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共感と言う話

よくわかんねぇから、ユーカリ食っとくわ byコアラ


簡単に言えば、目の前で泣いてる人が居れば「つらいんだなぁ」って気付いてあげれる。

個人的には、そんなのお構いなしに一緒に泣いたりする事もあります。

というか、この共感性も検索してみたら、あらあらまぁまぁおやおや。

何これ、優しいは優しいだけでしかなく、相通じる部分はあっても、優しさだけでは共感性ってのは語れないと思います、あくまで個人的に。

こういう部分に触れてみようかなぁ、と思います。


こういうのもHSPと同じ

言葉に嵌り過ぎるのも良くないかなぁって思います。

これまた、検索してみたら酷い有様だったというか。

その、優しさなんてのは時に厳しさにもなります。ただただ、自分に甘すぎるだけで凹んでるという人も居ますし、そういう人は強く悲しみや辛さの感情を発してたりして、逆に共感性が高いとそこが邪魔になるというような罠もあるんですね。

それなのに、なんかこうエンパス、エンパシーと優しさが結びついてるというのも散見され。

ホントこう、アフィリエイトだ、広告収入だって時代になったせいか、各々が研究どころか、しっかり学んだわけでもないのに語り過ぎではないかなぁ、って思わなくもないです。

お前もかたっとるやんけ!

いやいや、そういう時代になったが故の危うさというのは間違いなくあると感じるので、そういうのを突いてるだけっていうか。

そもそも、共感って相手の状態を見て視覚的に行う、認知的共感だけでなく、感情部分に対する共感もあるので、相手の感情しだいでは怒りなんかにも共感してしまいます。

また、その共感というのも相手と完全一致ではないんですよね。感情までは共に出来ても、そこから生まれた思いはやっぱり個人間の差って出てしまう時もあります。

それが過ぎてしまい、「自分でも気づかなかったところを感じてるとか気持ち悪いよ」みたいに言われた経験も個人的にはあります。

まぁその、こう言うのを論じるのは良いですが、議論とか提案とかではなく、個人視点でこれはこうですとか言うのは、ちょっとねぇ。

モルカーではないけど、人間は愚か、という事になるのではないかな、と思います。


エンパスという言葉

一昔前は、スピリチュアル系でも散見されてましたね。

次元上昇だ、エンパスだ、天使がどうだこうだetc

中にはギフトだ、ギフテッドだ、なんかもうそれ、行き過ぎなんじゃない?みたいな話になってる内容もあり。

こう言うのって、受け入れてくれない人の方が多いので、変に言葉にハマる方が苦しくなってしまう、そういう状況に出会う人も居ると思います。


また、ご時世的に色々あるせいか、優しさとかそういう言葉に結び付けて、こうあるのがエンパスとか、好き放題に言葉を弄り過ぎでしょうっていう。


こういう言葉をね、知ったからって自分の当てはまる部分から、言葉にハマるというのは別に悪い事ではないです。

ただ、そうする事で視野が狭くなり見つめた方が良い現実を見つけられなかったり、相応に信頼できる相談相手が居ない為話せずストレスになったり。

後から押し寄せて来て、後悔に繋がりかねない悪い部分も多々あるものです。

なので、多分とかその程度に留めて、必要以上にハマらない方が楽だと思います。


自分は自分だから

何がどうあれ自分は自分です。

その言葉があるから自分が形成されるのではなく、自分の持ってる物が相応に一致するからその言葉で表現できるというだけで。

なので、自分で向き合う、受け止めるというのはまず必要だと思います。

どれだけ信頼できても相手は他人。相談したからって楽になれない時もあるんですね。

また、信頼できる相手だからとはいえ、必ずしも全てに対応できるだけでなく間違う事もあります。

他人を頼り過ぎてしまうのも、また毒という話。

そして、何がどうあれ他者には罪は無いと言うか、絶対に悪いなんて言いきれません。

何がどうあれ、相談でアドバイスされようとも、実践するのは自分自身です。

自分で考えて、自分で決めて、自分で行動するんですね。

結果として、なんだかんだで自分の事は自分でケジメを付ける、これは兎に角つきまわります。

そういう意味では、ただ相談するだけでなく、話を聞いてくれそうなら一緒に学ぶ提案をしてみるとか、相談を受ける立場なら一緒に学んでみる、考えてみる事を提案するとか。

そういう関係を構築できるのも鍵ではないかな?と個人的には思います。

うん。

こういう言葉があったから、こう言う概念があるから。

そうはいっても、それは言葉だけでしかなく、概念でしかない。自分自身では無いんですね。

なので、適度に距離を置くというのも大事だと思います。

そして、それは何故か?なぜそういう物があるのか?と言う様に、自身にも世界にも、言葉にも問いかけるっていうのかな。

想像力を働かせることを身に着ける。

そういう事も、少なからず何かの助けになる事もあります。

言葉に乗るだけじゃなく、自分でしっかり考えて見ましょ。

それでも不安があるなら頼れる人に相談を。また、相談される側も同じくで、何故そういう事を持ち掛けるのか?相手の気持ちに触れる為には、乗る側も想像力って大事だと思います。


まとめ&後記

ホントにもーもー。

牛になりますよ、もーもー。

さて、ちょっとした思い付きではありますが、今回は共感という物について色々書いてみました。

言葉ってやっぱり、意味を知ったり把握したりって大事ですよ。

個人が情報発信という話だけでなく、広告収入や有料化という部分から稼ぎに繋がる時代にもなりましたし。

昨年、アフィリエイトで名の通った人が、とりあえず話題になるから未だ続いてるヤツの記事を書くと今なら稼げます!とかSNSで発言してしまい、若干の炎上=叩かれてるというのを目にしました。

こんな感じで、ウケさえよければと真偽不明な情報を流して、儲けの種にするという人も出てくる時代になっちゃったんですね。

そういう事を踏まえると、何でもかんでも疑えという事では無いのですが、ネットで情報に触れるという事は、相応に受け手も構えや姿勢が必要で真に受けるだけじゃダメな時代にもなった。

個人的にはそう思います。

HSPにしろ、共感だエンパスだにしろ、そういう感覚の部分なのか、感情や思考の部分なのか?みたいな区別って難しい面があるんですよ。客観的とか多角的に見たり、考えたり出来ないと。

それが出来ないまま、その言葉に寄り掛かるだけでは、ブームが過ぎれば話題に上がらなくなるし、それまで一緒に居たはずなのに離れていくという、裏切りみたいな行為もされかねません。

災害だけでなく、情報からも、

自分の身は自分で守る。

やっぱり大事だと、個人的には思います。

それでは。

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