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アウトサイド ヒーローズ:エピソード12-9(エピローグ)

ボトム オブ ピット、ライク デヴィルズ ネスト

 昼時前のカガミハラ・フォート・サイト、今はまだまどろみの中にある歓楽街の第4地区。路地裏に店を構えるミュータント・バー“止まり木”には、ピアニストが指慣らしに奏でるエチュードが緩やかな緩急をつけながら流れていた。
 ランチタイム営業前のテーブル席には、既に常連客たちが陣取って話し込んでいる。

「……とまあ、そういう話だったんですよ。いかがです、これで納得いただけました?」

「んー……」

 機械頭の男が両手を広げながら、芝居がかった口ぶりで語り終える。向かい側に座っていたスーツ姿の若い女性はストローを咥えたまま、相づちを打つように声を発した。そのままレモン・スカッシュは音を立てて吸い上げる。大変行儀が悪い。
 ストローから口を離して「ぷはっ」と息を吐き出すと、新人巡回判事・滝アマネは口を尖らせる。

「納得できなくはないけど、してやられた……って感じですね。結局、あのサイバネ傭兵も逃がしちゃったし。わた……じゃなくて、魔法少女が最初から一緒に行ってた方が、よかったんじゃないですか?」

「そうはおっしゃいますがねえ、こちらも優先順位というものがありましたから」

 軍警察の不良刑事、メカヘッドは巡回判事の抗議を聞き流し、大仰な身振りで肩をすくめた。

「元々はねえ、怪しい組織に潜入していた協力者を救出するのが目的でしたから、いくら巡回判事殿やタチバナ先輩であっても、外部の組織の方に入っていただくのは気が引けまして……」

「潜入……協力者、ねえ……」

「はっはっは、カガミハラ防衛にも貢献がありますからねえ。無碍にはできませんとも」

「ふぅん……」

 アマネは弁解を続けるメカヘッドを白い目で見ながら、再びストローに口をつけた。メカヘッドの隣でコーラを飲んでいたマダラが、「けぷ」と小さくげっぷしてから口を開く。

「まあ、まあ! アマネの言うこともよくわかるよ。結局、あの後で地下プラントの機材を調べたけどデータは全部消えてたし……」

「最初から自爆プログラムでも組まれてたんだろう。連中のやりそうな事だ」

 カウンター席に座っていたタチバナ保安官が、かじっていたトーストを皿に置いて振り返って言う。メカヘッドも首を横に振った。

「おそらくはあのサイバネ傭兵が投入された時点で、証拠になるものは全て処分するように手を回していたんでしょう。巡回判事殿には申し訳ないですが、こちらとしては生存者がゼロでなかった時点で万々歳ですよ」

「言わんとすることはわかります、わかりますけどね……」

 アマネはストローでグラスの氷をかき回し、音を立てながら部屋の隅のテーブルに白い目を向ける。

「それで、なんでこの人がここにいるんですか?」

 照明がわずかに薄く怪しい雰囲気の漂う、部屋の隅の二人掛けシート。その壁側に座っていた男がもぞもぞと動きだすと、左腕の義腕がキラリと光った。

「へへへ……」

 ブラフマーの製薬会社で下っ端作業員をしていた男は今や小綺麗なスーツに身を固めている。男は義碗でグラスをつまむと、ぬるくなり始めたアイスティーをちびりちびりと舐めるように飲んでいた。

「取り調べの結果、サイバネ義腕の彼……“ヘイズ”は今回の事件には直接の関係がないことがわかりましたんでね。就職先に困っていたそうなんで、私の口利きで仕事を紹介することにしたんですよ」

