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私が「公立」小学校を作りたい理由

今、私は「公立」小学校を何とかしたいと思っている。
思っている私は、ただの一市民だ。
なんの権限も、経験も、知識もスキルも持っていない。
あるのは「想い」だけ。
そんな私が動き始めたこの歩みを、言葉にしておきたいと思い再びnoteへ。
世界は素敵な方向に変えられることを、子どもたちに見せていきたい。

きっかけは、授業参観

小学校のあり方を何とかしたい!と思ったきっかけは、授業参観。
小2の国語の授業で、一人ずつ事前に作った「迷子のアナウンス」の原稿を前で読み上げていく。そのアナウンスをもとに、絵の中のどの子のことを指しているのかを見つけ、各々がプリントに書き込んでいく。
その淡々とした授業に、私は親として恥ずかしながら眠気を覚えてしまった。。
そして、懸命に授業を受ける子どもたち、そして我が子に、
すごいな〜と思っていた。
でも、なぜすごいと思ったのかはその時点では言語化も意識化もできなかった。

昔からずっと眠たかった

私は小中高と、ずっと授業中眠たかった。そして寝てしまっていた。
とにかく授業中は「何とかやり過ごす」時間だった。
だから娘の授業参観、その後のオンラインで覗く授業も、なぜか眠たくなってしまうことに「まあ、授業とはそんなものだから」と何の疑問もなく思っていた。
そしてそうやって、忍耐強い大人になっていくのさ、と思っていた。

社会人大学院生になって

でも、何かがずっと引っかかっていた。
私は以前noteに書いていた通り、社会人大学院生として、子育てしながら仕事をしながら夜な夜な、勉強をしてきた。全然眠たくなかった。
それに前後して、アドラー心理学を学びながら、地域のママたちと勉強会をしたり、オンライン読書会も2年以上続けている。
学ぶこと、新しいことを知ること、自分で考えること、皆で話し合うことがとっても楽しいし、好きなのだ。
なのに、何で学校はあんなに眠たかったのだろう。

答え探しが得意な子ども

私は答え探しが得意な子どもだった。だから、寝てる割には、テストの点数も成績も良かった。先生がどの辺をテストに出すのか、先生がどんな答えを期待しているのかを常に気にしていた。答えはいつも先生の頭の中。私はそれを探していく姿勢がしっかりと身について、テストの山はまあまあ当たる、笑。
そして社会に出て仕事をするとなると、上司やクライアントの求める「答え」を必死に探すその姿勢は割と評価された。学びが活きている、様に思えた。
だから教育業界に身を置きながら「教育」って大事、だと思っていた。

チャンスという名の崩壊

そんな中、私は「チャンス」という名の崩壊を経験した。
子連れMBAというコミュニティの立ち上げ期に関わった時のこと。育休中に少し学んでおきたいという軽い気持ちで参加したママ達によるMBAの勉強会で出会ったのが、これまでに出会ったことのないママ達。一言で言うなら「自分の頭で考えてきた」人たちで。ちゃんと言う、でも誰も傷つけない。一緒に仕事をしていて気持ち良い人たち。私はそこで、これまでの自分の常識や価値観の崩落を経験した。
ずっと信じていた常識や成功の方程式は、私がガムシャラに生きてきた「学校的」なそれで「社内の優等生的」なそれで、世界はこんなに広いんだと。ガラガラと色んなものが崩れる音がして、最初はショックだった一方で、気持ちよくも感じた。

英語MBAとアドラー心理学

そうした出会いを経て、私は自分の持つ「答え探しマインド」に気付くことができた。常に相手の求める答えを当てにくマインド。そこには私の想いも意思も乗っかってはいない。
そんな中、何やらアンテナに引っかかるものがあり、英語でMBAを取得することと、アドラー心理学を学ぶようになった。
そしてこの二つが私に大きな二つのマインドを与えてくれた。それが「自分のアタマで考える」ことであったり、自分の「在り方」に気付くことだった。
英語でチャレンジしたMBAでは、海外の学生と共に学ぶため「あなたはどう思う?」と問われ続ける日々。最初は得意の答え探しセンサーをフルに発信させたものの、英語というハンデが私に容易に答えを当てさせてくれないのと、求められるのは「I think」のその先だったので、良くも悪くも、唯一解はない。もう内心「私は何とも思いません〜!!」と叫びたくなることが何度もあった。が、ここで鍛えてもらったのは間違いない。
そしてアドラー心理学で私が手放したのは「こうあるべきマインド」だった。そのマインドに気づくのに数年、さらにそのマインドをコントロール下に置いて可愛がれるようになったな〜と思えるのはやっと最近。
そして私は、授業参観での違和感と向き合うようになる。

