「彼女が死のうと思ったのは」第1話 #創作大賞2023

【あらすじ】
9月中旬。3人しかいない文芸部の部長である東條小雨が自殺した。その理由は不明だったが、ある日、部員であり小雨の妹でもある東條日傘の机から2つのUSBが見つかる。1つにはパスワードがかかっており、もう1つにはミステリ小説のデータが入っていた。もう1人の文芸部員である一ノ瀬樹は、日傘に頼まれその解読を手伝う。

【本文】
文芸部室に入っても、そこに小雨先輩はいなかった。僕はすでにその理由を知っていたし、叶わぬ期待をしていたわけでもない。ただ、先輩のいない部室がやけに薄色に見えただけで、今さら感傷的になっても仕方がないことは分かっていた。

退部届は受け取っていない。死亡からどのくらい経過すれば除籍が成立するかだなんて、僕は興味もないけれど、できれば部員名簿からは先輩の名前を外さないでいてほしかった。

部室に来るのは1か月ぶりだった。古本独特のにおいも、真ん中のへこんだ長机も、何一つ変わっていないのに、知らない場所に迷い込んだような感覚だった。
本棚に立てかけられていたパイプ椅子を開いて、いつも先輩がいた場所に座る。本棚の反対側にあるホワイトボードの前が、先輩の特等席だった。

死因は自殺だったと報道で聞いた。全校集会で発表されたらしく、クラスメイトはみんなその話題を知っていた。僕はその日学校を休んでいたので、詳しくは知らないけれど、受験のストレスだとか、学年主席のプレッシャーだとか、色々な推測が飛び交っていた。先輩が自殺した理由については、僕もこの1ヶ月、脳が擦り切れるくらいに考えたけれど、未だに答えは出ていない。そのうち、思い出すのも嫌になって考えるのを止めた。たとえ、僕がそれを知ったところで、できることは何もない。それならいっそ、このまま漫然と、鈍い痛みが腐って日常に馴染むまで、触れずに置いておく方がよっぽどマシだと思うのだ。

読みかけの文庫を開いても、中身は頭に入ってこなかった。昼過ぎから降り出した雨の音が耳障りだ。何度、言葉を拾いなおしても、物語のシーンが頭の中で像を結ばない。たった1か月で僕は、小説の読み方を忘れてしまったようだった。諦めて本を閉じると、代わりに部室のドアが開いた。そちらを見ると、覗き込んできた顔と目が合った。

東條日傘。3人だけで存続していた文芸部メンバーの1人で、小雨先輩の妹だ。顔立ちは小雨先輩に似て楚々とした雰囲気だが、その性格は対照的だった。小雨先輩は常に冷静で、人当たりのよい人物でありながら、どこか達観したような大人びた雰囲気があった。対して、日傘は奔放で感情の起伏が激しい。小説を読んでも、感動で号泣したり、登場人物に本気で怒ったりと忙しいタイプだ。

日傘は一瞬睨むような眼で僕を見たが、すぐに視線を逸らして、反対側の席に座った。部室に沈黙がおりる。先輩が亡くなってから、日傘と会うのは初めてだった。日傘とは同学年だがクラスが別で、見かける機会くらいはあったけれど、声をかける気にはなれなかった。

それに元々僕たちは、それほど仲が良いわけでもない。好きな小説のジャンルは全然違ったし、互いの勧める小説が絶望的に好みに合わなくて、小雨先輩の仲裁が入るまで言い争いを続けることもしばしばだった。それでも部活自体はいつも賑やかで、思い返せば楽しい時間ばかりだったように思う。

しかし、小雨先輩を失って2人残された今、部室には重苦しい空気がわだかまって、雨音だけがよく響いていた。日傘が何か言う様子もないし、僕から何を話せばいいか分からなかった。意識しなくて済むように、ページにかじりつくようにして小説に没頭した。好きな作家の小説が、今日は造花のように味気なく思えた。

チャイムを無視して数分後、ようやく最後まで読み切る。作者の後書きを斜め読みして、本を閉じる。顔を上げると日傘と目が合った。今度は逸らす様子はない。何か言おうと思って口を開きかけると、先に日傘が喋りだした。

