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アウトサイド ヒーローズ:エピソード6-01

ガールズ、ライズ ユア ハンズ

 城塞都市カガミハラの市街地、繁華街の裏路地は朝陽の中にまどろんでいた。町唯一のミュータント・バー、“止まり木”の裏では娘が一人、金属製のゴミ箱に腰かけていた。

 顔は非ミュータントと大差ないが、だぼついた部屋着の上下から伸びる四肢は、昆虫を思わせる灰色の外骨格に被われていた。腰骨の上側からは、一対二本の副腕が伸びている。娘はミュータント・バーに勤める女給だった。

 ゴミ箱の座り心地を確かめた後、近くに立て掛けたギターを副腕で取り上げ、膝に載せる。次にページの端が擦りきれたギターの教則本を取り出した。店のピアニストであり、音楽の師であるサンゾウ翁から譲り受けた“教科書”だった。

「えーっと……」

 パラパラとページをめくり、“宿題”になっていた曲を見つけ出す。ページを開いたままの本を副腕で持ち上げると、目の前で固定した。


ーーこういう時だけは、この腕があってよかったと思う。


 娘はチューナーを取り出すと、先生の教え通りに手早く調弦を済ませた。そして深呼吸。目の前の譜面と運指のメモ書きをにらむと、ギターを爪弾き始めた。


ーー昨日の“授業”で随分わかってきた。だから大丈夫、大丈夫……


 大切なのは左の手指を安定させること、右手は一定のリズムを保つこと。やるべき事、コードを押さえる指遣いとアルペジオの流れは覚えているはず。あとは冷静に、丁寧に……


 譜面の最後にたどり着き、娘は教則本を置くと「ふーっ!」と息を吐き出した。


ーー先生からは「これで今度は、呼吸しながら、メロディを歌いながら弾いてみなさい」と言われるだろうな……


 娘が建物に区切られた細い空を見上げていると、小さな拍手が聞こえてきた。

「また、拍手……」

 日課にしている練習を終えるたびに、誰かわからない相手から送られる拍手。

「誰?」

 辺りを見回すが人影はなく、拍手も消えていた。娘はギターを抱えると、振り返って静かな路地に再び目を向けてから、店の裏口に入っていった。


 新人巡回判事・滝アマネはナカツガワ・カガミハラ間の保安官区を監査する役目を担っている。普段はナカツガワ・コロニーに詰めている彼女だったが、月に数回カガミハラ・フォート・サイトに訪れ、軍警察署で書類の審査や捜査官への聞き取り業務をすることになっていた。

 昼過ぎから軍警察署に入り、監査部ほか数ヶ所の部署を回る。受け取った書類に目を通してハンコ・スタンプを押し、長距離通信回線を借りてナゴヤ・セントラル・サイトの保安部に勤務報告を送って本署から出ると、陽が傾きかけていた。

 巡回判事職を拝命してしばらくの間、仕事を終えたアマネはそのままナカツガワに引き返していた。化粧もお洒落も、そこまで興味があるわけではない。仕事で必要なツールとして身に付けただけだ。だからカガミハラの商業区を見て回ろうという気にはなれなかった。酒は好きだが、スクーターで来ている手前、呑んで帰るわけにもいかない……

 アマネが“寄り道”するようになったのは、夏の初め頃からだった。ミュータント・バー、“止まり木”のコンサート・ショーにすっかり魅了され、仕事の後に毎回、立ち寄るようになっていた。

 ネオンサインに灯が点り始めた繁華街を歩く。通い始めた当初、童顔ながら凛とした顔立ちのアマネに寄ってきたスカウトたちは、彼女が巡回判事だと知ると恐れ入って逃げ去った。今ではアマネが歩くと通りからスカウトが消えるようになった。“止まり木”のママは「うちとしては、治安が良くなって助かるわ」と笑って言う。

 涼しくなってきた夕風を浴び、鼻唄混じりで通りを下る。街区の片隅にある“止まり木”の扉を開けると乾いたベルの音が鳴り、賑わい始めたホールの中から黒い蕾のような頭をした女給が歩き寄ってきた。

「こんばんはアマネ様、よくお越し下さいました。席のご用意、できていますよ。ご案内いたします」

「ありがとう、お願いします」

 テーブルの間をすり抜けて歩き、通されたのはステージの正面だった。

 女給は“Reserved”の札を取り上げて水の入ったグラスを置くと、「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていく。アマネは女給を見送って、客席を見回した。

 客たちは声をひそめて話し合ったり、静かにメニューの冊子に目を通したりしている。“止まり木”はミュータント・バーとしては極めて珍しく“宿泊”、つまり女給が客を取るシステムのない店だ。

