【ショートショート】春風にのせて
お題:さよならを言う前に
さよならとまだ言いたくなくて、宛もないのにモタモタと公園に寄ったり、解けてもいない靴紐を結び直したりしていた。
悠はぴょこぴょことついてきて、いつも通りのたわいもない話をしていた。
歩き慣れた帰り道のアスファルトが、別人のようでいつもより靴底が馴染まない気がした。
私は悠と違って地元に残らないから、この道を歩くことはもうしばらくない。
春風が散らせた桜が足元で舞って、傷だらけのローファーを飾る。
連絡はいつでも取れるし、機会があれば帰って来れる。
言い聞かせて踏み締めた。
足元ばかり見ていたら、悠にぶつかった。
先を歩いていたけれど、急に立ち止まったらしい。
「どうしたの」
「いやこっちのセリフ。急に黙っちゃったから、どうしたのかなって思って」
「ごめん、考えごと。って言うほどじゃないけど。なんか、わかんないけど」
言葉がうまく出てこなくなった。
鼻の奥がツンとして、熱くなる。
「なに、東京行くの不安?」
悠が心配そうに私を覗き込む。
輪郭がぼやけ出したので、袖でゴシゴシと拭う。
「不安じゃないってわけじゃないけど、そうじゃなくて。ただこれから、もう今みたいには戻れないんだなって実感しちゃって。改めて大事なものに気づいちゃった、みたいな」
言うと、悠はシニカルに笑った。
この数年で見慣れた表情だ。
「何、優等生みたいなこと言ってんの。あんたただ寂しいだけじゃない」
んん、と図星をつかれて何も言えなくなる。
そんな私を見て、馬鹿にしたような笑顔に変わる。
「私と離れんのがそんなに寂しーか?可愛いねぇ」
その態度にちょっとムカついて、肩を殴る。
いたあ!と大袈裟に蹲る悠を無視して歩いていたら、後ろから肩をペシペシと叩かれた。
膨れながら振り返ると、悠はまた笑っていた。
嬉しそうで寂しそうに見えた。
悠の家まであと少し、私は次の日にこの街を発つ。
「いつでも戻ってきなよ。また会おう」
春風は特有の寂しさと爽やかな希望を含んだまま、この街に吹く。
私は息を吸い込む。
さよなら、またね。と続けて言った。
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