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自分と向き合うこと

社会的立場。責任。見栄。過信。
さまざまな要素はあれど、自分自身が見えなくなるのは
あっという間に。

どんなことをしている時が心地良いと感じるのか、
どんな言葉に惹かれ感動するのか、
自分に対して素直じゃないと気づけない。
あとは、思考の余裕が必要。


わたしはいつも、周りの目や印象を第一に考えてしまう。
こうした方が評価が高くなりそう、一目置かれそう、とか。
反面、計算高くてしたたかなひとだと思われることに怯え、
必死にその考えを隠して生きている。

「そういう性質」は時に自分を守ってくれる武器になることもあるけど、
大体は苦しめることの方が多い。
何かを始める、やめる、続ける
好きになる、嫌いになる

選ぶ、選ばない

生きていく中で選択することは得意な方が良い。
わたしは選択する時に「性質」のおかげでまず他人軸になってしまう。
そんな自分が嫌いだったけど知らぬふりをしていた。

でも最近になって、「性質」を嫌悪し見ないふりすることをやめ、
しっかりと見つめ、知り、共存することにした。

きっかけは、疲労とストレスから体調不良になり、休職したこと。
この話はまた。
とにかく休職したことで、これまで自分の中で優先順位が
下へ下へ追いやってしまっていたものが浮かんできて、
本当にしたいこと、やりたいこと、どうしたいのかが見えてきた。
それを心から大切にしたいと思った。
ここまで追い込まれないと出せなかった本当の意思に気づいた時は
めちゃくちゃに泣いた。

「性質」はなおるものでも、そもそもなおそうとするものではない
と理解してからは、時折り自分の意思に問いかけすることをしている。
本当にわたしがそうしたいのか?

わたしにとって自分と向き合うということ。
それは問いかけをすること。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

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