【ショートショート】弾き手をなくしたテレキャスターと

持ち主を失ったテレキャスターと2人きりで過ごすのも、そろそろ限界だった。
金にならない言葉で埋まったルーズリーフを握り潰して、思い切り投げようとしたけれど、軽すぎて勢いも出ないから、壁に届きもせずに情けなく落ちただけだった。

首を掻き毟って、このウザったい神経を全部引きずり出したらスッキリするかと思ったけど、もうのたうつ程のエネルギーもなくて、床に倒れ込んだ。
狭い天井には何も映らない。
部屋の隅に佇むラックには、今まで書いた曲が立ち並ぶ。
捨ててしまおうかと何度も思った。

だけど、これをなくしてしまったら、僕をこの世につなぎ止めておくものが何一つなくなってしまう。
その時、押し寄せる衝動の波に耐えられる自信はなかった。

どんなに絶望していても、身体は惨めに生きようとしているようで、腹の音が鳴った。
傘は彼女を探す時に持って行って、そのまま失くした。
どこに置いたかも覚えていない。
だからコンビニに着く頃には、全身から乾いた部分を探す方が難しいくらいになっていた。

最寄りではなく、ひとつ離れたところを選んだ。
こんな時でも僕は人目を気にすることを止められない。
急いで最低限の食料と飲料を買った。
店員は何も聞いてこなかった。

帰るなり、パンに齧り付いた。
こんなことで満たされる自分が、えらく小さく思えた。
胃の中はゆっくり満ちて、しかし根源的な欲求を満たすに伴い、抑制されていた感情が鎌首をもたげた。

雨の降り始める空に似ていた。
最初に雲が暗幕を垂らして、漏れ出すように涙が落ちた。
彼女はもういないのだという実感が全身に纏わって、特に心臓にべとりと貼りつく。
どこにも身の置き場がない心地がした。

曲を作る時間だけが、演奏している瞬間だけが、不適合者の僕らが人と繋がっていられる時だった。
本当に繋がっているのは僕達だけだったかもしれないけど。
いや、僕らでさえ本当はバラバラだったのかもしれない。

呼吸の仕方がよく分からなくなって、ひとり悶えた。
コンビニの袋があったから、口にあててようやく落ち着きを取り戻す。

音楽は人を救わない。
信じたくないだけで、ここまでやってきた。
でも本当は誰より自分が知っていた。
音楽は人を救わない。
だから、僕も彼女も救われなかったんだ。

彼女のテレキャスターを手に取った。
弦を撫でると不細工な声が鳴る。
それでも構わず弾き続ける。
彼女がそうしていたように、ボディを大袈裟に寝かせたままで。
浮かぶメロディーをただ。

このコード進行も、この音作りの癖も、カッティングも。
彼女のものだという自覚があった。
浮かぶメロディーは途切れる様子もない。
彼女が生きていたらこう弾くだろうな、と思うままに。

天涯孤独だった彼女が生きていた証がここにある気がした。
僕は彼女に何もしてやれなかった。
彼女を救えなかったのは音楽じゃなくて僕だ。
テレキャスターは、指に従って唸りをあげる。
何度もミスを重ねながら、時に歪な音を鳴らしながら。

僕はまた曲を作る。
誰も救えないと知りながら。

音楽は人を救わない。
勝手に救われたような気分になる人がいるだけだ。

どんなに優れた音楽を聴いても、現実の問題が好転することはないし、過去が帳消しになることはない。
それでも僕らは曲を作る。
テレキャスターの音は雨粒のハイハットに合わせて歌い続ける。

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