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僕らのみちしるべ

つい最近気になる記事を読んで、自分に少し重なる部分もあったので感じたことを残すことにした。


JKの人生相談に対する鴻上尚史さんの回答が載ってる。Twitterで見かけた。



** 好きなことだけして許される妹をずるいと思い、怒りがおさまりません**


自分は大好きな絵を描くという趣味を持っていたが、我慢して塾に通い偏差値の高い高校に入学することを家族から望まれていたし、自分もそれが当たり前だと思っていた。だけど妹が「美術系の高校に行きたい」と言い出し、両親がまさか了承するとは思わず、いざ美術系の高校に入学した妹は毎日楽しそうに絵ばかり描いている。とても羨ましく思い、怒りが生まれた。この怒りをおさめる方法が分からない。という内容だった。


この悩みに対する鴻上さんの回答は2つ。


●大学入学をきっかけに家を出て、妹さんと接しない生活を始める

「絵を描いている妹」を自分の生活のなかから消すことで、湧き上がってくる怒りの原因そのものを排除する。


●「美術系の大学を受験する」こと

「自分は本当の気持ちをずっとごまかしていて、自分も絵を描きたいと思っていた。美術系の高校に行きたいと思っていた。自分だっていつまでも絵を書いていたい」と思うのであれば、自己実現するしかない。



自分はすごくこの相談者のえみさんに共感していた。

私の地元は山と川しかないような田舎で、それだけが原因ではないかもしれないけど、将来とは・人生とは「偏差値の高い一流の高校・大学に入り、給料の高い就職先につき、25歳前後で結婚して子供を産むこと」が幸せだと両親や祖父母には言われて育ったし、なにより周りの同級生やお兄さんお姉さんの学年も年下の子たちも全員がそうだと疑ってなかったと思う。

小学3年生の頃から親友と交換日記を中3まで続けた。好きな絵を描いたり、どちらかが書いた物語に挿絵をつけたりとその交換日記の中は自由で無限大だった。漫画が、絵本が、小説が、ドラマが、アニメが大好きで、いつもチラシの裏にびっしりと絵を描いて遊んでいる。将来は”そういう”仕事がしたいなと漠然に思っても、現実味はなかった。周りにそんな夢のような仕事をしている大人がいなかったし、こういうエンターテイメントの作り手こそ架空の人物だと思っていたからだ。

だから他県の人と文通を始めた。初めは広島県の人、そして千葉県の人。手紙と共に素敵なイラストが同封してある。どんな画材を使っているのか、どんな漫画が好きなのか、どこのイベントに行ってきたよとか色んな話をする。中学のころまではそうやって親友との交換日記、文通相手との手紙交換、漫画を読む、描く日々に憧れていた。

高校は美術系の高校に行ってみたいと両親に申し出てみるが、許可は出ず。「芸術で食べていける人なんてほんの一握りしかいないし、その一握りになれるはずがない」というのが決まり文句で。自分もその言葉を覆すような根性や説得できる自信も技術もなかったので、両親の言う通りの進学校に入学した。だけど受験に対するパッションがそもそもなかったので、第一志望は不合格で滑り止めの高校に入学することになった。

大学受験が迫ってくる頃も、授業中でもずっとノートの端に絵を描いていた。先生には叱られるし、同級生には「ちゃんと勉強しな」と若干引かれるし絵を描いていて楽しいなと思うのは自分の内側でだけだった。家でも気休めに落書きでもしているものなら勉強しろと口うるさく言われるので、隠れキリシタンみたいにひっそり部屋にこもって、制服の袖で隠しながら絵を描いて…。思い出すと悲しい。コソコソと縮こまって絵を描いていないとバレるので、いつも好きなキャラクターの顔ばかりを描いていた。全身を描こうとするとストロークも大きくなるし、紙を使う範囲も広くなってしまって絵を描いているのがバレかねない。だから今も全身絵を描くのがどうもうまくない。小・中の親友との交換日記は別々の高校へ進学したことをきっかけに途絶えてしまい、もうなかったものになっていた。

大学受験の頃は特に「いい大学に入らなきゃ」という思いが強かった。もう絵を描くとか、美術系の学校に行きたいとか、そういう気持ちはなくなっていて。就職難もトレンドだったので、いい大学に入ってかつ手に職をつけられるようにならないといけないという気持ちばかりが先行するようになった。

気が付いたらまた第一志望の国公立の大学には落ちていて、私立の大学に入学。そして看護師になっていた。食いっぱぐれなくて、どこでも働ける専門職。両親は当時大学の受験失敗には落胆していたけど、就職に心配しなくていいことを心から安堵していた。私は看護師になった理由を前述の通り、かつもっと聞こえのいいように人には話していたけど、実際は地元を、実家を、自分を縛る見えない何かから離れて上京するための手段だと思っていた。実際私はあまり頭がよくもなかったので、この方法しか思いつかなかった…とも言える。あと田舎者から見た東京は漠然に何にも誰にも邪魔されることなく自由に暮らせる楽園に思えた。


大学の4年間1度も絵を描かなかった。あれだけ大好きだった漫画を1冊も買わなかったし読むこともなかった。読むのは何かよくわからない自己啓発本か海外ゴシップ誌、ずっとVictria's SecretのファッションショーをYouTubeで見ているだけだった。上京していざ就職すると辛いことがたくさんあったし、できないことや分からないことが悔しいけど勉強するには時間が足りなくて夜遅くまで勉強して出勤して、帰ったらまた勉強しての毎日だった。

そうしたら上京して2年目でなぜか漫画を1本描いていた。いままでキャラクターの顔しか描いてこなくて、全身絵もまともに描けなかったのに。仕事で疲れてるのに、泣きながら漫画を夜な夜な描き上げていた。初めて買う原稿用紙、高い。初めて使う付けペン、全く線がうまく引けない。初めて使うトーンにデザインナイフ、左手が血まみれになったし髪の毛にトーンの切れ端がつきまくって地獄、削ったトーンが変なところに入っていって咳が止まらない。ちゃぶ台みたいなテーブルで作業してたらギックリ腰になった。出版社の持ち込みではボロカスに言われた。利き手が腱鞘炎みたいになったしめちゃくちゃ風邪を引きまくっていた。自分の描いたものを読み返すと恥ずかしくなるし死にたくなるのに、「趣味で描いたものを記念に持ち込みしてみた感じですか?」と編集者に煽られて号泣しながら神保町から家路につく日々もあったけど、漫画を1本描き上げたことは何にも代えがたい達成感と開放感があった。

それがきっかけで作家や作家志望がたくさんいるシェアハウスに入ったり、今まで架空の人物だと思っていた創作者の人たちに出会って、彼らもまた普通の人間なんだと知った時心底唖然とした。そしたらえみさんと同じように私の中にあった怒りみたいなのは無くなっていた。…と、この記事を読んで思い出した。

怒りを掘り下げていくと、なんでもっと早く描き始めなかったんだろうとか、大人や他人の言うことに惑わされていたんだろうとか思うことはたくさんある。一般的とか、普通とかいうものはその時代によって多様に変化するのに。けど私、いま幸せです。これからもっと幸せになっていく。

リンク先の質問者えみさんは今どうしてるんだろう。彼女なりに自分が我慢して内側で怒りを焦がすように煮えたぎらせずに、納得できる道を見つけられていたらいいな、と思うのでした。





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