生きづらさって言うけれど
人間誰しも感じてるもので。
それを口にするしない、表に出す出さないの差がありもするし、日本人は口にしなさすぎっていうのも、普段どんんだけお硬い人と過ごしてるの?と言わんばかりに、誰でも口にすることで。
そんなものだから、つい口うるさくなってしまう。
うーん。年かなぁ。
うーん。でも、幼い頃からそうあって、からかわれてたのは事実。
生まれたときから既に、終わってたのね!?
って、冗談も挟みつつ、うん。
敏感で繊細?
それ故のいきづらさだから!とでも、言うのかねぇ?
繊細さんだからHSPなのか。
敏感で繊細だからHSPなのか。
生きづらさを感じるからHSPなのか。
この1年くらいアレコレ言いながら観察してますが、なんかこう怪しげな内容ばかりが検索にしか上がらず。
検索って、上手いことやって1ページ目に出てくるようにすることとか、そのやり方みたいなのもあるんですよ。
そういうのが手法や技術として、公開されてたりもするんですよね。
なので、ほんとこう、頭隠して尻隠さず、なんですよ。
上手いことやってるようで、上辺だけ繕ってるからボロが出ると言うか、なんというか。
と、また口がうるさくなりそうなので、お口チャック。
敏感にしろ、繊細にしろ
自分で言うだけではダメなんですよね。
自分がそう思ってるだけで、周りにいる自分をよく見てる人までもがそう思ってくれてる、なんて甘い世の中じゃございません。
敏感だろうが、繊細だろうが、それで生きづらさを抱えてようが、個人で発信するにしても、相応に比較をしなきゃダメなものなので、こういうワードで埋め尽くそうとしても、ね。
埋め尽くす過程で、ボロが出てしまう物なんですよ。
最近だと、生きづらさを感じる人みたいにも言われてますけど。生きづらさなんて寧ろ誰しも感じてるものだから、敏感とか繊細とかくっつけても、個人の主張としてそれが出来るか否か?の難易度は逆にあがりかねないわけで。
ほんとこうブームって、流れと勢いだけになってしまって、打ち上げ花火のように打ち上げて弾けてる間はきれいなんだけど、それが消えたら無情の闇しか残らなくなってしまう。
ましてやスマホの普及で、ネットに触れやすくなった分、ブームや流行りって維持するのが相当に難しいと思います。
また、今までは簡単に出来なかった、他の情報にふれるという事も出来やすくなってるので、話題性だけを出すだけじゃなく、それをコントロールして維持しないといけない時代にもなってると思います。
一般的に触れられるレベルであっても
病院の精神科で診断される、精神医学。
その範囲の中には、心理学的研究というような部分も含まれるようで、そのせいか最近だとパーソナリティ障害というのもあるってすぐ分かるんですよね。
その中には”自己愛性パーソナリティ障害”とかもあって。
パソコンでWindows使ってれば、「じこあいせい」って打つと候補として表示されるくらいになってる症状でもあります。
ちなみに、個人として経験だったり、ちょっと突っ込んだ心の内を書いてますが、
ぶっちゃけ普通の人としか思ってないです。おかしなところがあるけど(笑)
良くも悪くも、周囲を見てるだけでなく、自覚できるほどに、
自分っておかしいよなぁ(笑)
って、思う方が当たり前だったりします。だって良くも悪くもおかしいんですもの、本当に(笑)
まぁ、自分のおかしさはおいといて。
心理学にしても、精神医学にしても、関連する部分ってやっぱりあるものなんだなあ
という感じでね。知ってさえいれば、ネットで検索してちょちょいのちょいで、色々知れる、知れるからこそ見えるって事が割と簡単に出来る時代にもなったんですよね。
便利になれば楽になる、楽になれば欲が出る。
こういう持論も確かに学生時代から持ってましたが、どうしても便利さに胡坐をかき過ぎな人が多かったので、問題提起するような感じでもあったんですよね。
うん。
まぁ、そうは問屋が卸さないということわざもあるくらいですし、手先、目先だけではいつかどこかで失敗するというか。
楽あれば苦あり。
楽さを優先すると、後で苦が訪れる。そういうものなんですよね、不思議と。
個人の感受性の部分
色々書いてますけどね。
正直、頭おかしすぎなのよ、この人www
って、普通に自分で客観視して、自分が笑ってるくらいだったりします。
そもそも、感受性が高いって表現も、周囲がしてる言い草を借りてるだけで、自身としては自覚もありますが、そんな大層なものじゃないって思ってます。
ただ、後付けバイアスだなんだ、は面倒ですけどね。
ほんとこう、ニホンゴワカリマスカー?ってくらいに、”自分たちが指摘する時は良いけど、お前が自分から言うのはダメ”という扱いになりがちなんですよ。
そんなつもりもない、なんだけど、それならどういうつもり?って即座に打ち返すだけでしかなく。
ただ、これも面倒くさいなぁって経験が重なり過ぎたので何かが無い限りは表に出さないし、表に出す時は、決まって自分のおかしさとか異質さを表に出す時、表現する時、でもあるんですよね。
とはいえ、話を聞いてもらえない=言葉のキャッチボールとしての受容がされづらいのは少々面倒どころか、現状での精神的な病みの元な感じもあるので頭を抱えるくらいにはあります。
とはいえ、ね。
自分が持ってる物だから、自分で向き合うしかないのですよ。
他者も他者なりに、自分の物を持っててそれと向き合ってるわけですから。
