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【エッセイ】一年間を振り返って

一年間を振り返って

 看護師として働き始めて、もうすぐ一年が経つ。仕事柄、不規則な生活を送っている。日勤もあれば夜勤もある。病棟全体が忙しくなれば、急遽、勤務日の変更が行われる。休日が後回しになることもたまにだが、ある。
文章教室「檜葉の会」には、昨年の四月、看護師デビューと同時に入会した。入会時に「良いものを書きたい!」と意気込んでいたのはいいものの、この一年を振り返ると、看護という業務そのものの忙しさと、不規則な生活サイクルに順応していきながら、文章を書き続けるということは、大変だった。
 計画性の無さもあり、この一年間で書き続けた十二編の内、半分は、締め切り前日や当日の夜に慌てて書いたものだった。しっかり見直す余裕もないまま、仕事終わりに講師である先生の自宅まで慌てて、車を走らせた。無事に原稿を届けられた自宅までの道のりでは「またとんでもないものを提出しちゃったな」と、いつも反省した。だけど、そういう時間が好きでもあった。私は車を運転するのが好きではないが「自分の意思で何かを創り、自分でそれを届けた」といった実感は、なんだか心地が良いものだった。
 文章を書くまでの自分は、こういう感覚を覚えることがあまりなかったように思う。
 特に幼少期は、自分の意思を誰かに伝えたり、何かを決断したりすることが苦手だった。大人達から「何をして遊びたいか」「何を食べたいか」を聞かれても、いつも顔色を伺い、弟や友人、他人の意見に合わせていた。優しい大人から「自分で決めていいんだよ」と言われても、硬直して何も話せず、困ったような顔をする、内気な子どもだった。
 高校生の頃も、勉強も教師が促すから学年トップを維持していたし、部活動や進学、将来の夢、体育祭の種目までも、親が勧めたものを選んだ。自分の気持ちを伝え、他者にそれを尊重されないことが、自分の人生を自分で決定することが怖いという思いが、根底にはあった。
 学校に行くときや、部活動に行くとき、定刻に遅れたバスに揺られながら「自分の人生は乗客みたい」だと、思うことがあった。誰かにハンドルを任せているように、人生を誰かのハッキリとしたジャッジに身を委ねて生きている自分。時間に焦り、なんだかいつも「置き去りになってしまう」といった不安がある自分。どこか他人事のように窓越しの世界を見つめ、なるべく他者との衝突を避けて生きている自分。

「人生は選択の連続によって決まっていく」とはよく言ったものだが、一年間、エッセイを書き続けて、文章を書き綴るという行為は、まさにそれだと思った。
「自分はどんな世界で、誰と、何をして、生きていきたいのか」を自分に問うこと、世界と真正面から対話すること、それが「書く」だった。否応なしに自分の内面と向き合わされ、ときには自分にとってかなり背伸びをした、もはや宣言に近いようなことを書いたこともあったが、そういう言葉の輪郭に自分を合わせるように生きていたいと、自身を鼓舞するようにもなった。「書く」時は、人生のハンドルを自分で握ることができ、苦しかった過去すらも肯定できた。

 今、この文章を書いているのは、二月の二十九日、午前二時四十二分。締め切りは今日中だ。そして、今日も夜が明けたら、仕事がある。届けるのは、夕方になるだろう。やっぱりいつも、締切ギリギリの提出になってしまう。
 だが、世の中には「バスがあまりにも遅延していて、自分が目指していた一つ前のバスが到着し、予定より早くそれに乗り込むことになった」というような事象がある。遠回りや遅れること、心を塞ぎ込んでしまう経験は、必ずしも悪いことばかりではなかったりする。締切当日の提出にうまい理由をつけて格好つけたいわけでもないし、本当はもっと推敲を重ねるべきだとも思うけど、この文章は当日に書かなければ、こういう風に自分を振り返ることはできなかった、とも思う。
 これからも文章によって、過去と現在と未来、自分と他者と交通し、書き手としても一人の人間としても成長したい。書き続けていきたいと、強く思っている。

p.s. 2/29 PM23時 七連勤の予定だったけど急遽、明日休みになった。うれちい。また痩せたよねと言われて久しぶりに体重を測ったら、もう少しで40キロ台!(いえーい)

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