「これからは本名のジョウジ・キリシマでお願いしますよ、メカヘッドの旦那」

 卑屈さがにじみ出るような猫背で首を出し、ジョウジ・キリシマはもみ手をして笑う。巡回判事は不信感を込めて目を細めた。

「こんな胡散臭い人、チドリさんの店じゃ務まらないと思うんですけど」

「これは手厳しい! でも、あっしはボーイじゃありませんぜ、巡回判事様。このお店の片隅をお借りしまして、“よろず相談、承ります”ってなもんで……」

「ううん……いいんですか、チドリさん?」

 釈然としない様子のアマネが唸りながら尋ねると、カウンターの向こうで開店準備をしていたチドリがにっこりして頷いた。

「ええ。悪いことはしないように、ちゃんと目を光らせておくから。……それに存外多いものよ。人には言えない悩みを抱えた人って」

「浮気調査からゴミ屋敷の片付けまで、何でも力になりますぜ。へへへ……」

「……レンジ君はどう思う?」

 釈然としない様子のアマネの声に、タチバナに並んでカウンターに腰かけていたレンジは首をすくめた。

「まあ、俺たち保安官や軍警察の人間じゃ解決できない問題も色々あるだろう。チドリ義姉さんがいいなら、俺が口を出すつもりはないさ」

「さっすが雷電の兄さん、話がわかる!」

「はあ、あーあ……」

 そのまま褒め殺しを始めようとする勢いのキリシマをけん制するように、レンジはあからさまに大きなため息をついた。

「言っておくけどな、俺はあんた個人のことが気に入ったからこんなこと言ってるわけじゃないぞ」

「わかってます、わかってますって。へっへっへ……」

 キリシマがもみ手をしながら笑っていると、ホールの壁にかけられた時計がゆっくりと鐘を鳴らした。チドリが時計の文字盤を見上げる。

「あら、もうこんな時間。……キリシマさん、そろそろ行ってあげるといいわ。後片付けは、他の食器と一緒にやってしまいますから」

「ありがとうございます、チドリのママさん。そいじゃあちょっくら、行って参りますね!」

「ええ、ごゆっくり」

 いそいそと席を立ち、店を出ていくキリシマを見送ると、アマネも「はあ……」とため息をつく。

「チドリさんには悪いですけどね。資料を読んだら、私もどう関わったらいいか困りますよ。ブラフマーの構成員で、元々は合成麻薬関係の研究職だったなんて……」

 ぶつぶつとつぶやく途中で、巡回判事はハッとして口に手を当てた。

「あっ、ええと、その……ごめん、レンジ君」

「いや、俺のことは気にしなくていいさ」

 レンジはそう返すと、アイスコーヒーのグラスを軽く傾けた。

「それよりも、その……」

 カウンターテーブルの上では機械仕掛けの小鳥が、こぼれたフライドビーンズの粒をちょんちょんと足先でつついて転がしていた。レンジの視線に気づくと、ナイチンゲールは顔を上げる。

「マスター?」

「レンジ君は、あなたが気にすると思って置いていったんですって」

 カウンター席の向こうでグラスを並べていたチドリが豆粒を受け取って片付けながら言うとナイチンゲールは首を傾げ、ピンク色のセンサーアイを点滅させながらぴりり、ぴりりと動作音を囀った。