なのでHSPみたいな概念を持ち出して、自分って特別なの!な流れってのは馬鹿馬鹿しいですし、相応の年齢なので今までに見てきた、周囲をちゃんと見ろよ、このバカチンどもが!なんですよね。
口うるさくなるのには、呆れって部分も多いんですよ。
そもそも、今のブームまで言葉が世に出てないってわけでもなく。その頃から知ってても、”あー似たような人いるのねー、へー”だけで済ませてたくらいですからね。呆れもしますよ、そりゃ。
うん。
診断基準どうこうの話
診断基準がない、というのは、様々な部分の問題もあると思います。
個人で挙げてる例であれば、相談とか教える、指導するの話から紐解いてみようと思います。なので、恐らくとか、可能性ってのが相当に強いはなしになってしまいますは、そこは予めご了承くださいませ。
相談に乗る、指導をするという状態で周囲から受けてる指摘というのは、目に見えてる、耳に聞こえてるの部分からの判断が明らかにおかしいって言われてるだけだったりします。
なので、基本的に私からの最初の返答は、見てて分かるでしょ?聞いてて分かるでしょ?なのですが、そこがおかしい、と。
何で同じ様に見聞きしてるのに、お前はそんなに分かるんだ?って感じになるんですね。
そこから、見てる物、聞こえてる物の記憶を辿って説明すると”同じように見えてない、聞こえてないから、お前のそれはおかしい”ってね。
おかしいもなにも、見る、聞くの時点で、明らかに違ってるって分かってるから、聞いて来たんじゃないの?
同じように出来ないのがおかしいって言うなら、同じ授業を受けてて、同じ点数が取れないテストはどうなるの?っていう話でもあるんですね。
ただ、テストの場合は学力とかIQとかがあるから、”まだ納得は出来る”という感じだったりします。
うん。
学力やIQは、一定の計測用の問題を作って解かせれば可能なわけですが、見えてる、聞こえてるの部分は、視力や聴力とも無関係なんですよ。
そこから因果関係を見つけ出そうにも、相当な時間、人間、研究にかかる費用すらも必要になる。
変な話、真面目さも診断基準とかないですよね?ってのと同じというか。今度は判断する側の価値観や基準のズレや、判断する側の能力や技能をどこまでのレベルで一定にするのか?っていう問題も出てくるんだと思います。
そこまで来るともう、病理や病態みたいな、体に害があるものでもないし、精神的、心理的なダメージも本人由来ではなく、違いによる周囲からの否定という外側からの物になるんですね。
自分と違う、それは分かってる、でも違うから否定する。
こういう、矛盾甚だしい扱いをうけるんですよ。なので、心理的、精神的なダメージを減らそうとすれば、その他大勢の認知や価値観、基準の修正すらしないといけなくもなると思います。
うつ病や不安障害なんかもそうあるというか、結局認知はされる様になりましたが、どこかで何かしらの問題点って残ってしまってるんですよね。
患者に配慮しようにも、周囲の環境に居る人皆にそれをさせたら、負担とかストレスにもなりますし。
という感じでね。
診断基準出来たところで、終わりも見えないんですよ。人の持つ感受性って部分に病理、病態を作るようなもんですから。
だからこう、ね?
診断基準が無いから、好き勝手やって良い、にはならないんです。
そういう好き勝手が、感受性に対してダメージ与えるようなものですから。
あとがき
ホントこう、人間ってどうしてこうなのかね。
可愛い子には旅をさせよ
という諺がありますが、これは昔は旅って相当にしんどい物で経験を詰めるから、厳格に育てるという環境があったからこその言葉だったりします。
敏感で、繊細で、生きづらい人なんてのは、逆転が過ぎてネガティブな物でもあると思います。
自分の弱さに向き合わず、弱いのはHSPだからであって、悪いのは自分じゃない。周りが悪いんだ。
そういう人を育てて、何がしたいんです?
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
優しさも扱い方を間違えれば、ただの甘さ、甘やかしなんですよね。
それなのに、心地よさげな言葉使って良い子、良い子したところで、周囲に対して不満を持つだけのヘイター育成にしかならないんですよ。
これ以上不満から端を発する、攻撃的意識、悪意を世に溢れさせるような真似してどうするの。
そんなだから、ストレス社会になんてなるんでしょうがよ。
はぁ。
ホントこう、ため息が止まりません。
話題になってお金を落としてもらえればいいw
嫌でもそう言う部分が見えるんですよ。詰めが甘いし、ザルすぎで。
目先しか見てなくて、先々を考えて無くて。
年金も、保険も、環境問題も、高齢化=少子化も。
散々問題にしてきて、これだから呆れてしまう。
高齢化なんて、問題だからって小学校高学年向けの社会の教科書に載ってたくらいで、もう30年前には問題が浮き出てたんですが?
ほんと、事が実際に起こって痛い目をみるまで、対岸の火事じゃダメじゃないですか。
自分たちは生まれてないから知らない。
そうじゃない。
知って、人の振り見て我が振り直せ、なんですよ。同じ失敗繰り返しますから。
って、最後に出てきたあああああ!!
ということで。
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