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【参加メモ】これからの「国語科」の話をしよう!

昨日、表題のイベントに参加してきました。主催者の予想を大きく上回る参賀者の数、会場に詰められるだけイスを入れても入り切らず、廊下で声だけ聞くという人もたくさん…というか私もその中の一人でした…くたびれた。

「大学入学共通テスト」における国語の記述式問題の是非がメインのテーマだったので、いらっしゃったのは高校と大学の先生が中心だった印象。あと学生さんも結構いましたし、塾・予備校関係者もそれなりにおいでの様子でした。私のほかに教材屋がどれくらいいたかは不明です。

さて、備忘録的にいろいろまとめようと思いましたが、動画も配布資料もアップしてくださっておりましたので、ご興味があれば↓をご覧ください。
http://bungaku-report.com/blog/2019/01/2019113-1.html

以下、つらつらと自分の気づきを。

●指導要領を変えても教育は変わらない→入試を変えれば高校も大学も動くだろう、という文科省の意図が仮にあったとしても、入試から教育に落とし込むのはなかなか無理がある。鶏と卵。
●プレテストで特徴的な「対話文」「複数資料」の読解をテストとして有効に機能させるのは非常に大変そうである。このままだと手段が目的化しそう。そしてパターン化しそう。
●今回、昨秋の第二回プレテストについての言及が少なかったのは残念だった。国語に関しては路線変更したような感じもあり、参加者もみんな気になってたと思うので。
●現行のセンター試験をどう評価するによっても主張は変わってくると思った。個人的にはセンター現代文は安定して良問を課しており無理に変える必要性を感じない。古典は不安定なイメージ(わかりにくい)
●読解力不足にもさまざまな要素があり「読ませる側」の問題もあるらしい。だからこそ作問というのは細心の配慮が必要なのだな、と改めて。
●必ずしも論理的でない言葉のやりとりが日常に溢れている。そこを読み解くためには文学的文章の読解も有効とのことだった。本当かしら。キーワードは「他者性」。
●国語を大切にするあまり?「所詮はテスト」「たかが入試」とか「国語はすべて探究、今までもやって来た」といった発言があったのが引っ掛かった。理由は略。
●「実用文章の読解ばかりやっていて面白いか?」という発言も引っ掛かり(文学が楽しく味わえる人の言葉だなーと)。「学びの快楽」という言葉は印象的。
●小中学校では論理の指導が充実しているということだったが、であればなぜそこまでで培われたものが高校で損なわれる(物足りないところで止まる)のかをもっと検証すべきでは。
●「探究」にせよ「論理」にせよ、指導する側がまず学ばねばならない。教材屋も同じ。
●これからの国語を考える上で、やはり新井紀子先生の研究について知る必要がある(なんとなく食わず嫌いしてたけど観念してKindleポチる)

以上です。いろいろ考えさせられました。とりわけ阿部公彦先生のお話は明快で腑に落ちるところ大でした。貴重な機会をくださり、ありがとうございました。

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