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どうしても腑に落ちない

HSPという言葉に対しての、繊細さんという物言い。

これについては、理由の一つにそういう部分もあります。

どうしても、私個人としては腑に落ちない。

というかまぁ、受け入れられないという話でもなく、感覚的にそれはおかしいんですよ、って自分の内側と言うか、それ以外の何かというか、そういう部分から訴えてくる感じで。

言わんとする事は、わからなくないですけどね。

ただ、掘り下げてみると色々出てきたので、そういう部分について書いてみようかな、と思います。


感覚処理感受性という言葉

HSPって、それなりに深く触れてみると、そういう感受性が高い人という話だったりします。

うん。

まぁ、いつもの感じというか、言葉としてある程度理にかなってると言うか、実際問題として「感覚的」という風に感じ取ってるんですよね。

ホントこう、感じる時は一瞬で感じます

周囲に人は居ないはずなのに、暗い夜道で誰かの声が聞こえたような感じがして立ち止まって、「今何か聞こえた?でも、さっきから人通りどころか人の気配もないし、その状態がいつものことなんだけど

おかしい。でも聞こえた。何かあるの?聞こえたのは何故?

一瞬でおかしさに気付いて立ち止まって、周囲を探ったり考え込んだり、耳を澄まして聞き取ろうとしたり。そのおかしさを探らないと、聞こえた事自体が不安だったり恐怖だったりしますしね。

と、たとえ話をしてみました、が。

まぁ、声が聞こえた云々は例えなので、そういう状態になった時と同様になるっていうんですかね。よく分からないけど、間違いなく何かを感じた、っていう一瞬の感じ取りすらあるくらいです。そして、それも感じた通り、だったりします。

こういう、「何か」を感覚的に、一瞬で感じ取るみたいな状態もよくあるので、感覚処理感受性って言葉になって表されるのは、心理学としての知識はなくとも、経験があるという所から、言葉が上手く合う様に言われてますよね、という感じもあるんですよ。

そして、光にしろ音にしろ臭いにしろ、五感が感じとる反応についてもそういう感覚的に、些細なレベルすら感じとるのも日常なので、わかっててもやっぱりその反応はおかしい、周囲から必ずそう言われるくらいだったりもします。

また、そういう反応をした時も、感じ取ったその瞬間だけに苦しさみたいなのを感じるだけで、それ以上は喉元過ぎれば熱さを忘れるよろしく、大して気にならんわい、感じるのはいつもの事だし、という風に軽く流せるいなせるものです。

いきづらいとか、ちゃんちゃらおかしい(笑)

とかいうのも、こういう辛さは感じるけど感じ取った一瞬だけだし、集団生活してたら、ただでさえ周囲には異に映る程の感じ方なので、文句も不満も言わないって話にもなるからという理由があったりします。

この、感じた時、その一瞬という状態にもなるので、猶更「感覚的」という言葉が個人的にしっくりきます。なので「HSPは心理学上の概念としての感覚処理感受性の話です」という表現もする事になる、そういう感じです。

というか、確実に周囲からは異なってる、おかしいという感じ方をするときは、五感の感覚なんて本当に微小、些細っていうくらいなので、余裕で流せたりするレベルでもあるんですよ。

ただ、環境の中に異質が混ざり込んだ、という感じでね。


それどころではない

敏感とか繊細とかも、そういう部分からも「それどころじゃ済まされないレベルなんだけど?」という言い分にもなります。

周囲からも、とにかく「おかしい」。簡単に言えば、そういう異なり過ぎてるという感じでのおかしいという言い方をされてたりします。「おかしい」という言葉に、差別的な意識や悪意、蔑みが混ざってない、そういう事すらも感じてたりします。

なので、自分でも「ほんとにね、何でこんな感じ方するんだろうね(笑)」って自然に切り替えて、笑い話に転換できるくらい。

ただこういう話の中でも、困った事に自分の体に発生してる痛みとか違和感も感じすぎるというか、そういう話をしても「そこまでわからんわw」ってレベルすら感じ取ってるので、感じた時にみせた反応が要因になって「思わぬ一言」で周囲からグサっと刺されるという事はあります。

まぁ、自分の体の事だから仕方ないんですが、反応を見せてる=我慢し過ぎた事で顔色が悪くなった、という前段階もあったりするので、こういう部分ではなんだかなぁ、って思いますけどね。

