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【エッセイ26】小学生に間違われるアラサー

私は自他共に認める童顔だ。

プロフィールに生まれ年を書いているので明かすけれど、もうすぐ30歳の世にいうアラサーです。

そんなぎりぎり二十代の私ですが、カラオケに友人たちと行けば当たり前のように年齢を確認され、市の施設を使おうとすれば「高校生以上ですか」と聞かれる(中学生以下は利用不可)。

数年前に、こんなことがあった。27歳だったかな?
私は父親と食べ放題の店に入った。
こういう店では年齢によって料金が変わるのが普通。
そのお店は中学生から大人と同じ料金だった。

そいういった注意書きを確認しているのは、私が童顔だからというわけではなく、ただの性格である。
注意書きはきちんと読む。そういう性格。

注意書きを頭に入れていた私は、さすがにここで年齢を確認されることはないだろう、と高を括っていた。
だって、料金が変わるのは小学生以下なんだし。

私たちを席に案内してくれた若いお兄さんは、父に言った。

「お子さんは何歳ですか」

マジかっ!!

「たぶん、お兄さんより年上です」とは言わずに、苦笑いを顔にはりつけ答える。
「27歳です」

お兄さんも苦笑いするしかなかった。
父、爆笑。

このとき、父は何歳から大人料金なのかは把握していなかったのだが、「お子さんは何歳ですか」というまさかの質問に爆笑していた。

お兄さんが去ってから、小声で「ここは中学生から大人料金のはずだが、小学生に見えたのだろうか」と言うと、父は「さすがにそれは」と言いつつ、まだ笑っていた。

まぁいい。笑いを提供できたのなら良かった。
これはかなり衝撃的な、今までで一番実年齢と差のあったパターンだが、似たようなことは日常茶飯事である。

七歳ほど年上の友人と歩いていると、かなりの確立で親子だと思われる。
この間(今年に入ってから)は、電気屋でキャンペーンをしていてその前を通りがかったところ声をかけられた。

すると、法被姿のお兄さんは友人のことを当然のように「お母さん」と呼び、私のことは「おねえさん」と呼んだ。

最近は間違われすぎて、友人も私も訂正すらしない。
この時はスマホに関するアンケートだったのだが、これ幸いと私は回答を「お母さん」に任せた。

「お母さん」「おねえさん」と呼ばれる度に、若干の笑みがにじむ我々。
お兄さんも一瞬いぶかしそうにしたが、私たちが親子であることに疑いはもたなかったようで、最後まで「お母さん」「おねえさん」と言っていた。

アンケートから解放され、「あのお兄さんもきっと私より年下かなー」と呟くと、友人は言った。
「そりゃそうやろ」
やはりそうか。

でもたまに思う。相手も私と同じ人種かもしれない、と。
めちゃくちゃベビーフェイスかもしれないじゃないか!

まぁでもあそこで仕事してるぐらいだから、高校生以下ってことはないもんな。

他にも童顔エピソードには、事欠かない。
私は大学で働いているので、生協の食堂をよく利用する。
そしてその近辺では、割とよく学生向けの資格取得の案内を配っている。

ここまで読んでくださった皆さんなら、もうお分かりでしょう。

必ず案内を渡される。

笑顔で断る。もらっても無駄になっちゃうし、職場に持ち帰って捨てるのもアレだし。
最近それすら億劫になり、職員証をぶらさげて通るようになった。
職員証は効果てきめんで、それ以降渡されなくなった。

渡されなくなったので、これはもしや大人に見えるようになったのかも、なんておこがましくも思って、職員証をつけずに通ってみた。

やっぱり渡された。

ばっちり職員証のおかげでした。
ここまでくると、もう学生向けの資料はバンバン渡してほしいし、年齢確認されないともの足りない気分になってしまう。

そう言えば、自分が本当に大学生のとき、4月になると必ず「新歓」のビラを渡してくる人が大量にいた。
めちゃくちゃ早いスピードで構内を闊歩しているのに、である。

新入生がこんなに勝手知ったるわが家みたいな顔して、目的の場所を目指して猛スピードで歩いたりせんだろ。
と思いつつ、毎年華麗にスルーさせてもらった。

ちなみに授業に遅れそうだから早く歩いているわけではない。
ビラを渡されないために、早く歩いているのである。
むなしい努力だった。

今から思えば、大学生の頃の間違われ方はたかだか数年のもので、かわいいものだ。
だってアラサーになっても小学生とか中学生に間違われるんだもん。
数年違いなんて分かんないよ。
逆にあの頃は大学生と認めてもらえていた分、今の方が若返っている感がある。

今年30だけど、まだ当分20代でいけるかも。
というより最近やっと中学生に上がれた感じなので、30歳になったらそろそろ高校生ぐらいには成長できるかなぁ。

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