「そうなのですか?」

「ああ、うん……ことりに重ねてしまってな。なんとなく、言いにくくて」

 頭を掻くレンジの前にちょんちょんと跳ねてやって来ると、白磁色の小鳥はぴりり、と囀る。

「お気遣いに感謝を。けれどもご安心ください。私はことりさんではないのですから」

「そうか、それもそうだな」

 バツが悪そうに、レンジは小さく笑う。ナイチンゲールは、カウンターテーブルにのせられていたレンジの手の上に飛び乗った。

「自己の再定義……マスターが教えてくださったことです。私は私として、生きていい、と」

「うん。俺の方が、気にしすぎてしまっていたらしい」

 グラスを拭きながら様子を見守っていたチドリも、穏やかに微笑んだ。

「私も、気にしていないわよ。……というよりも、もう気にしなくていいってわかったから。どこかのヒーローさんのお陰でね」

「あっ、ああ、うん。その……」

「ははは!」

 ごまかすようにナイチンゲールとチドリから視線を逸らすレンジの背中を、タチバナがばしばしと叩いた。

「いってえよ、おやっさん!」

「胸を張れ、レンジ! これまでも、お前たちはそうやってやってきた。今回もまた、助かった人間がいた。それで充分じゃないか!」

「……そうだな。助けられなかった人もいた。面倒な奴を、また逃がしちまった。けど……」

 レンジがぼそりと言うと、アマネはパチンと両手を合わせた。

「でも、私たちの力で助けることができた人たちがいたんだもの、それで充分よね! ……よーし、じゃあ、打ち上げしちゃおう! チドリさん、お酒ちょうだーい!」

 機嫌よく叫ぶアマネに、マダラが目を丸くする。

「ええっ、今から吞むの!」

「だって、メカヘッド巡査曹長のお金で呑めるんだもの! こんなチャンスは滅多にないもんね!」

「巡回判事殿? レンジ君とマダラ君も金を出すんじゃなかったですかね? ……ね、レンジ君、マダラ君?」

 慌てふためき、助けを求めるメカヘッドの声に協力者たちは目をそらした。

「二人とも……ちょっと!」

「チドリさん、なるべく高いやつがいいです!」

「そんな……」

「ふふふ。いつもよりちょっとだけ、お高いお酒にしておきますね」

 うなだれるメカヘッドにこっそり告げると、チドリは奥に引っ込んでいった。

「自業自得ってとこだな」

 タチバナはあっさりと言い放ち、ホットコーヒーをすする。

「まあ、少しは出してやるよ」

「タチバナ先輩!」

 テーブル席からがばりと立ち上がったメカヘッドがタチバナに泣きつく。茶番劇を演じる二人を見て、ナイチンゲールはぴりり、ぴりりと囀る。

「タチバナ保安官のお金は、アマネさんの出したトラックの修理代金。トラックの修理は、マダラさんが格安で引き受けるから、余ったお金を回すものと推測……」

「まあまあ……ところで、“あの子”はどうなったんです? “ヘイズ”があんなに浮かれてたってことは、無事なんでしょうけど」

 ぶつぶつとつぶやくナイチンゲールの頭を指先でなでながら、レンジが二人に尋ねる。タチバナは振り返ると胸を張ってうなずいた。

「勿論。なんせカガミハラのブタ箱には、“ミュータントの身体を診ることにかけては最高のドクター”がいるからな」

「それって、ドクター・ホソノ……!」

「タチバナ先輩の声掛けでねえ。なかなか骨の折れる司法取引でしたが、うまく話がまとまりましたよ」

 レンジが目を見開くと、メカヘッドもしれっと茶番劇をやめて答える。

「治療する間だけ、留置所から出られることになりましてね。彼の犯した罪は変わりませんが、この働きで少しは減刑できるでしょう」

「あの男も元はといえば、悪気があってやったことじゃない。だからって、息子に会わせるわけにはいかないんだが……それでも、更生するいい機会にはなるさ」


 官公庁の白い壁が並ぶ、カガミハラ市街地第1地区。レースカーテン越しの柔らかい光が、軍病院の白い病室を満たしている。
 清潔なベッドの上で身体を起こすのは薄桃色の病衣に身を包んだ、薄桃色の少女。半透明の肌は張りと艶を取り戻し、小さな指はいとおしそうに、古ぼけた表紙の絵本をめくっている。

「“お嬢さん”、そろそろお昼ご飯の時間ですよ」

「はーい……」

 ベッド横の棚に着替えや新しいシーツを収めていた看護師が、時計を気にして声をかけた。ミュータントの少女は上の空で絵本を見つめていた。

「困ったわねえ、もうそろそろ面会の方もいらっしゃるのに……あら」

「えっ?」

 看護師が呟きかけた時、病室の扉が開く。ドアノブが回る音を聴きとって、少女は顔を上げた。期待に満ちた表情は、戸口から白髪の老人が顔をのぞかせるとすぐに興味を失ったようだった。

「なんだぁ、せんせいか……」

「すまんなあ、今日の検診が前倒しになってしまって。看護師さんも、ちょっと失礼しますよ」

 露骨にがっかりされても、白衣の老医師はにこやかな表情で患者に応じた。看護師に会釈して病室に入ると、ベッドの横に置かれたスツールに腰掛ける。

「それで……どうかな、新しい脚の調子は?」

「うーん……」

 少女は医師の問いかけに、シーツの中の下半身を動かしてみた。二つのふくらみが、ボコボコと交互に跳ねる。

「……うん、いいかんじ! なんだか、きのうよりもうごかしやすくなってるきがする!」

「そうかい、そうかい。それはよかった」

 老医師は手に持っていた端末に、問診結果を打ち込みながら目を細めた。

「自家培養した脚の経過は順調のようだねえ。この調子なら明日から、リハビリを始めることができそうだ。次の課題は学習プログラムだが……」

「やったあ!」

 少女が嬉しそうに跳ねるとベッドはきしんだ音をたて、手元に置いていた絵本が床に滑り落ちた。

「あっ!」

「拾ってあげよう、どれ……」

 医師が中腰になって拾い上げた絵本を手渡すと、ベッドの上の少女はしっかりと、表紙の擦り切れた絵本を抱きしめた。

「ありがとう、せんせい」

「ああ。……君は、その絵本を読めるのかね?」

「“じ”はよめないけど、“おはなし”はよくおぼえてるよ。せんせいにも、はなしてあげましょうか。“むかしむかし、あるところにおにいさんといもうとがおりました……”」

 少女がページをめくりながら話し始めた時、壁に掛けられていた受話器が呼び出し音を鳴らす。看護師が受話器を取ると、笑顔になって少女に声をかけた。

「“お嬢さん”、お客様だそうですよ」

「えっ!」

 ミュータントの少女は花が開いたような笑顔を浮かべた。

「せんせい、ごめんなさい。このおはなしはまたこんどね!」

「ああ、楽しみにしておるよ」

 老医師が嬉しそうに頷いていると、再びドアノブが回る音。

「面会の方が来られましたよ」

 ドアが開く。顔を出した男に、ミュータントの少女はにっこりと微笑みかけた。

「いらっしゃい、“じょうじ”!」

(エピソード12 "ボトム オブ ピット、ライク デヴィルズ ネスト" 了)

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