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GLAY 30th Anniversary GLAY EXPO 2024-2025 in ベルーナドーム


「GLAYに恥じないように生きよう。」

羽田の出発ロビーへ向かうエスカレーターの天井を見上げながら心に誓う月曜の昼。

ライブの帰り道には毎度必ずそう思うのだけれど、もうライブ以外では感じる機会のなくなった類の体の重さとともに、その想いもすぐに日常に溶けて霧散してしまう。

だからと言ってはナンだが、ライブ終わりに次のライブの約束をしてくれるのがGLAYというバンドのありがたみである。
何もかもが嫌になってしまうことも多い世の中だけれど、その約束を果たすために生きねば、と思わせてもらえる。

ショウの幕を落とす派手な花火 なぜだか儚い
「止まれ時よ」と何度も叫び続けた

帰路で得るスキルは夜の星の数 弾む鼓動が生きる時計の針が退屈な今日を塗り替えた

『17ans』/GLAY/2003

GLAYの神様の思し召し

実を言うと、ほんのひと月ほど前まではこのベルーナドーム公演には行くつもりがなく、チケットも持っていなかった。

かねてより会場のアクセス・気候・環境の悪さを聞き及ぶに、超虚弱な私の体では無事に行って帰って来られる気がしなかった。
会場近くにホテルはなく、都内のホテル代は円安・物価高・インバウンド需要により高騰。
ホテルのベッドや電車の座席にはトコジラミが居ないとも限らない。
何より、コロナは終わっていないどころか感染者も死者も増え、神経・血管・免疫系に対する後遺症リスクもわかってきたにもかかわらず、国を挙げての情報操作によりノーマスクが当たり前。
当然ライブも声出しに制限はない。

西武ドームには行ったことがなく、それらのマイナス要素を超えるだけの思い入れもなかった。

今後1年間のライブ演出で使うから、という理由で一応ポチっておいた今回のライブグッズ「LEDリストバンド」が届いてにわかにTLが活気を帯び始め、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ「うーん、やっぱ行けばよかったかな(笑)」くらいに思ったりしていた5月も半ばのある日、それはあまりにも急に、天から舞い降りるようにやってきた。

今はGLAYを離れている旧友からのLINE▼
6月9日(日)のチケットが余っているのだけど…

迷った…のはたぶん3分くらい。
こういうチケット絡みの返信はスピード勝負なのを知っている、曲がりなりにもオバンギャである。

当然お断りしてもよかったのだけれど、私の親指は「それ2枚確保しといて!」と打ち込んで0.5秒ほどの逡巡を挟み、送信ボタンを押していた。

それこそ西武ドームに思い入れのある友人がどうしてもチケットが取れず、悔しがっているのを知っていた。
もはやライブ中立っていることのできない体の私は、S席のチケットならその車椅子の友人を誘って同行すれば座って見られる!というメリットも加味してのことだった。

かくしてそのチケットは、今はGLAYファンじゃない友達の、友達の友達のさらに友達…という“ほぼ他人”から私の元へやって来ることになったのである。

せっかく行くなら、TERUさんのお誕生日公演である6月8日(土)のチケットも手に入らないかなあ?と欲が出た。
調べてみると、タイミング良くちょうどリセール(公式転売)申し込み期間に入ったところだった。
それはまあすごい倍率なので、ダメ元で…と申し込んでみた。
すると…なんとなんと、ステージサイド席が当選した。

「EXPOヒストリー館」という、これまでのGLAY EXPOを振り返る展示館もあるのだが、こちらにも入場整理券が必要だった。
さすがに開演前のちょうどよい時間に応募したところで外れてしまったのだが…
これまた、時々しかGLAYのライブには登場できない友人がたまたま相方を探していて、運良く同行させてもらえることになった。

GLAY EXPOとEXPO館についての掲示パネル

うん。あれだ。ここまで向こうからチケットがやって来るということはつまり、GLAYの神様が

「オマエはこのライブに絶対来い」

とお呼びになっているということですね?と、さすがに覚悟を決めた。

四半世紀の呪が解ける瞬間

結果、行ってよかった。

というか、もし行っていなかったら、ひたすら後悔だけが募る人生になっていたところだった。
私は危ういところでGLAYの神様に救われた。

2日間とも肉眼ではとてもメンバーの御尊顔は確認できないくらい遠い席だったけれども、行けただけでも幸せなことだった。

ハッピーバースデー俺~♪と自ら歌うTERU

今回の公演はデビュー30周年ということで“ファン投票により1位となった過去のライブのセットリストや演出を再現する”という趣向になっていた。
そして1位になったのが、1999年の幕張で行われたあの伝説の20万人ライブなのであった。

以前の記事でも触れたように、あの当時は恥ずかしながら「ライブ」という制度があることすら知らなかった。
テレビ中継を見て、たまらず外に飛び出して熱いアスファルトに突っ伏し、幕張と繋がっているあの青空を見上げて泣いていた15歳の私。
その後、いくら同じGLAYファンからも「愛が重い」と称されるレベルのグレヲタ(GLAYオタク)になろうとも“あの伝説の20万人ライブに参加できていない”という事実が意識の奥底に暗い影を落とし、澱となって溜まり続けていた。

