どうして本心を言葉にすると涙がこぼれるの?
私は、二つの全く別のアプローチで、人の話を聞くことを仕事にしている。
ひとつめ。ライターとしてのインタビューでは、主に私が聞きたいこと、記事にするために必要なことを聞いていく。会話がのってくると、それ以外のお話にも発展する。だけれど、書けないこと、公開できないことに多くの時間は割けない。
それをもどかしいと思っていたときに、お願いされたのが、「誰にも公開しないことを前提に、ただひたすらお話を聞き、それを整理・分類する」ということ。
これがふたつめ。「思考整理セッション」だ。
内容の公開を目的としたインタビューでも、自分を語ってもらう過程で、多くの発見がある。「自分がこんなことを思っていたんだ!」と感動してもらうこともある。でも、泣く人は少ない。オフィシャルな場なので、当然ともいえるけれど、脳で考えた言葉で話しているからだと思う。
一方、思考整理セッションでは、より、心にフォーカスしながら、自分のことを話してもらう雰囲気にする。話の途中で、涙を流す人も珍しくない。そういうものだと思っているので、私も気にしない。私もときどき、聴きながら目がうるむ。
人は、自分の本心を言葉にするとき、人の本心に触れるとき、心が動く。
私たちは、他人が期待する答え、他人が納得するであろう答えを口にすることに慣れてしまっている。ビジネスなどでは、それも必要だし、大切なことだと思う。そして、何度も口にしていると、それが自分の本心だと思ってしまう。
思考整理セッションの後に渡すレポートには、その人が自分の”本心”として口にした言葉がびっしり詰まっている。
時々、それを見て、「このフレーズは、建前だったかもしれません。いつも、人に納得してもらうために、こういう言葉を使っていたので、みきてぃに聞かれたときも、そう答えてしまったけれど、文字で見ると、本心ではなかった気がします」と言われることもある。
私は「私に見せなくてもいいので、ご自分の本心の言葉に訂正しておいてください」と伝える。
いつも口にしたり、クセのように脳内で言語化している気持ちの奥に、本当の本心が潜んでいる。そして、多くの人が、そこにフタをして生きているか、自分の本心にすら、気づいていない。薄々気づいていても、日々の忙しさの中で、言語化することを忘れ、形のない、あいまいなものになってしまっている。
本当の本当の本心は、自分でも言葉にするのが怖い。まして、人に伝えることなんて、簡単にはできない。むしろ、身近に、安心して本心を伝えられる人がいる人は、とても幸せだと思う。そうでなければ、誰にも言えない本心があってもいいと思う。ただ、誰にも言わなくてもいいので、ちゃんと向き合う時間を作って、言葉にしておかないと、どこかに吸収されて、姿を決してしまう。
本当の本心を言葉にするときに、涙がこぼれるのは、長い間、本当の本心を置き去りにしていたことに、気づくからだと思う。その本心が泣いていることを、感じ取ってしまったからだと思う。
私も、そろそろ時間を作って、自分の本心に会いにいこうと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございます✨💕