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人に合わせて話し方を変える。ハンデあるよね。【332目】

地方あるあるかも。

田舎はどこも言葉に
独特な訛りがあると思います。

そして、

それを出さずに相手に合わせる人、
誰それお構いなしでそのまま話す人が
いますよね。

どちらかと言えば、
私は合わせるタイプ。

島の友達といる時が
本当の素の状態といえるでしょう。

ただ、

相手に合わせると
いつもの自分ではないので、
伝えたいことに熱を入れにくい
場合があります。

ほぼ無意識ですが
イントネーションを意識するので
何かしらの負荷はかかっている状態。

心からの声を発するも
一度、変換されている感じ。

時としてハンデを
追っているようにも思います。

訛りのある自然体の方が
熱を持った言葉に
なっているのでは?

発する内容は同じで
あってもです。

ごくごく僅かな差では
ありますが。

訛っている=恥ずかしい

という無意識な感覚が
あるため人に合わせるのでしょう。

言葉で強烈なインパクトを
残すのは関西弁。

話し方はその人のキャラにも
なるので、そのまま出せる人は
本当に羨ましい限り。

女性の場合、
訛りが武器にもなり得ます。

知人に広島出身の女性が
いますが、バリバリの広島弁が
なんとも可愛らしい。

一方、

昨夜、友人宅での
BBQでお会いした
広島出身の方は全く訛り無し。

広島弁も認知度で言えば
上位クラスだと思います。

つまり、武器になり得るが
それでも人によって
使い分けている。

それが良い悪いではなく、
人の印象という意味では、
やはり強力なツールでは
ないでしょうか。

そんな「言葉の訛り」に
ついて思うのは、
今の子供たち(我が子含む)は
平均化しているように思います。

私の子供の頃はもっと
島の言葉を使っていました。

私の親世代になると、
訛りを超えて方言を使います。

文化ともいえる言葉は
年々進化し、方言の存在は
すでに危機的状況です。

スマホで様々な情報に
アクセスできる分、

子供たちはどこかYouTuberの
ような口調で、言ってみれば
都会の一般的な話し方。

このままでは、
独特な訛りまでもが
消えてしまいそうです。

少し寂しい。。

そう考えれば、

島の訛りを極端に矯正する
のではなく、むしろ
少しある位が良いかと。

キャラを作る上でもです。

時と場合を考えながらも
ほんの少しでも自分らしさを
意識できると良いですね。

その根底にあるのは
郷土愛があるかないか。

時代が急スピードで
変化するなかでも、
絶対的なルーツとして
いつでも意識していたいものです。

そこでの暮らし、
人との関わりに着目すると
ここだからこその
システムがあるはずです。

これらを踏まえて、
改めて故郷の良さを
考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

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