痛みや違和感だって、誰でも感じるものだし、だからこそ病院にも行くわけで。なので、辛さとかそういうのは分かると思います。ただ、個人的にそういう事すらも感じすぎて情報過多、それでも周囲からすればおかしいしか言われない、だから隠して我慢する、というパターンにもなりがちというのが実情としてあったりします。

そういうね。

嫌でも隠さないとその方が問題になる、自分に思わぬ形での異なものを否定する言葉って飛んでくるのも日常なので、敏感?繊細?そんな事言ってたらストレスで間違いなく潰れて、うつや不安障害になる事うけあいでしかない、って話でね。

実際問題として、こういうのが4歳からずっと続いてるだけでなく、親や大人からの助けが無ければどうにも出来ない年齢の頃から、否定ばかりされてましてね。

それが悪い方に働いて、現在進行形ですが「精神的に病んで」なかなか普通レベルで社会に戻れない状態になってたりもします。

申し訳ないけど、敏感とか繊細とか適当言ってる人は、こういう部分の回復や改善の見えなさの一助になってるってくらいなんですが?どのくらい敏感に感じ取ってるんです?かっこわらい。

今までの記事の中でも、もんの凄く、感情って言うか悪意とか怒りとか、込めて書いてる事もあるんですよ。

でも感じ取れないんでしょうね、ってくらいに程度が低いんじゃい!って喚きたくあるくらいというのも、少なからず抱えてたりもします。

というのも、少しだけ吐き出して。

まぁ良くも悪くも私もそういう至らなさがありますし、強く言えるものでもないので、普段は我慢するようにして、直接的な言葉にしてなかったりもしますけどね。


HSPアドバイザー、カウンセラー、外来?

もう、こういうのを正式に名乗れないって状態にしなきゃいけないんじゃないかなぁ、医学的見地から

というくらいに、呆れかえってます。

診断基準が無いでしょうに!

そもそも、カウンセラーとかはあくまで聞き手というだけで、医師ではないはずなんですよね。なのに、そういうのを名乗ってるっていう。

エビデンスや実際の証明云々は別としても、5人に1人とか言われるような概念というだけでなく、皆が皆それで困り果てる、日常に支障が出るなんて事になるわけないですから、表立って打ち出して商売する必要性薄いんですよ。

我慢しようが、隠してようが、実際はゴリゴリメンタル削れてますし、ストレスなんて処理しきれないのも実情です。そういう、感じる部分みたいな話が関係しなくてもストレス社会って言われるくらいなんですから。

正直、ひどすぎです、いい加減です、無責任です。

人を救う、助けるどころか、誤認をさせて落とし込む方に動いてますよ?こういうのって。

たまにHSPの特徴として、真摯とか真面目とかも目にしますが、そういう人達に無責任だっていうくらいには、自身の行動や言動の責任って取ろうとします。

そもそも、感じ取り過ぎるのをおかしいというのは、相手に対しての理解や配慮不足という側面があるし、説明しても「自分はそうじゃないから」と否定もされるんですよ。

そういうのを嫌でも、しこたま、周囲からぶつけられるのも日常なんですね。

なので、自身がHSPだなんだいうなら、こんなやり方まず出来た物じゃないです。

そこには単純に自身がそうあるだけでなく、そんな事やったら間違いなく傷つけてしまう人が居るという現実問題だけでなく、そういう傷を付けられた人がどの様に感じ、どのように思うのか、そこにどのような感情が発生してどのような表情になるのか?という事すら、瞬間、感覚的に感じるというかイメージとしての実体化をしてきて襲いかかってきますよ?