ド派手な爆発音と共にセンターステージのバルーンからメンバーが登場し、あの日と同じ…だけど確かに25年を経た、今日この日の『HAPPY SWING』のイントロが響く。
途端、涙がボロボロボロっ…と零れ落ちる。
まさか泣くなんて思ってもいなかったから、自分で自分に驚いた。
25年間自分の心の奥底に蠢いていた黒いモノがようやく浄化され、空へ還って行った瞬間だった。

EXPOヒストリー館の掲示パネル

手紙~拝啓 十五の君へ~じゃないけれども、あの日の私へ。

大丈夫。
信じられないかもしれないけれど、あなたは25年後におんなじセットリストで、もっとすごい演奏と演出のライブに参加することになります。
50過ぎたおじさん4人が仲良く肩組んで、30年サポートドラムとして支えてくれてるバンザイ姿の還暦の永井さんのところに向かって歩いて行く姿を目撃することになるのです。
なんならツライことの方が多い人生なのは今と変わらないかもしれないけれど…この先、大事なGLAY友達ともたっっっくさん出逢うことになるから、GLAYを好きでいることは大正解なので自信を持って信じてついて行きなさい。
頑張って、いや、そんなに頑張らなくてもいいからとにかく生きてさえいれば、きっと40周年も一緒にお祝いできるはずです。
まあそれは2024年の私でもわからない未来ではあるけれど…それが叶おうと叶うまいと、そうなるように努力はしようと思えているよ。

EXPOヒストリー館の寄せ書きコーナー

「25年前にあの場に居た人」でちょっと胸がチクッとして
「行きたかったけれどどうしても来られなかった人」でふわっと優しさに包まれた感じがして
「まだ生まれてなかった人!!」の3段活用でトドメを刺されたのは私だけではあるまい。

「万障お繰り合わせの上…」とは言うものの、この日この時この場所に、これだけの人たちが集まれたこと自体が奇跡だと思う。

ENHYPENのJAYさんがゲストに登場

バスに揺られて ジェットに乗って
それぞれに好きな服を着て

今年こそはと予感を胸に
舞い上がれこの大いなる日に

『STAY TUNED』/GLAY/2001

EXPO!遠征!といえばワクワクするようなメロディと共にこの歌が頭の中をかけ巡るけれど、今までただの一度も両手放しで舞い上がれたことなんてなかった。
でもこれからは、舞い上がれそうな気がする。

生きてく強さを重ね合わせ 愛に生きる oh
努力が実れば そうたやすく もう迷わない
I can believe human&life
そう いつでも いついつまでも
悲しみ響く“あの日”にはもう戻らない

『生きてく強さ』/GLAY/1996

調子っぱずれな歌声でトンチキGLAYチョップを繰り出しながら、『生きてく強さ』の歌詞が本当の意味でようやく自分のものになった気がした。
そうか、“あの日”にはもう戻らなくていいんだ。って。
じんわり、沁みた。

これ余談ですが…ド変態双六の件

10年前に販売されたライブグッズのおまけとしてついてきた「30周年記念イベント招待券」を金庫に入れて後生大事に守り抜いてきた私だが、このたびついにそのイベントが2024年11月7日(木)の夕刻に大阪城ホールにて開催されることが発表された。

THE GAME OF MUSIC LIFE Vol.1

イベント自体は30分程度の予定とのことで、そこそこ人数もいるだろうし、翌日から始まるアリーナツアーのリハーサル見学くらいが現実的なところかな?とは思う。
たとえば直接会話できるくらいの何かを期待して10年待っていたのは事実だが、ベルーナドーム公演ではAMEXカードさんの企画で16〜7万円積んだ人がやっとその機会を与えられたくらいだ。

「なんで木曜日?!なんで大阪?!10年も待ったのに、行けないじゃん!!!」という一部のファンがSNSで、ひいては公式に対して直接抗議するという、一番メンバーの気持ちを傷付けるような行為の話もチラホラ聞こえてきて、胸を痛めている。

気持ちはわかる。
ウチからだって大阪は遠いし、平日2日も家を空けられないから、翌日のライブは観ずにこの30分のためだけに飛行機往復して一泊して帰ってくるしかない。
文句のひとつやふたつ、思ってもいい…けれど、それを本人たちやスタッフさんたちにぶつけていいかというと、違うよな。

チケットは持っているか?
どこに住んでいるか?
どんな企画をやってほしいか?
わざわざ事前にアンケートをとってくれて、その結果決まったことだ。

グッズのおまけで、無料で、10年後なんて本当にやるかどうかもわからないイベントを忘れずに開催してくれるというだけでも奇跡のような話である。

10年間チケットを大事に持ち続けて、真摯にアンケートに答えた人が一番多かったのが、関西在住のファンだったのだろう。
そりゃあ悔しいけれど東北民じゃあ数では勝てぬ!
いつどこでやろうが行くつもりではあったから、甘んじて初めての大阪城ホールにお邪魔させていただこうと思う。
実現すれば、2004年のUSJで行われたGLAY EXPO以来の大阪上陸だ。

やるかどうかもわからないグッズのオマケの10年後のチケットを1万円出して買い、大事に持ち続け、ド平日木曜日の夜に大阪城ホールへ集合するというSMプレイが過ぎるこの企画に集まる真のド変態に、私はなる!

