や友人や恋人や仲間との関係性を強化したり、社会的な問題や課題に取り組んだりすることができます。
つまり、お金を稼ぎたい人は、本当に大切なものを見極めています。そして、その結果として幸せになっています。
2種類のタイプの見極め
では、この二つのタイプの違いは、どうやって見分けることができるでしょうか?
それは、お金に対する価値観や態度に表れます。
・お金が欲しい人は、お金を目的としています。
・お金を稼ぎたい人は、お金を手段としています。
具体的には、以下のような特徴があります。
これらの特徴からもわかるように、お金が欲しい人とお金を稼ぎたい人は、お金に対する価値観や態度がまったく異なります。
そして、その違いが、人生の質や幸せ度に大きく影響します。
【幸福とは】
ここで「幸せとは何か」について触れたいと思います。
幸せとは幸福のことです。
結論から言うと、幸福は手にいれることができません。
幸福とは転がり込んでくるものであり、すでにあるものだからです。
そして他人から与えられるものでもなく、他人と比較できるものでもありません。
少し難しいことだと思うので、簡単にご説明します。
幸福が手に入れられないものだと言うのはどういうことかと言うと、幸福とは『心の状態』のことだからです。
故に、外から見たら幸福そうに見える人でも、本人からすれば内実は全く幸福ではないということも多々あるものです。
状態ですから、物質的に手に入るものではありません。
幸福になる、ならないということでもなく、「幸福である」か「幸福でないか」かというものなのです。
少し難しいですね。
わかりやすく例えると、私たちは空気を吸って生きていますが、普通に生きていたら空気を手に入れようとは思わないですよね。なぜならそれはすでに在るからです。水も同様です。
ですからこれらは手に入れようとするようなものではないということはわかりますよね。
なのに、「他人が吸っているよりもっと良い空気が欲しい」、「もっと良い水が欲しい」などといっても、すでにあるものをどのように手にすればいいのかわからず、ずっと何かを求めていて満たされないような気持ちになるのです。
そして自分は幸福ではない、不幸だ、と考えてしまうようになるのです。
我々は普は全く意識せずに呼吸をしているので、空気の存在にすら気づきません。しかしものすごく走った後など、非日常状態になった時、空気をたくさん吸うことで空気の存在に気づきます。
「ああ、自分にはこんなにたくさんの空気があったんだなあ」と思うような感覚になります。
幸福もそれと同じで、例えばあなたが突然危険地帯に投げ込まれて命の危険が常にある非日常の状態に置かれたとしたら、安全に暮らせていた日常が幸福だったと感じるでしょう。
幸福とは、すでにあなたのところにずっと在るのです。
しかし
という方も多くおられるのではないでしょうか。
そんな方にお伝えしたい考え方があります。
それは、「あなたの幸福を定義する」ということです。
言い換えれば「常にどのような心の状態でいたいか」を真剣に考えることです。これは、感情や欲求や満足とは違います。
ですから、お金や車や家や服やカバンなど、物質的なものをいくら手に入れても幸福にはなれません。
それは欲求を消化し満足しているだけであって幸福とはまるで別のものなのです。数値化もできませんし他人と比べてどちらが幸福か、という概念でもないのです。
真の幸福とは、心に災いがなく、理想・信念に燃え、現状に感謝する熱量が高いことです。幸福は定義しなければ叶うことがないのです。
よく混同されるのですが『幸福』と『楽しい』も別のものです。
『楽しい』とは「手伸ばし」「自由」ということです。
ということなのです。
くどいようですがものすごく大事なことなので改めて言います。
欲求を満たすこと、満足を追求すること、楽しさを求めることは、いくら追い続けても『幸福になる』こととは別の軸の話なのです。
なのにもかかわらず、幸福とは手にいれるものではないと知らずに物質的な欲求を貪り続けてもいつまで経っても幸福にはなれないのです。
現状に感謝する、今持っているものに感謝する、今あるものに感謝するということです。
中世フランスの作家、シャンフォールも
と述べています。
「こういう風に生きないといけない」
「こういう状態にいないといけない」
という考えで生きていると、そうではない生き方をしていれば理想と現実のギャップに苦しむことになってしまいます。
「お金が欲しいだけ」の思考では、幸福を掴むことはできないのです。
まとめ
この記事をまとめると、幸福になる条件としてお金を最優先に考える思考と行動では、却って真の幸福から遠ざかり、後々苦しむことになる、ということをお伝えしました。
自分の信念や理念、人生観を持って生きる「お金を稼ぎたい」人は、その過程で自身の幸福に気づくきっかけを得ることが多いでしょう。
ですから私はこれからの人生もずっと、「お金を稼ぎたい人」でありたいと思っています。皆さんはどうですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?