「最近、どうして来なかったの」

一瞬、固まって部活のことだと気付く。先輩が亡くなってから、日傘も部活には来ていないものだと思っていた。

「ないと思ってた、ごめん」
「連絡くらいしてくれてもよかったのに」

ごめん、ともう一度言った。納得している様子はなかったが、それ以上責めるつもりもないようだった。それはいいけど、と僕の顔を覗き込む。

「樹が来たら話そうと思ってたことがあるの」
「それは……小雨先輩のこと?」
「そう、多分私だけじゃ分からないと思って」
「うん」
「お姉ちゃんが死んでから、色々バタバタしてたんだけど、先週の金曜にようやく遺品整理まで終わったんだ。書斎の本とかもお母さんが古本屋に売っちゃって。大体片付いたと思ってたんだけど、この前、私の机の引き出しを掃除してたら、奥の方から見覚えのないUSBができてきたんだ。しかも2つ」
「USB?」
「うん。わかんないけど、たぶんお姉ちゃんが入れたんだと思う。中身を確かめようと思って、パソコンに挿してみたんだけど、1つはパスワードが必要らしくて開けなかった」

わざわざパスワードを設定しているということは、特定の人以外には見られたくないということだろうか。だとしたら、日傘にはパスワードを教えておくべきだろうけど。

「もう1つは?」

日傘は困ったように眉根を寄せる。

「それが……小説のデータだった」
「小説?それだけ?」
「うん、それ以外何にも書いてなかった。軽く目を通した感じミステリ小説っぽいんだけど、私にはよくわからなくて」

思い返せば、先輩はミステリばかり書いていたし、ミステリばかり読んでいた。対して日傘は恋愛小説しか読まないし書かない。私はお母さん似だから、ミステリ遺伝子は受け継いでいないのだと以前いっていたのを覚えている。自分の机じゃなくて、日傘の机に入れたことには、何か意味がありそうな気がするけれど、今のところ、見当もつかない。

「そのUSBは今持ってる?」
日傘が首を横に振る。

「家の机の中。あまり持ち歩きたくはないし、樹が来ると思ってなかったから」
「なるほど……じゃあ明日持ってきてもらうことってできるか?ここならパソコンあるし」

一度、頷きかけたけど、すぐためらうような表情に変わる。

「でも学校のパソコンって管理者が履歴見れるんだよね。お母さんが昔、言ってた気がする」

日傘の母親は近くの市立高校で教員をしている。僕は学校のパソコン事情には詳しくないけれど、生徒に使わせた場合のトラブル対処を考えれば、そのような設定にしている可能性は高いように思えた。今回のように誰にも見られたくないファイルを開くときは、使用は避けるべきだろう。

そうすると一つ困ったことがあった。僕が中身を見る手段がない。コピーを取ってもらってもいいが、わざわざUSBに入れてあった情報だ。秘匿性を保つため、目に見える形で出力するのは避けた方がよいだろう。僕が唸っていると、日傘が覚悟を決めた顔で言った。

「じゃあ私のパソコンで見るしかないか」
「いいのか?小説書くやつにとってパソコンなんか、私物の中でもダントツトップで他人に見られたくないアイテムだろ」

少なくとも僕にとってはそうだ。仮に知り合いに中を見られた日には、三日三晩に亘って布団に籠って悶え続ける自信がある。

「もちろんファイルを開くまでは目も開かないで、ファイルを閉じる前に目を閉じて、仮に何かが見えたとしたら記憶を消して。約束できる?」
「了解。3つ目についても極力努める」
「よろしい。それじゃこの後うちに行こう。鍵は?」
「帰る時、ケースに入れとけばいいって」
「雑だね、ウチの鍵の扱い。誰でも開けれるじゃん」
「まあ仮に侵入しても、とられて困るものなんてないけどな」

高価なものといえばパソコンくらいだろう。それもデスクトップパソコンだから盗むにはかなり重い。実行には強靭な肉体が必要そうだった。

「怪しいマッチョには気を付けような」
「なにそのピンポイントな注意喚起」

各部室の鍵がまとめて置いてあるケースは特別棟二階の職員室にある。文芸部室のある文化棟からは、渡り廊下を使って行く必要があった。
渡り廊下に向かうと、ブラスバンド部の練習曲が聞こえてきた。曲名は知らないが、懐かしい感覚があった。

「これ、なんて曲だっけ。聞いたことある気がするんだけど」

先を歩いていた日傘が振り返る。少し寂しそうな顔をしていた。

「『雨に唄えば』だよ」

どうりで聞き覚えがあるはずだ。昔、部室に小雨先輩が持ち込んだタブレットを使って、三人で観た映画じゃないか。
職員室に鍵を返して、昇降口から出る。止む気配のない雨に、少しうんざりした。

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