 少なくともアマネは、この店以外では見聞きしたことはない。ミュータント・バーとは世間一般では俗悪でいかがわしい宿であり、店の雰囲気や出す料理に酒など、大抵の客にとってはどうでもいいものなのだ。ましてや店で催されるショーなど、猥雑な獣欲を掻き立てるものか、全く下らない道化の茶番でしかないはずだった。

 ところが“止まり木”という店はどうだろう。客たちは女主人の歌を心待ちにして、大人しく席についているではないか。

 女給の尻を追い回す客も、立ち上がってケンカを始める客もいない。ミュータントも非ミュータントも店で過ごすひとときを楽しんでいる。相席になった者同士で語らいだすテーブルもある。子どもを連れた家族客もいる。皆穏やかに、ショーが始まるのを待っていた。

 立ち見席にいた娘に目が止まった。年の頃は17、8歳か。ラッキーモンスターとされる“ホワイト・サーベルファング・タイガー”が刺繍された派手なジャケットとジーンズを身に付け、脱色した赤金色の長髪は毛先が跳ねている。鋭い両面には強い光を宿し、舞台を睨んでいた。


ーー印象は荒くれじみているけど、服にも顔にも清潔感があり、決して身だしなみは悪くない。……どこか、いいところの家出娘かな? 声をかけたいところだけど、今はショーの前の雰囲気を壊すわけにはいかない……


 客席灯りが落ちると、白髪のピアニストと黒いドレスのチドリがステージに立つ。観客からの拍手を浴びたチドリが一礼すると、小柄なピアニストは既に演奏の準備を始めていた。アップライト・ピアノから弾んだリズムで音が飛び出す。顔を上げたチドリは客席に微笑みかけると、マイクを握って歌い始めた。

 観客たちの心を弾ませ、時に涙を誘うショーが終わる。アンコールまで歌いきったチドリが頬を染めて頭を下げると、客席から拍手と喝采が起こった。

 アマネは拍手しながら振り返る。拍手を終えるなり急いで帰り支度をする者、閉店時間まで粘り、店の雰囲気に浸っていようとする者……。人の群れの中に、派手なジャケットの娘がいた。目付きは相変わらず悪いが、心を動かしながらショーを見ていたようで、目の周りが赤くなっている。娘は出口に向かう人の流れに乗って歩き出していた。

「あっ……!」

 ショーの後は思いの外、店の中がざわついていた。人混みをかき分けて行くことをためらっていると、

「失礼しますアマネ様、少々お時間よろしいでしょうか?」

 振り返ると糊の効いたシャツとベストを着た三つ目のピアニストが立っていた。

「ええっと……その」

 客席に視線を戻すと、娘は既に消え去っていた。

「アマネ様……?」

 心配そうに声をかけるピアニストに、アマネは振り返って微笑んだ。

「いえ、大丈夫です。……行きましょう。案内してもらえますか」


 ピアニストに案内されてステージ裏に入る。洞窟のような薄暗い通路が伸びていたが、三つ目の老人はすぐ手前の扉をノックした。

「はーい、どうぞ」

 チドリの声が返ってくると、ピアニストは「失礼します」と言って扉を開けた。

「チドリ様、アマネ様をお連れしました」

 ステージ衣装のまま、チドリが戸口まで出迎える。赤く上気した顔で、アマネに微笑んだ。

「ありがとうサンゾウさん。アマネちゃんもいらっしゃい。歌を聴きに来てくれてありがとう!」

「こちらこそありがとうございますチドリさん、今日の歌もすっごく素敵でした!」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。……いけない、楽屋まで来てもらったのは別の理由があるの。片付いてないところですけど、中にお入りになって」

 チドリに案内されて楽屋に入ると、オレンジ色のライトと鏡が壁際に並んでいた。部屋の中ほどには、いくつかテーブルと椅子が並んでいる。アマネは勧められるまま椅子に腰掛けた。

「……失礼します」

 入ってきた女給が、アマネの前に模造ムギ茶のグラスを置いた。女給は退出せずに席の前に立っていたので、アマネは思わずじっと見た。腰の上から一対の副腕を持ち、六肢が灰色の外骨格に覆われた女給だ。ホールで見た覚えもあるし、何度か飲み物や食べ物を給仕してもらったこともあるはずだ。

 顔に疑問符を浮かべているアマネを見て、チドリは口に手を当て、「あら!」と声を上げた。

「ごめんなさいアマネさん、相談したいことというのは、彼女のことなの。……せっちゃん、ほら、あなたから話をしてもらえる?」

 “せっちゃん”と呼ばれた女給はびくりとして、「は、はい!」とチドリに返した。

「えっと……ごめんなさい、緊張して頭が真っ白になってました。私、セツと言います。……その、アマネ様に相談したいことが……」

 セツは赤くなって目を伏せたが、深呼吸するとキッと顔を上げた。

「真人間の男性との恋愛について、教えてもらいたいんです!」

(続)

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