子どもに幸せをもらっているのは、私の方だ
前記事で、教師を続けるのか迷っていること、辛い思いと、それでもこの仕事を続けている思いを綴りました。
でも、書き終わって、何かスッキリしない。もやもやします。
どこか人のせい、学校の制度のせいにして、私だけが辛いみたいな顔してるな、私、と。
それでも、共感して読んでくださった方がいて、申し訳ないような、でも、そんな飾らない自分を表現してもいいんだなって、ありがたく思います。
そう、誰かの心を軽くできたらと思ってnoteを綴っていたけれど、実は、私自身が皆さんに助けられ、勇気づけられているんだって、改めて自覚させられました。
そして今回、教師辛いって言葉にしてみて、やっぱり、実は私が、子どもたちに助けられているってことを、書かなきゃって思いました。
子どもたちの笑顔が、できた!って嬉しそうにしている顔が、一緒に遊ぼうって声をかけてくれることが、どんなに素敵で尊いことか。
毎日幸せをもらっているのは、私の方。
そのことを書かないと、やっぱりもやもやします。
例えば、最近感じた幸せ。
もう、算数いやって言わない
休み時間「先生も外に来てねー」と鬼ごっこに誘われる。
「はいよー、先に行っててね!」
昨年、子どもたちと鬼ごっこをして派手に転んでから、もっぱらドロケイの牢屋番で勘弁してもらっているけれど笑、それでも誘ってくれる子どもたち。
教室に一度戻って、外に出ようとすると、違う男の子にも、先生、一緒にやろうって声をかけられた。
彼は図工作品の壊れたところを直そうとしていた。
教室には誰も残っておらず、鬼ごっこの約束しちゃったからなあと思って迷った。
でも、彼と二人きりで関わるチャンスでもあった。
彼はよく、算数ができない、嫌い、とかマイナスのことをいうし、前の先生はこんなことをしてくれた、こんな授業で楽しかったとか、そんなこともよく言ってきていて、夏休み明け、少し気になっていた。
そう言う割には、わりといつも私のそばに来るのだけれど。なので、二人きりで話すいいチャンスだ。
みんなには悪いけれど、昼休みたっぷり、二人きり。ろうかに展示していた作品の一部が取れてなくなってしまったので、その部分を作り直す。
他愛もない話をしながら、もう少しこうしようああしようって、なんとか完成した。とっても満足そうで、私も嬉しい。
他の子どもたちは、疲れた〜、暑い~と言いながら、笑顔で外から帰ってきた。
私がいなくても、みんなで楽しく遊べたと満足そう。一安心。
そして、その日の彼のふりかえりノートには、こう書いてあった。
「図工の作品が直ってよかった。もう、算数いやって言わないようにする。」
図工と算数?
私は、はっと気付く。
彼が算数嫌だ、あれが嫌だこれが嫌だって言っていたのは、もっと見て欲しいというサインだったのかもしれない。
教室でも目立つし、私ともよく喋っていたけれど、心のどこかに不安があったのだろう。
今回のことで、算数嫌いって、もう言わなくても大丈夫と思えたのかな。
その子の心が、少し軽くなったことを願う。
そして私は、そのノートの一文を思い出しながら、嬉しそうに作品を直す姿を思い浮かべながら、幸せな気持ちになる。
子どもが嬉しいと、嬉しい。
幸せをもらっているのは、私の方だ、と思う。
けど、一方で、もっともっと関わりたい子の顔が目に浮かぶ。
彼は表現できるから、まだいい。
自分から言えない子、じっと待っている子どもたちもたくさんいるはずだ。
そのことを忘れちゃいけない。
さて、明日は鬼ごっこに行かなきゃ!
書きたいことは、まだまだいっぱいあります。
初めて教室で友達に挨拶が返せたよっていう子、
算数でちゃんと分からないって言えて、最後まで頑張れたのが嬉しかったという子、
給食当番をさぼろうとした子とのやり取り等など。
こうやって書き出してみると、1日の中に、なんとたくさんの幸せが詰まっているのかと驚きます。
前記事とあまりにもギャップがある気もしますが、どちらも本音の私です。
今は、これでいいかな。
物事は白黒つかない。
先生だって、いいことも悪いこともある、当たり前ですよね。
今日はここまでです。
読んでくださってありがとうございます⸜(*ˊᵕˋ*)⸝
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