見出し画像

【エッセイ】「自分ってアホだな」三題

一,学校中がハムスターを探している中、一人、「浜下くん」を探し回った小学三年生の冬。

 朝のホームルーム前に流れた校内アナウンス。私にはこう聞こえたのだ。
「校内の皆さんにお願いがあります。三年二組の浜下が脱走してしまいました。三年二組のみんなで必死に探していますが、まだ見つかっていません。皆さん、力を貸してください。浜下を発見した人は、三年二組の担任までお願いします」
…浜下が脱走? そりゃあ大変だ。
 私はとりあえず三年一組の教室を出て、彼を探した。浜下君は、私と同じクラスの男子だった。クラスのムードメーカー的存在の彼は、酔っ払いの物真似をしたり、モップをギター代わりにロックミュージシャンに成り切ってみたり、いつもクラス中の笑いを誘っていた。でも、そんな彼が脱走したというのだから、もしかして、今まで、無理をして振る舞っていたのだろうかと、心配になる。既に彼は校内に居ない可能性も高いが、出来る限り捜索は続けるべきだろう。待ってて、浜下君!
そんな正義に燃え、とりあえず、教室の外を出た私。学年問わず、沢山の児童や先生が既に、玄関、廊下、校庭…、あらゆるところで大捜索をしていた。そして、当然だが、どうやら様子がおかしいことに気づく。さっきから、暖房の隙間、机の引き出し、先生のポケットの中、自分のパンツの中など「彼が入れるわけもない」場所ばかり、探している児童。先生まで。
 ええ、私は、本来ここで気がつくべきだったのです。
だけど、人間は大きな正義を持っている時ほど、違和感と対峙出来ず、滑稽な選択を続けてしまうことがある。私は違和感を覚えた後も尚「脱走した濱下くん」を探し続けた。
 下駄箱の中を健気に探している小学一年生の子に
「なんや、真剣に探してるんか。まあ、こいつら小学一年だからアホなのも仕方ないか」
 などと思ったりしながら。「ハムスターが見つかりました」という校内アナウンスが再び流れるまで。
 アホなのは、紛れもなく私の方だった。

二,工作の時間、色鉛筆を家に忘れたことに気づき、隣の男子に「ねえ、エロ鉛筆貸してよ」と言ってしまった小学六年生の秋。

 その後は茶化されて面倒臭かった。面倒な割に、大したエピソードにもならない、どうしようもない時間だった。
 このエピソードに限らず、私には日頃から言い間違いが多すぎる。
 例えば、虚無感に襲われてどうしようもなかった日。気を紛らわすために友人と電話していた。友人はサンリオキャラクターが好きで、その話をずっとしていた。私はその時どこか上の空で、適当に相槌を打ってしまっていた。だからなのか、
「私はキティが一番好きだけど、アンタは何が好きなのさ」と友人が私に話を振った時、
「虚無虚無プリン」
 と答えてしまっていた。
「いや、それは最早アンタなのよ。ただの虚無でプリン好きなアンタ」
 と友人からは一蹴されてしまった。
なので、ヤケクソになり「ハローキティ」のことを
「過労キティ」だの「無労キティ」だのと言ってやった。
 ちなみに、最近は「ハンギョドン」のことを「半疑ドン」「反社ドン」と言うことにもハマっている。
「エロ鉛筆」や「虚無虚無プリン」は、まだ良い方だ。一番やってはいけないのは、相手の名前の言い間違い。これも、結構やってしまう。個人情報のため、特定の個人の名前は伏せるが、例えば「本間紗理奈」という人物がいたとして、私はその人のことを
「ほんまそれな」
 と言ってしまうくらい、失礼なレベルの間違いをしたことがある。こういう間違いは、
「ごめんなさい、間違えました」
と訂正したところで、相手に
「いや、アンタ。私のこと心の中で『ホンマそれな』と呼んでいたね」
 と勘繰られること間違いなしだ。
そういう時、「ほんまそれな」と追い討ちをかけるように言い返す度胸は、私には、ない。

三,コンビニスイーツのわらび餅を開封した後に、何故か扇風機のスイッチを「強」にし、粉が顔面に飛び散った二十二歳の夏。

 この手のことを、私は本当に学ばない。しかも、自分で開封し、自分で「強」のスイッチを押し、自分が勝手にきな粉の舞を受けるのであれば、まだ良い。問題は、母親が「わらび餅」だとか「お好み焼き」だとかを食べる時にも、何故かタイミング悪くそれをやってしまい、偉く怒られることだ。一度、
「アンタそれ、コロッケババより酷いよ」
と怒られた時は、凄くショックであった。

「コロッケババ」とは、スーパーでバイトをしている、ある中年の女性のことである。ある日、母と私がひっそりと名付けた。何故「コロッケババ」と名付けたのかというと、そのババは、惣菜コーナーのコロッケの前で
「ハックシュン!」
と、遠慮の一切無いくしゃみを何度も連続でしたからだった。せめてマスクをするだとか、手で覆うだとかの行動があればよかったのだが、それも無かった。まるで、コロッケに的を絞ったかのように、あのババは自身の飛沫を解き放ったのだ。
 コロッケババ的には、その行為に悪意は無いのかもしれない。だが、私達は、そのババが惣菜コーナーに来るまで
「うわあ、コロッケ美味しそう。今日はこれでいいんじゃない」
という話をしていたので、コロッケババの行為は、到底許せるものではなかった。その時点で買う気は失せたのだが、コロッケババがその場から消えた後のコロッケは、心なしか、さっきよりも「しっとり系コロッケ」になっていたのもあり、しばらくの間、私は「スーパーの惣菜恐怖症」になってしまった。
 そんなコロッケババよりも、私の方が酷いと母から言われたのだから、悲しいに決まっている。というか、それはいくら何でも言い過ぎだ。そもそも、何故コロッケババと比較されなければならないのだろう。
 おそらく、母は、コロッケババと私の共通点「何かを撒き散らかす」ということに目をつけて、そう言ったのだと思う。だが「飛沫」を飛ばし、サクサクコロッケをシナシナコロッケに替える女と、「きな粉」や「鰹節」を吹き飛ばし、誰かの顔を若干、汚してしまう女には雲泥の差がある。
 しかし、そういうことを母に言うと、
「アンタが外で恥をかかないようにするためよ」
というようなことを、決まって言ってくるのはわかっていたので、その時は、大人しく「すみません」と謝った。
まあ、確かに他所様にこっそり「きな粉かけ女」とか言われるの、嫌だしな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?