いばらの道

障害者だとか立ってられないとか言うわりに、ライブで遠征とかできる元気はあるんじゃん?
そう思われた方もいるだろう。
誰の参考になるわけでもないだろうが、体調面は実際どうであったかを書いておく。

初日は晴れ男TERUがハッピーバースデー俺~♪ってことで気合いを入れすぎたがためにドピーカン。
あれだけ「曇りでいい」って言ったのに…。
埼玉の山奥は、都心よりも蒸し暑い真夏の陽気。
サングラスとパーカーと日傘をもってしても偏頭痛を抑えることはできず…その後5日経っても引きずっている。
私のこのタイプの偏頭痛には、偏頭痛専用の薬も無力である。

ライブ中は座っていたので立ちっぱなしのダメージは軽減されたものの、直前のわが子の溶連菌感染症の看病疲れ+暑熱日光による偏頭痛+長旅の疲れ、それから何より「こんな調子で明日も無事に行って帰って来られるのか?」という精神的負担が大きかったためか、池袋へ向かう帰りの電車でパニック発作に見舞われた。
産後ひと月で救急搬送された時以来の強い発作だった。
吐き気が波のように襲ってきて、熱中症?溶連菌発症した?こんな時間に起きてることないから疲れてるだけ?など思い当たる原因が多すぎて迷ったが、抗不安薬がスーッと効いたので判明した。
一緒にいてくれた後輩ちゃんには「顔が土気色でした」とずいぶん心配をかけてしまった。

2日目は午前中にEXPOヒストリー館の予約があったため早めの出発。
雲はあるものの日差しはチリチリと感じる中で過ごしたため、再び偏頭痛が強くなる。
ところが車椅子席はスタンド席の頂上付近にあり、日が落ちると外からの冷たい風が時折吹き荒ぶという環境で、この寒暖差に体力を奪われることとなった。

会場最寄り駅が1つしかないため、並ばずに電車に乗るには終演後1時間ほど待機せざるを得ない。
立っていられない私には、人の波が引くのを待つよりほかに選択肢はない。

下手に挟まれし扉撮るの下手クソ選手権優勝

都内にあるホテルに着く頃には午前零時前。
それでも何か食べなければ倒れてしまうので、無理やりコンビニで買ったスープとおにぎりを流し込む。
その日1日でしっちゃかめっちゃかになったバッグの中身を整理し、爽快リカバリーのバブを溶かした風呂で足三里と三陰交を押し、強制的に睡眠をとるための長時間作用型抗不安薬を服用し、さあ寝ましょうという頃には午前2時半。
トコジラミ対策で明かりを点けたまま布団に潜り込んだと思えば、あっという間に出発しなければならない時間になっている。

これを2晩くり返した後、子どもが放デイから帰宅&ヘルパーさんが来てくださる時間に間に合うように飛行機に乗り、とりあえず無事に帰宅。
「手伝いはいらないのですが、飛行機までのバスでは座りたいのです。」と事情を説明した時のグラウンドスタッフさんの「もちろんでございます!優先搭乗でご案内いたしますね。」があまりにも優しくて、仕事だからとわかっているのに、ちょっと泣きたくなるくらいには疲れていた。

田舎便安定のバス移動&タラップ搭乗

横になったら終わりなので、なんとかそのまま荷解き作業をしていると…すごく嫌な感じの、地面に引きずり込まれるような具合の悪さに襲われた。
変な汗をかきながらなんとかスーツケースをしまうところまでやって、倒れ込む。

そこから半日と2日間、時折半分眠りながらパニック発作に襲われて痙攣したりしつつ、ほぼ寝たきりで過ごした。
木曜日になって通院予定があったため、なんとか這いつくばって外出。

そんなこんなであるからして、ド変態双六イベントに参加して真のド変態になることも、この秋冬のツアーに参加することも、40周年を一緒に祝うことも、なかなかのいばらの道なのである。

どんな結末になろうとも、その時に後悔しないように、努力だけはしよう。
そして次に会えたときには、肩を組んで写真を撮ろう。
中学生の時にインターネットで出逢ったGLAY友達と、そう誓い合う。
「子どもがその時の年齢になろうとしている」
「その当時インターネッツで出逢う中学生とかやば」
「そりゃクラスで浮くわ」
という肚落ち感と共に。

また会う日まで

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