違和感を言葉にする

私自身、教員免許もとっていたし、家族皆教育一家であった(になった)ので、皆それぞれに「教育って大事だな〜」とは思っている。しかも姉妹で国立だったので、それなりに既存の教育の恩恵を受けてきたと思う。
それでも得たこの違和感。言葉にすると次の3つに集約された。
1)答え探しマインド
私のOSにすらなっていた「答え探しマインド」、これのどこが悪いのだ。おかげでテストや成績は悪くないし、社会人でも通用する。手のかからない生徒だし、話の分かる部下だ。が、なんだかしんどくなっていた。例えば、これって絶対違うよね?と思っても、上司が正しいと言えば、やるしかない。答えがない課題を与えられると手が止まる。自分の考えを述べよと言われても、よく分からない。だって、考えたことないし。授業参観で見た光景は、私が小学生だった20年前とそんなに変わらなかった。私は思わず先生の頭の中にある「答え」を当てに行きそうな自分がいた。それはつまり、大人が言うことが正しいという盲目的な姿勢なのではないか?
2)こうあるべきマインド
こちらも手強かった。母親なら、こうあるべき。私自身も、また私の周りでもこの呪縛に苦しめられているのをたくさん見てきた。そりゃあ、自分の細胞を分け与えて出てきた我が子に表出する全てが、私に起因しないわけがない。顔に湿疹が出ちゃうのも、風邪引いちゃうのも、幼稚園行きたくないとゴネるのも、お母さんせいだと、誰も言わないけど、誰よりもお母さんがそうやって自分を追い詰めている。そして、学校でも「生徒はこうあるべき」のたくさんのルールに縛られて、あんなにデコボコだった子どもたちが、綺麗に均されていく。まるで、上を走る車に傷を付けないように。
3)教えてもらうマインド
勉強とは誰かに教えてもらうもの。そのマインドから離れて私は初めて、学ぶ楽しさを知った。
今は、黒板の前で先生が声を張り上げて、何を一生懸命伝えている。アクティブラーニングという名のキャッチボールは見えても、あくまで既定路線。着地点は決まっている。私たちがこれから対峙する世界の着地点は決まっている?そんなわけはない。

「だから私立に行かすのよ〜」

私は手当たり次第、本を読み、友人たちにこの違和感をぶつけてみた。
友人達の一般的な反応は「担任の当たり外れってあるよね〜」
「だからうちは公立やなくて、私立に行かせたいんよね」
「学校に全てを求めるわけにもいかんし、やっぱり習い事で色々経験させんとね〜」などなど、ごもっとも。
そして書籍を読み焦り、人づてに先進的なオルタナティブスクールを教えてもらい、私は「こうであったらいいな」の教育像を漠然と抱く。
すると、話は一周して「じゃあ我が子をそこに通わせたらいいやん?」と。
でも、なんか違う。

もう時代は変わる

私は今、読書会のコミュニティを運営している。そこで交わされる「対話」の価値に魅了されている。子どもを寝かしつけた夜22時から、日本中、世界中からアクセスし、夜な夜な色々な本を挟んで対話をする。
そして時代の潮目に自分たちが立っているであろうことを強く感じる。
コロナを経て、ウクライナ侵攻を目の当たりにして、環境問題が差し迫っている中、私は「当事者意識」を持ちたいと思った。
そして、経済的な余裕があれば通える学校、電車を乗り継いでいく学校ではなく、
目の前の学校の近所の子どもたち皆に、
「こうであったらいいな」と思える教育を受ける機会を作ることはできないのだろうか。

一市民という特権

そうは言っても、何からどうしたらいいのか、分からない。
ここにはまさに「答え」はない。
だからまずは、このnoteに想いをまとめてみた。
同じく「学校、何とかしたい!」と思う方がいらしたら、ぜひお声掛けください。
少しずつ、フロントランナーだったり、想いのある方に出会い、
また話を聞いてエールを送ってくれる友人たちに恵まれ、
新しい世界は見えつつある。
私は何者でもない、ただの一市民。
だから、行動できるのですよ、とある活動家に声をかけてもらい励まされた。
ビジネスでもない、政治でもない。利権もしがらみも私欲もない。
ただ目の前の、子どもたちに「答えのない」世界で、
自分のアタマで考える強さと楽しさを、届けたい。

今後は、今、具体的に動き始めたことなどをまとめていきたいと思うので、
ぜひ、この指止まれ〜。


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