そんな馬鹿な、そんなのありえない。

いや、こうある部分からカウンセリングを受けた時に、臨床心理士の先生から「周囲を感じ取りすぎ、周囲を取り込み過ぎてそれが自分の感情になってる」そのくらいあるから注意するように言われてるんですよ、個人的に。

自分としては、いや、その位配慮するっていうか、それが普通レベルなんですが(´・ω・`)なので、もう自分で向き合うしかないですねこれはみたいな話にもなって。

逆にこういう部分があるから、就労支援の相談員さんから別の担当してる人の話を聞いて、その人の状態を言い当ててアドバイスに繋がった(結果論)みたいな話も出てくるんですよ。

という、内容を書いてて「客観視をする自分」という、自分の中の一部が「うっわ、私って本当に気持ち悪いってレベルにあるよね、ぷぷぷ」って笑ったりするんですよ。

とまぁ、ね。

まぁそうはいっても止まらないのも人の世なんでしょうけど。


とにかくおかしい

記事を書きながら、客観視をする自分が自分を笑ってる。

こういう事を平気で言いもしますし、それが普通の事だし、メインの自分、怒れる自分、客観視する自分、止めようと諫める自分etc、瞬時に切り替わるのか、複数に分裂してるけど上手く統合で来てるのか、実際問題として「これが私の普通ですが?」って言いきるくらいに、色々おかしいんですよ。

まぁ、この部分は感受性が関係あるのかはわかりませんが、そこに居ない、無いという無の状態であっても、有に転換できる程に何かしらを常に感じ取ってるみたいなタイプなんですよ。

そして、結果的に「清濁併せ呑む」というのが、一時の感情に流されてしまう事があっても、最終的な着地点になってたりします

正直、ブームだけでなく、環境問題なんかにしても何かしらの利権というか、利益みたいなのが付きまとってるのも、普段は目を背けてるだけの現実とか実情って部分があるのも、人の世です。

太陽光とかも、ね。一時期もてはやされましたけど、それで何がどうかわったの?そういうのに使う部品、設置、管理とかで利益を享受できる人や会社が出来てるだけ、みたいな部分もあるでしょ?

結果として、それでどの程度落ち着いた、下がったってデータは一切出てないんですし。

対策したのに、効果はどうなってんのよ(笑)

こう言う所にも、普段から目が行ってますし、それが子供の頃からの常ですし、こういう部分って「臭い物に蓋をする」なのは変わってないんですよ。だから時代なんて変わってないっていう話でね。

言葉にして、意見を言ったりするのはいいけど、行動したのであれば結果示さなければ、「何のためにそういう言葉を使って問題視してる、と言う体を繕ってるの?」っていう話になるのが当然なのでは?

でなければ、繕うだけにしても問題として取り上げる意味が薄すぎるっていう話にもなるし、意味がある事の様にしてるのは、そこに投資という部分から含めた利益の循環って必ずありますよね?っていう話にもなるわけで。

そんな事言ってたらキリがない。

キリが無いからって目を背けてるから、格差だなんだって話になるんじゃろがい!っていうね。

キリが無いって言いつつ、都合よくぶつけられる相手に不満をぶつけてるのは、何という矛盾なんでしょうね。

という様な部分も抱えつつ、なんとかまぁ生きてるというか、存在してると言うか、そんな状態にあるほどに、おかしいんですよ。

まとめ

という感じで、なんかすっごいヤケクソ感があるっていうか。ここまできて、どうしたの?私ってくらいに、不思議とこう何で書いてるのかがイマイチわからなくなる、という状態になってます。

というかも、ホントぶっ飛んでるって言うか、普通だと目を背けてる事に対しても目を向けてるのも実情だし、それをカウンセリングで「現実を見すぎだから止めた方が良い」という注意もうけるんですけどね。

でも、背けてるのに都合よく言える事には不満を言うだけ、ってのは人としてどうなのよ?って思うんですよ。

ほんと、言葉を捏ねてるばかりで、中身がからっぽ。

そして、その中身のない話ばかり真に受けてるから、考える事を放棄して目を背ける人が出来上がり、同じ事を繰り返す。

子供の為とか、新世代とか、何言ってんです?( ゚Д゚)ハァ?

若い頃には老害どもめ!って言うけど、年を取ればその老害になり、若者を悪く言う、これはホント繰り返し続けてるんですよ。バカバカしい(笑)

言霊だなんだってのに対して理解をしめすのも、そうやって人の世を外から眺めてるような状態にもなってるから、理解を示すんだろうなぁとも思いますけどね。

実際、情報にしろなんにしろ、使ってるのは言葉です。そして、そういう中身も無い言葉で作った情報を積み重ねて作られてしまってるのが、人の世なんですよね。なので、言葉が作用してる=言霊という概念はあり得ると言えるみたいな、ね。

ほんとにね。

人間って愚か。

ぷぃぷぃー。

ということで。

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